金蹴り超訳・傾城水滸伝
初編 浮潜龍衣手の巻



初編之壱
立木の局、熊野の室長寺を訪ね、
傾城塚を暴いて遊女の魂を世に放つ


 時は平安時代末期、鳥羽上皇の御代なる永久元年(一一一三)。
 春爛漫の京の都を中心とした五畿内では、疫病が蔓延し、死する者、後を絶たないという有様でございました。上皇は心を痛め、比叡山や三井寺の名僧に勅(みことのり)を下して加持祈祷に尽くさせましたが、一向に治まる兆しもなく、やがて朝廷の公卿方、ひいては上皇自ら病に倒れるという非常事態になったのです。
 ここに上皇の寵愛あつい御后(おんきさき)の美福門院は、公卿の妻どもを院の御所にお召しになり、詮議をさせたところ、関白藤原忠道の北の方・井手の政所(まんどころ)が御前に進み出で、このように奏上いたしました。
「上皇様をはじめ公卿の男性方が倒れられた以上、わたくしたち女が力を合わせねばなりません。加持祈祷も、男性のお坊様ではなく、出家した女性である尼君をこそ、お召しになるべきと存じます」
「叡山、三井寺の高僧ですら鎮められなかったこの流行病を、みごと鎮めるだけの法力を持つ尼君が、どこにいらっしゃるというの?」
 美福門院の訊ねに、井手の政所は大きく頷き、
「はい。熊野の那智の室長寺(むろおさでら)の住持にあらせられる無漏海(むろかい)の尼聖(あまひじり)こそ、お迎えすべき方であります」
 無漏海の尼聖とは、かつて一条天皇の御時(九八〇〜一〇一一)、周防の国(山口県)室積(むろづみ)の女里長(めのさとおさ)でした。名僧の誉れ高き書写山の性空上人、夢のお告げに導かれて室積の里に赴かれたところ、女里長は上人を酒食をもってもてなし自ら歌い舞いました。その素晴らしさに上人はいつしか目を閉じて聞き入り、再び目を開けたところ、あら不思議、歌っていたのは普賢菩薩だったのです。
 さてはこの女里長は普賢菩薩の化身であったかと随喜の涙を流した上人は、都に帰って天皇に奏聞に及んだところ、御感あって女里長を都に招くべく勅(みことのり)されました。しかし、勅使が室積の里についた時には、すでに女里長は紀伊の国(和歌山県)熊野の山中に入り、修験の道に入っていたのです。そこで一条天皇は、熊野の那智に尼寺を御建立して住持として招き、無漏海仙聖の号を賜ったのです。
「それから百二十余年の歳月が流れましたが、無漏海の仙聖は未だその美しさを保ったまま、健やかにおわすそうです。そのような尊い尼聖(あまひじり)をお招きすれば、疫病を鎮める功徳がございましょう」
「それは、いい案だわ」
 美福門院は、手を打って喜び、側近く仕える若き女官・立木(たつき)の局(つぼね)にお命じになり、無漏海の仙聖をお招きすべく、大勢の伴人をつけられ、熊野へと派遣されたのでありました。

 さて、熊野・那智の麓なる室長寺に赴いた立木の局、出迎えた住持の尼法師に向かい、事の次第を説明した後
「それで、無漏海の仙聖はどこにいらっしゃるの?」
 と訊ねると」、住持の尼法師はこう答えました。
「尼聖は、麓の里はおろか、この寺にも滅多にお姿をお見せになりません。尼聖にご対面されたいのならば、一夜、精進潔斎された後、伴を連れずお一人様にて山に入られ、ひたすらお出ましを待つしかないのです」
 立木の局は仕方なく、一夜、風呂にて身を清め、酒肉を断ち、念仏を唱えて精進潔斎し、翌朝、野装束に身を包み、杖をついて熊野の山に入りました。
 平安末期の山道です。アスファルト舗装など施されるはずもない石ころだらけの九十九折(つづらおり)の道を、十町(約一キロメートル)も歩まぬうちに足腰は疲れ、心は苛立ち嘆くばかりです。
「都だったら、外出する時はいつも牛車に乗る身分だったわたくしなのに、こんな山道をただ一人、徒歩にてとぼとぼ行かねばならないなんて、いったいなんの因果かしら」
 その時、路傍の熊笹がさやさやと鳴りました。何者かの気配に立木の局、足をとめて身をすくませるに、忽然と飛び出してきたのは、山刀を手にした男であった。熊の毛皮をまとい、髪髭は伸びほうだい、野卑な面差しに好色な笑みを浮かべ、今にも飛びかかろうとする気配に、立木の局の膝が崩れ、尻餅をついてしまいました。
 この山中ではまずお目にかかれない美女の出現に驚喜した山男、都の草食男児と違い、目の前の子ヤギを食べないはずもありません。早くも袴を脱ぎ捨て、下半身は丸裸、手淫のしすぎか真っ黒な陽物をそそりたたせ、立木の局を組み敷こうと突進。立木の局、極度の恐怖に目を閉じ、絶叫したその時、
「う……!」
 男の動きが止まりました。立木の局がおそるおそる目を開けると、思わず突き出した己が両手にしっかりと握られた杖が、男の両脚の付け根に食い込んでいました。杖の先端は、剥き出しになった陰嚢を突き破り、男の最大の急所である睾丸を一つ、破裂せしめていたのです。
 白眼を剥き、のけぞった姿で硬直した男の、そそりたった陽物の先端の鈴口や破れた陰嚢から、噴水のように血が溢れ出し、地面に降り注いでいます。やがて男はばったりと地に伏し、動かなくなりました。

「ああ、ああ、もうやってられないわ!」
 去勢され意識を失った山男の傍らに呆然と座り込んでいた立木の局は、やっと人心地を取り戻すと、今度は湯気が立つばかりに顔に怒気を浮かべ、山道をすたすたと歩きはじめました。
「わたくしは、内裏にあって今をときめく美福門院さまの御寵愛を受ける立木の局よ! あんな賤しい山男に犯されるような目にあうはずのない高貴なご身分なのよ! それなのに、ああ、なんで伴を一人もつけず、危険な山道を歩いているわけ? いずれ都に戻ったら美福門院さまに言いつけて、あんな寺、潰してやるわ! 覚悟なさい!」
 一人わめきつつ歩く立木の局の前に、松林のなかから、またも山男が現れました。今度は二人です。
「いい加減にして!」
 立木の局は絶叫し、一人の山男の股間めがけ、手にした杖を振り上げました。杖は過たず男の睾丸を直撃し、山男は悲鳴をあげて倒れ、両手で股間を抑えて悶絶し、地面を転げまわっております。
「あんたもよ!」
 地面を転げまわる仲間を呆然と見下ろしていたもう一人の山男の股間に、立木の局はさらなる杖の一撃。
 急所を撃たれて悶え苦しむ二人の山男に目もくれず、地面にしゃがみこんだ立木の局、一人わめいて申す様、
「やだやだやだ! こんなところ、一時だっていたくない! 私、帰る!!」

「やるわね」
 ふと顔をあげた立木の局の目に、何時の間に現れたのか、草籠を背に負い、牛に乗った十歳ばかりの少女が映りました。
「……誰?」
 そう問う立木の局に少女はにっこり笑い、
「あんたは立木の局、美福門院から遣わされ、無漏海の仙聖を迎えにきたんでしょ?」
 貧しそうないでたちの少女がなぜ、それを知っているのだろう? いぶかる立木の局に対して、少女はさらに告げました。
「最初は、高慢ちきなイヤぁな女だなあって思ったけれど、あんたが倒した男たちは、里に下りてきては手当たり次第、女を手込めにしていた札付きの悪党よ。そいつらの睾丸を潰してくれたおかげで、当分、里の娘たちは安心して出歩いたり、眠れるようになるわ」
 睾丸を潰した……? 立木の局は振り返り、背後の地面で悶絶する山男たちに目をやりました。確かに、男たちが両手で押さえた股間が真っ赤な血を噴いています。
「昔から男たちは、腕力で私たち女を押さえ込んでいたけれど、そんな世の中、間違ってる。世の中を正しく変えられる女たちが出現する機会を、私は百数十年、待っていた。そのきっかけを作るのが、まさか、お屋敷育ちの女だとは、私が望む乱世の幕開けには、ふさわしい出来事なのかもしれないね」
 乱世?
 世の中を変える?
 わたくしが……?
「あなたが変えるわけじゃないわ」
 その言葉の意味を理解しかねて動揺する立木の局の心を見透かしたように、少女は続けました。
「あなたは、そのきっかけを作るだけ」
 そう言って少女は、牛の尻を手にした竹で叩いて向きを変えさせました。
「待って!」
 立木の局は、去ろうとする少女の背中に呼びかけました。
「わたくしが無漏海の仙聖を探しにきたことは知ってるわね?」
「うん、知ってるよ」
 背を向けたまま答える少女に、局はさらに言いました。
「仙聖はどこにいらっしゃるの? あなた、知っているんじゃないの?」
 少女は牛の尻を叩いて歩みを止めさせ、振り返って微笑とともに、こう告げました。
「尼聖はもう、都に向かってるよ」
 え?
 さらに問おうとして立木の局は、声を出せませんでした。牛に乗った不思議な少女の姿は、すでにかき消えていたのです。

 その日の夜、ほうほうの態で室長寺に戻った立木の局は、昏々と眠りにつき、翌朝、目が覚めるや住持の尼法師に、
「なぜわたくしを一人、山を歩かせたの? 刀を持った山男たちに襲われ、牛に乗った怪しい少女にからかわれ、さんざんな目にあったのよ!」
 となじりました。立木の局の話を聞き終わった尼法師は、
「それは、ありがたき事。仏縁に恵まれましたなあ」
 と涙を流すばかりに感動の面持ち。不審に思った立木の局が、
「どういう意味?」
 と重ねて問うと、尼法師が申して曰く、
「その牛の背に乗った少女こそ、かの無漏海の尼聖に他なりません。よろしゅうございましたなあ。尼聖は今頃、都に赴いて加持祈祷をなされているはずですよ」
 何はともあれ、尼聖を都に呼び寄せよという美福門院の命は果たした事になります。ほっとする一方、どこか納得できず面白くない心持ちの立木の局に、尼法師は、
「今日は寺の境内をご案内などいたしましょう、ゆるりとお過ごしになり、明日の朝、都に戻られませ」
 と勧めました。
 なんだか誰かの掌の上でもてあそばれたようで面白くない立木の局は、尼法師に導かれるまま、境内の霊場をめぐって見物しているうちに、経堂の後ろに小さな小堂があるのに気づきました。堅く締められた扉は大きな板を打ち付けられ、さらに鎖を幾重にも巡らせて、大きな錠をかけております。
「これは何?」
 立木の局の問いに、尼法師は、
「傾城塚(けいせいづか)と申します」
 と答えます。傾城とは、男を惑わし国や城を傾けるほどの絶世の美女のこと。尼法師は説明しました。
「百年前、無漏海の尼聖、古来より苦海に沈みしまま果てたる数多の遊女を哀れまれ、さまよう魂たちをことごとく塚に封じ込め、塚をお堂で覆って封印されたのです」
「ふうん、それにしても厳重に閉ざしているのね」
「はい、恨みを呑んで成仏できぬ魂が、ひとたび世に放たれれば、大変な災いを引き起こしましょうから、決して開けてはならぬとの、無漏海の尼聖のお申し付けなのです」
 また、無漏海の尼聖……。
 立木の局は、山中で出会った牛に乗った少女の、からかうような眼差しを思い出して、ますます面白くない気持ちになりました。
「ばかばかしい」
 局はおーほっほっほっと高らかに笑い、言い放ちました。
「遊び女(め)の魂を、念仏を唱えて成仏させるならともかく、幽鬼のまま塚に閉じこめるなんて、そんなばかな事がありますか。こんなもの地獄絵とおなじで、無知な大衆を脅してお布施を巻き上げる手口に違いないわ。そんないんちき、わたくしが見破って見せる。封印を解いて、お堂の扉を開けなさい!」
 高圧的に命じる立木の局に、住持の尼法師はうろたえました。
「そ、そんな……大変な災いが起こりますよ」
「お黙りなさい! 私は病に臥した上皇様の名代として今の世を治めてらっしゃる美福門院さま御じきじきの命令で来ているのよ! 私の命令は上皇様の命令と同じなの! さっさとお堂の扉を開けなさい!」
 大変な剣幕で言いつのる立木の局に、ついに住持の尼法師は折れ、お堂の鍵を開け、寺男たちに命じて板張りを剥がさせたのです。
 ぎいと重い音をたてて扉は開きました。暗い堂内には、小高く盛りあがった塚があり、盛り土に半ば埋もれて文字を刻んだ小さな石があるのが見えました。刻んだ文字は「偶斧而開(斧に偶いて開く)」と読めます。
「ほうら、ごらんなさい」
 立木の局は、恐れ怯える住持の尼法師に向かい、得意げに言いました。
「斧は木を断つ道具。すなわち、私の名前、立木のこと。私が封印を解くことは、百年前から無漏海の尼聖が予言していたのだわ。さ、さっさと塚を暴くのです」
 立木の局の命令に、十人の寺男たちが斧や鉞(まさかり)を手に塚の盛り土を突き崩すと、やがて、石の棺が現れました。
「ここに遊び女たちの幽鬼を閉じこめたというわけね。ふん、その正体をこの手で暴いててやるわ」
 立木の局は、怯える寺男たちを叱咤し、棺の蓋を開けるよう命じました。男たちは蓋に手を掛け、大汗を流してやっと持ち上げました。
 その時です。
 棺のなかから黒雲が立ちのぼり、天地を裂くばかりの大音が鳴り響きました。そして、無数の光りが放たれ、棺を囲む寺男たちに向かったのです。
 光線は次々と寺男たちの股間を貫き、四方八方に飛び散りました。腰を抜かした立木の局の眼に映ったのは、無惨に睾丸を破裂させられ、陽物をずたずたに裂かれ、血を噴く股間を両手で押さえて悶絶する、あわれな寺男たちの姿でした。
「や……やはり……」
 住持の尼法師は両手を合わせて必死に祈りながら、叫びました。
「恨みを呑んで世を去った女たちの霊魂です。男たちに虐げられた恨みが、哀れや、この者たちの男のしるしに向けられたのです」

 この時飛び散った遊び女たちの魂こそ、後に数多の勇婦烈女となって生まれ変わり、後の後鳥羽上皇様の御世、乱れた世に変革をもたらす事になるのですが、それは先の話。
 翌日、面目を失った立木の局は、室長寺の者たちに堅く口止めし、蒼惶として熊野を出て都に立ち返ったところ、すでに無漏海の尼聖は疫病を鎮めた後でした。尼聖を都に招いた功労者として美福門院のお褒めにあずかった立木の局は、その後、熊野で起こった不思議な出来事を決して語ろうとはしませんでした(ちなみに立木の局はこの後、お話には登場いたしません)。
 また、流行病が終熄し、鳥羽上皇様はじめ、公卿の方々が復帰すると、無漏海の尼聖を招いた事じたいを語ることがタブーとなりました。古来、女を政事に介入させることを忌み嫌ってきた本朝の男たちは、女の智慧と法力によってこの国が救われたという本件を、黒歴史として封印したのでございます。

初編之弐
妖婦亀菊、後鳥羽上皇を惑わし、
女武者綾梭、難を逃れて衣手と出会う


 さて歳月は流れ、世は鳥羽院、崇徳院、近衛院、後白河院、二条の帝、高倉院、安徳の帝と受けつがれ、源平の争乱のさなか、安徳の帝が西海に沈んだ後に即位した後鳥羽の帝は、十五年の在位の後、御位を第一の皇子の土御門に譲り、上皇として院政を布いて、十年になろうとしておりました。
 その頃、都の東山に、亀菊という評判の白拍子がいました。年は二八(にはち)の十六歳。容姿は麗しく、歌舞にもすぐれ、その舞い踊る姿を見て魂を奪われる男はいないと言われるほどの、絶世の美女でありました。
 ただこの亀菊については、怪しい風評がございました。彼女が十二を過ぎた頃より、その美貌に惹かれて数多の男が懸想したのですが、そのうち少なからぬ者が命を落としたというのです。
 彼らはみな、夜明けとともに自宅の寝間で冷たくなって発見され、外傷もなにもなく、医者が診ても死因が分からない。共通するのは、彼らは富裕な家の子で、家の金をずいぶんと亀菊に貢いでいたという事でした。
 それもそのはず、彼らはみな、亀菊の手にかかって命を落としたのです。その手口は恐るべきものでした。男たちを手玉に取り、大金を貢がせた挙げ句、やっと床をともにすることを承諾し、深夜、相手の家に忍びます。そしてお床入りとなるや否や、亀菊は男に押し被さって押さえつけ、右の手で睾丸を二つながらひねりあげる。そのまま激痛で昇天する者もいれば、ただ気絶する者もいる。気絶した者は、水を含ませた布で口と鼻を塞いで窒息死させるわけです。こうすれば外傷は残りません。
 平安時代末期の事とて、死体を検死する慣わしもなく、ただ「頓死」として右から左に処理され、ただ亀菊の懐中のみはぬくぬくと膨れていったというわけなのです。
 亀菊が十五を迎える頃は、そうやって頓死する者だけでなく、大金を貢いだ挙げ句に家を売り、妻子に離縁され、落ちぶれて乞食になったり、世を嘆いて身投げする者も後を絶たないという有り様でした。
 その頃、都で羽振りをきかせていた法眼顕清(ほうがんけんせい)なる坊官がおりました。僧侶の身ながら、出家した皇族(門跡)に仕え、寺には籠もらず都に住まいし、裕福な暮らしを送っている者です。
 この顕清が、歌舞に長じた女子を召し抱えようとしていると耳にした亀菊は、さっそく屋敷に参上し、琴、胡弓、笙(しょう)などの楽器を奏で、今様の舞と唄を披露、顕清はぞっこんに惚れ込み、屋敷にて召し使う事となったのです。気働きのできる亀菊は、朋輩のなかでも頭角を現し、いちばん信頼される侍女となったのでありました。
 顕清には、和歌を好み、また古筆(こひつ)を蒐集することを好んでおりました。紀貫之(きのつらゆき)自筆の「土佐日記」、三十六歌仙の一人である凡河内躬恒(おうしこうしのみつね)自筆の短冊など、数多のコレクションを誇っておりました。ある時、顕清が後鳥羽上皇の院に伺候している折、ふと上皇が
「顕清よ、お前は古の歌仙の自筆になる、珍しい品々を集めていると聞いた。一度、朕に見せてくれぬか」
 と申されたので、顕清は、
「思わぬ名誉でございます」
 と大喜び、屋敷に使者を送り、亀菊をしてコレクションのなかから特に珍品を選んで持たせ、院に運ばせるよう命じたのです。
 自ら「新古今和歌集」を編纂されたまうなど歌の道にも通暁した後鳥羽上皇の御感を得るべく、亀菊は時間をかけて品を選び、唐櫃(からびつ)に収めて下部(しもべ)に担がせ、院の御所へと赴きました。
 その時、後鳥羽上皇は、梨局にご寵愛の方々を集め、羽子板にて羽つきに興じておいででした。ちょうど亀菊と下部が女官に導かれ、梨局の折戸口にさしかかった時、上皇様がついた羽が逸れ、戸口を開けて入ろうとした亀菊の顔をめがけて飛んでいったのです。
 しかし亀菊、少しも慌てず、右の手にて羽を受け止め、すっと腕を伸ばして羽を投げ返しました。羽は過たず、上皇が手にした羽子板の上にぴたりと止まりました。
「見事な腕前だ」
 上皇は感心し、
「お前は何者だ?」
 と問われました。
「法眼顕清の屋敷に仕える亀菊と申します」
 そう答える亀菊に、上皇はさらに、
「お前はおそらく、羽つきにも長じているであろう。突いてみよ」
 と手にした羽子板を、女官に命じ、遠くにひれ伏す亀菊のもとまで運ばせました。亀菊は立ち上がって羽子板を構え、飛ぶ馬、河堀、嵐の木の葉、燕返りなどと秘術を尽くして羽を突いたところ、上皇の御感ますます募り、そのまま亀菊は院の御所に留まり、上皇の側近くに侍る事となったのです。
 やがて亀菊は、院の内にあって絶大なる権勢を振るうようになりました。
 新たに上皇の寵愛を得た亀菊に、女御・更衣(上皇の側室)の方々は嫉妬のあまり、様々ないたずらや、罠を仕掛けました。御膳に虫が入っていたり、敷物に針が入っていたなんていうのは序の口。しまいには庭を歩いていると、頭上から大枝が落ちてきたり、身の危険すら感じられるほどでした。
 それに対する亀菊の仕返しは壮絶なものでした。ある女御は宿下がりの道中、盗賊に襲われ命を落としました。さる更衣は何物かにさらわれ、数日後、全裸となって院の御所の庭木に縛られていました。これは皆、亀菊が懇意にしていた都の女賊どもの仕業だったのです。
 院に侍る公卿や、武者も同様でした。亀菊に楯つく者、批判する者はすべて、睾丸を砕かれ、陰茎を切り取られて口に含まされた無惨な屍となって発見されました。亀菊に懸想する男たちは皆、その色香によって手玉に取られ、相争い、破滅していったのです。
 いつしか後鳥羽院の内には、亀菊に逆らう者はいなくなり、追従する者のみが残りました。人々は、亀菊を「妖姫」「女怪」と陰口をたたきましたが、なにせ治天の君が後ろ盾、その権勢は文字通り国を傾けんばかり、嘆きの声が都の巷に満ち満ちました。
 時に、世を厭う物知り学者が言うには、かつて鳥羽の院の御世、美福門院が権勢を振るった頃は、賞罰に僻事(ひがごと)が多く、ついに保元、平治の戦(いくさ)を招き、崇徳院は流され、藤原頼長、信頼、信西といった多くの高位高官が命を失った。今、亀菊が院の寵愛をこうむって、御政治(まつりごと)に僻事多し。
「男のやるべき事に、女が口出しをするようになると、世界は亡びかねないんだよ」
 そして、溜息をつきながらこう続けます。
 鎌倉においては、征夷大将軍源頼朝の後家・北条政子が尼将軍として武家の賞罰を執り行っているではないか。源平の騒乱がやっと収まったというのに、新たな戦乱の日は遠くない……と。
 実際の歴史を調べますと、保元・平治の乱は、上皇・公卿が流行病で倒れた非常事態を美福門院ら女たちの策で乗り切り、男性たちが復帰した後に起こっておりますし、鎌倉幕府も源平合戦以後、男たちが内紛を起こす度に、隠居していた北条政子が仲介に乗り出さざるを得なくなっているだけの事なのですが、男尊女卑主義者にせよ、人種差別主義者にせよ、差別したがる男たちにとって、細かい歴史や正しい摂理なぞどうでもよいのです。
 実際には、男たちが原因で乱れた世を正そうとする女たち、あるいは乱れにつけこみ悪巧みを企む女たちが、さまざまな場所で影響力を持ち始めていたのです。
 その原因が、かつて熊野の室長寺を訪れた立木の局が、過って傾城塚を暴いた祟りであることを知る者は、いませんでした。

 そんなある日、亀菊は寝物語のうちに上皇様にこう申し上げました。
「上皇様の御身をお守りする武者は、幾人ほどいます?」
 亀菊に亀頭・陰茎・陰嚢を巧みに愛撫され、その手練手管に極楽浄土にある心地に耽りながら、上皇は答えます。
「千人ばかりもいるかな」
 上皇を守る武者は、北面の武士と称され数百を数えていましたが、後鳥羽上皇はさらに西面の武士とて多くの武者を募られました。鎌倉の幕府の勢いが日に日に増すなか、これに対抗するため、新たに手兵を養おうとしたのです。
「その武者どもは、上皇様のみをお守りし奉る者でございましょ」
「そうだよ」
「実はわたくし、心細いのです」
 握りしめていた陰茎から手を離して背を向ける亀菊に、上皇様慌てて問いました。
「どうした?」
「わたくしは今、上皇様のご寵愛を一身に集めております。もったいなくも嬉しい限りでございますが、そのぶん、他の女の方々の妬みを買い、いつ、隠謀に陥れられるのではないかと、夜も眠れぬ心地なのです」
「それは困った事だな……うむ、そうだ。朕が配下の武者どもを幾人か、お前を守護するように命じよう」
「それはいけませんわ」
 亀菊はとまどった面差しを作って上皇に向けました。
「ただでさえ、北面の武者や西面の武者ども、わたくしに懸想するかのような眼差しを向ける者が少なくないのです」
「それはけしからんことだ」
「そんな者どもに囲まれては、わたくし、気がやすまりません」
「そうか、困ったな」
 思案に耽る上皇に、不意に、
「よき思案が浮かびました!」
 と亀菊は豊かな胸乳を押しつけるように、上皇に抱きつきました。
「諸国から武芸力量ある女どもを集め、わたくしの警護に当たらせるのです。女ならば、わたくしに懸想する者もござりますまい」
「なるほど、いい案だ。さっそく明日、蔵人(くらんど)に命じて手配させよう」
 そう言って豊かな乳房の谷間に顔を埋め、亀菊のからだをむさぼる上皇から顔を背け、亀菊は舌をぺろりと出しました。
 言うまでもなく彼女には、自在に動かせる軍事力を手にし、さらに権勢を振るいたいという、恐るべき野望が隠されていたのです。
 翌朝より院宣は六十余洲を駆けめぐり、諸国より武芸自慢の女たちが陸続と都を目指しました。それらの女どもから選ばれた百余名が、新たに設けられた女武者所(おんなむしゃどころ)に詰めることとなりました。女武者所の別当(長官)には、亀菊が任命されたのです。
 亀菊は、女どもを武者所の庭に集め、試合をさせました。武術に優れた者を選んで教頭(おしえがしら)に取り立てるためです。弓、薙刀、太刀、素手にての組み討ち、試合を重ねるうちに、自然と技量優れた者が目に付きはじめました。
 なかでも一人、武器をとっても、素手にても、誰にも負けぬ抜きんでた剛の者がおりました。年齢は二十半ばか、日に焼けた色黒の肌、都風ではないが野育ちの趣きある面差し、小柄ながら動きが俊敏で、ついていける者はおりません。
「あれは誰?」
 庭に面した寝殿に座し、垂らした御簾(みす)越しに試合を見ていた亀菊は、傍らに侍る女官に尋ねました。
「綾梭(あやおさ)という、坂東(関東)生まれの者でございます」
「綾梭か……」
 ちょうど綾梭は、自分の倍ほどにも肥え太った大女と組打ちしておりました。巧みな動きで大女の繰り出す拳や蹴りをかわし、素早い動きで急所を責める綾梭に、亀菊は感嘆した声を漏らしました。
「あの者なら、北面・西面の武士相手でも勝てそうね」
「それは聞き捨てなりません」
 その声に見れば、いつしか庭に西面の武士が三人立っていました。畿内に知らぬ者なき豪勇にして、上皇様の覚えめでたき、藤原秀康(ひでやす)、秀澄(ひでずみ)、秀能(ひでよし)の三兄弟です。
「我ら西面の武士として、上皇様の玉体を守護つかまつるべく、日々、鍛錬を怠っておりませぬ。東国の野育ちの女にひけをとるはずがござりません」
 日頃、権勢をほしいままにする亀菊に不満を抱き隠す様子もなく振る舞う三兄弟は、特に上皇の覚えめでたき者どもゆえに、さすがの亀菊も、陥れる隙がなかったのです。三兄弟もまた、いつか亀菊に恥をかかせようと虎視眈々狙っていたのでしょう。
 膝をついて礼を整えながら、傲然とした風を隠さぬ三兄弟を見やり、亀菊は言いました。
「それはどうでしょう。わたくしの見るところでは、あの東国女はお前たちよりも、武芸の腕は上のように感じますよ」
「これは慮外なお言葉です!」
 長男の秀康が憤然として言いました。
「いかに豪の者といえども、女は女。我ら男に腕力で勝るなど、あってはならぬことでございます」
「ではお前たち、あの東国女と試合しなさい」
 亀菊は、よこしまな笑みを浮かべ、決然と申し渡しました。
「殺しても構わないわ。女が相手だからって手抜しちゃだめよ」

 亀菊に寝殿近く召し出され、藤原三兄弟と対峙した綾梭は、最初、当惑を隠せませんでした。いずれも丈高く、腕太い三兄弟を前に、臆しているようにも見えました。
「綾梭、どうしたの?」
 御簾越しで顔はよく見えませんでしたが、鈴を鳴らすような蠱惑的な声音で告げる亀菊に、綾梭は膝をついてうつむいたままでした。
「まさか、この者たちと試合するのが、恐ろしいなんて言わないでしょうね」
「いえ」
 綾梭はやっと小さな声で答えました。
「あの……男武者と試合するならば、わたくしも手加減できません」
「あら、女武者と戦う時とは違うってわけ?」
 興味深げに問う亀菊に、綾梭は答えました。
「なんと申しましても、わたくしは腕力では男にかなわぬ女です。少しでも隙を見せるわけにはいきません。そして、相手が見せた僅かな隙を狙って全力で倒すしかないのです。相手の命を奪わずに勝てるかどうか、お約束いたしかねるのです」
「なんだと!」
 憤ったのは、藤原三兄弟です。
「その方、卑しい女のくせに、我ら西面の武士の命を奪えると、そう言いたいのか!」
 許せん!
 いきなり太刀を抜き放ったのは、次男の秀澄、兄弟のなかにあって抜きんでた体躯の持ち主です。大音声で咆哮し、綾梭に襲い掛かりました。
 そこにいた誰もが、秀澄の振り下ろした太刀によって、綾梭が真っ二つに切り裂かれるものと思った次の瞬間、人々は目を見張りました。
 秀澄は地面に転がり、両手で股間を抑えて悶絶しておりました。その傍らで、綾梭が困ったような面差しで立っていました。
 綾梭は、振り下ろされた秀澄の太刀を、身をひるがえしてかわすと同時に、右手を伸ばして、股間の陰嚢を一ひねりし、さっと背後に回ったのです。
「あの……、大丈夫ですか?」
 悶え苦しむ秀澄に、綾梭はおそるおそる声をかけました。
「潰れぬよう、手加減したつもりですが……」
 彼女の背後で、亀菊の哄笑が響き渡りました。
「手加減したですって?」
 悶絶する弟を介抱することも忘れ、呆然と立ち尽くす秀康、秀能に、亀菊はこう申し渡しました。
「まったく、藤原三兄弟もざまぁないわね。女相手に卑劣にも不意打ちしてたにもかかわらず、金玉への一撃でこのざまよ。しかも彼女、その気になれば簡単に金玉を潰せるようね。どう? まだ、この女と試合したい? 恐らく、秀康も秀能も、金玉が無事ですむとは思えないわ」
 言い返すこともできず、歯がみして俯く二人に、亀菊は言いました。
「それより、悶絶してるその男を屋敷に連れ帰って、医者に診せたほうがよくない? このままだと、二度と使えなくなるかもしれないわよ?」
 我に返った秀康、秀能は、一礼して秀澄を担ぎ上げ、蒼皇として女武者所より走り去ったのでありました。
「綾梭、よくやったわ」
 ほうほうの態で逃げ去る三兄弟の背後に哄笑を浴びせていた亀菊は、庭に膝をついたままの綾梭を見やって声をかけました。
「お前のおかげで、面白い茶番を見ることができたわ。ご褒美をあげるから、こちらにいらっしゃい」
 遠慮がちに膝を進める綾梭に、亀菊は御簾より出て、寝殿の縁に座し、
「顔を見せて」
 と命じました。その声に顔をあげた綾梭は、思わず「あっ!」と叫びそうになるのをやっと堪え、再び顔を伏せました。
「ご褒美よ、受け取りなさい」
 亀菊は、羽織っていた衣を脱ぎ、庭の綾梭に投げ与えました。衣を押し戴き、深々と礼をした綾梭は、そのまま後じさりし、女武者所を辞して、都大路を走りに走り、家へと急いだのです。
「母上!」
 家に着くなり綾梭は、出迎えた老母に告げました。
「あの女です……」
「あの女?」
 訝しがる老母に、綾梭は言葉を重ねました。
「亀菊です」
「亀菊!」
 今度は驚いた老婆に、綾梭は告げました。
「わたくしが出仕することになった女武者所の別当は、かの亀菊だったのです!」

 話は三年前にさかのぼります。当時、綾梭の父である筑井兵衛太郎は、娘と老妻を連れ、六波羅の決断所(鎌倉幕府の出先機関)に勤めるため、草深い坂東から都にのぼったばかり。ある日、決断所の朋輩の武者たちから、東山で評判の白拍子・亀菊の舞を見に行こうと誘われました。
 いまだ十三歳の亀菊の美貌と抜きんでた歌舞の技に、魂を奪われかけた兵衛太郎でありましたが、やがて、多くの朋輩が骨抜きにされ、大金を貢がされた挙げ句、なぜか次々と頓死する事に気づき、これを訝んだ兵衛太郎はある夜、決断所で宿直(とのい)の役を務めておりました時、一人の朋輩が蔵に収めた金品を盗み出し、いずこへか抜け出すのを目にしてしまいました。
 どこへ行くのか? 密かに跡を尾けた兵衛太郎は、その朋輩が東山の外れの屋敷に入るのを確かめ、破れ築地塀(ついじべい)の隙間から覗くと、屋敷の寝殿の床に布団を敷き、下着姿の男女が睦みあうのを眼にしたのです。それは、白拍子の亀菊と、くだんの朋輩でありました。
 しなだれかかる亀菊の、十三という年には似合わず豊かに実った胸乳を愛撫しつつ、だらしない面持ちで酒杯を唇に運んでいた朋輩の武者の股間に、ふと亀菊の右手が伸びました。五本の指が巧みにうごめき、心地よさに目を閉じて当然となる朋輩の面差しに、いまだ幼く見ゆるに、なんと淫奔な女よと呆れていた兵衛太郎は、不意に朋輩が苦しげな面差しでのけぞり、烈しく悶絶しはじめたのに仰天しました。
 亀菊は、男の陰嚢をきつく握りしめ、圧迫していたのです。
 やがて朋輩は口から血反吐をはき、仰向けに倒れて動かなくなりました。裾を払って立ち上がった亀菊、落ち着き払った面差しで朋輩の胸に手をあて、唇の端をゆがめて満足げに頷くと、懐中から取り出した布で朋輩の唇についた血反吐を拭い、彼が決断所の蔵から持ち出した金品の入った袋を袂(たもと)に入れると、寝殿を降りて庭に出て、そのまま門をくぐって屋敷の外に出たのです。
「待て!」
 兵衛太郎は、腰の刀を抜くと、亀菊の前に走り出て、両手を広げて押し止めました。亀菊はぎょっとして立ち止まりました。
「貴様は白拍子の亀菊だな!」
 大音声で怒鳴りつけます。
「年端もゆかぬ小娘が、色仕掛けでわが朋輩を誑し込み、金玉を掴んで殺すとは、驚くべき妖婦女怪の所業。武士としてこれを見逃すわけにはゆかん。おとなしく縛につくか、わしの刀の錆となるか……」
 覚悟せよ、と言おうとして言葉は喉に詰まったまま出て来ませんでした。
 いつの間にか亀菊は、すばやく兵衛太郎に駆け寄り、彼の股間を膝で蹴り上げていたのです。
 白眼を剥いて痙攣し、やがて両手で股間を押さえてうずくまった兵衛太郎が投げ出した刀を拾い上げ、とどめを刺そうと振り上げた亀菊の耳に、遠くから、
「騒がしい」「何事か」
 という複数の男の声が聞こえてきました。
 見れば、逢い引きの往き道か帰り道か、供を連れた貴公子たちがこちらに向かって駆けてきます。最善の兵衛太郎の大音声を耳にしたのでしょう。
「ちっ、運のいい男ね」
 亀菊は舌打ちし、その場を走り去りました。
 貴公子たちに発見され、綾梭と老母の待つ家に運ばれてきた兵衛太郎は、睾丸を二つとも蹴り砕かれておりました。意識は取り戻したものの、高熱にうなされ、そのまま二晩悶え苦しんで息絶えたのです。亀菊が朋輩から金品を巻き上げて殺した事を、苦しい息の下で言い残して(睾丸を亀菊に蹴り潰された事は、さすがに武士として恥ずかしく、告白できなかったようです)。

「母上、いずれ亀菊は知ることになりましょう。わたくしが、亀菊の悪行を見聞きした筑井兵衛太郎の娘である事を」
 綾梭は、母親に説き聞かせました。
「そうなったら、わたくしたちは無事ではすみますまい。ここは三十六計、逃げるに如かずです」
 縷々(るる)と語る綾梭の説得に、老母も頷いて言いました。
「この老女の耳にも、亀菊の権勢の噂は入っている。お前は武芸には秀でていても、無官の武士の娘にすぎません。ここは都を離れ、草深い田舎に身を隠す事としましょう」
 かくして母娘は、まだ夜が明けぬうちに、誰にも知らせず、馬にまたがって京の都を出奔したのでありました。
 やがて綾梭の父親の正体を知り、母娘が都を逐電した事を知った亀菊は、烈火のごとく怒り狂い、
「草の根わけても綾梭母娘を召し捕って、わたくしの前に引きずりだしなさい!」
「わたくしの手で、母娘の口を裂き、乳房を踏みにじり、生きながら両手両足を切り落とし、死ぬまで院の庭木に吊し、悶死するのを眺めてやる!」
 と、わめき散らしました。
 北面西面の武士を動員し、四方に走らせて綾梭を追ったものの、いずくへ消えたかも分からず、すごすごと空手にて帰ってきました。その度に、北面西面の武士たちは亀菊に呼びつけられ、呼びつけられる毎に睾丸を蹴られ、殴られ、このままでは殺されると恐れ、多くの武士が都を逐電してしまったとのことであります。

 さて、都を出奔した綾梭と老母は、信濃路へと向かって馬を走らせました。小道、枝道、山また山に旅寝を重ね、信濃の国(長野県)水内(みのうち)郡戸隠山(とがくしやま)の麓を過ぎようとした時、宿を取り損ねたまま、日は暮れ、夜は更け、真っ暗な山道をあちこちうろうとと彷徨するうちに、ふと見えた灯りを訪ねゆけば、塀をめぐらし冠木(かぶき)門を構えた館にたどりつき、
「一夜の宿を貸してください」
 と頼むと、現れた主人は六十すぎの翁(おきな)、この村の庄屋を務める者でした。
 翁は快く宿を貸すと返答し、母娘のために風呂を沸かし、夜食をすすめ、ねんごろにもてなし、おかげで綾梭母娘はぐっすりと眠ることができたのでありました。
 翌朝、夜明けとともに目覚めた綾梭は、裏庭から「えい」「やあ」と声がするのに気づきました。隣で寝息をたてる老母をおいて、裏庭に出た綾梭は、年の頃は十七、八か、うら若き乙女が、木太刀を振って独り武芸の鍛錬にいそしむ様を眼にしたのであります。
 黙って見つめていた綾梭は、やがて、ぽつりとつぶやきました。
「もったいない」
 そのつぶやきが耳に届いたらしく、木太刀を振っていた乙女は、綾梭の方を見やり、
「もったいないとは、どういう事ですか?」
 とすたすたと足早に歩み寄ってきました。
「いや、その……」
 乙女の真剣なまなざしに、いささか狼狽えた綾梭は、
「娘さん、なかなかいい腕をしてらっしゃる」
 と言いました。乙女は納得せず、
「あんたはさっき、確かに、もったいないと言ったわ。その理由を知りたいです。理由を聞くまで、ここを一歩も動かしません」
 と、綾梭の袖をつかんで言い募ります。
「困ったなあ……」
 綾梭は頭をかきながら、言いました。
「あなたの太刀筋は器用だし、速さもある。でも、実戦に役立つかというと、難しいと思ったの」
「実戦で役立たないですって!」
 乙女はますますいきり立ちます。
「その言葉、正しいかどうか、勝負よ! あんたは間違ってるって証明してみせるわ!」
 言うなり乙女は、蔵の方に走っていきました。
「申し訳ありませんなあ」
 主人の翁がいつしか庭に現れ、綾梭に頭を下げました。
「あれは私の孫娘ですが、幼い頃から武芸を好み、炊事洗濯糸繰り機織りは見向きもしません。小さい時に両親を亡くしたため、つい私も甘やかしてしまいました。このあたりには武芸の師匠もおらず、我流で身に着けた技です。確かに実戦には通用しないかもしれない。言葉で説いても聞かぬ頑固な娘、どうか相手してやってくださいまし」
 綾梭は固辞しましたが、頭を下げ続ける翁についに折れ、
「ではお相手申しましょう」
 と口にしたその時、最前の乙女が蔵から駆け戻ってきました。手に抱えた木太刀と木薙刀を地面に放り出し、
「さ、長い武器か、短い武器か、どちらでもいいわ、好きなほうを使って」
 とにらみつけます。綾梭は微笑み、
「武器の好き嫌いはありません。まず、あなたが選んで」
 と言うと、乙女は薙刀を拾い上げ、風車のごとく自由自在、縦横無尽に振り回しはじめました。隙なく木太刀を構える綾梭はすぐに、相手の欠点を見抜きました。その技は、攻撃にのみ特化していて、相手の攻撃をガードする考えがまるでないのです。
「やあ!」
 乙女は気勢をあげて、打ちかかってきました。綾梭は落ち着いて木太刀で薙刀を払いのけます。思ったとおり、乙女の体勢は崩れ、隙だらけの構えになりました。さらに打ち込めば打ち倒すのは簡単ですが、世話になった家の孫娘を、怪我させるには忍びなく、綾梭はさっと後ずさって木太刀を構えました。
 乙女はますます興奮し、さらに薙刀を振り回してとびかかってきました。綾梭はすかさず薙刀を跳ね返しました。薙刀は娘の手を離れ、ぽーんと空中に飛び上がり、放物線を描いて地面に突き刺さりました。乙女は、慌てて薙刀を拾おうとして、ぎょっとして立ちすくみました。
 綾梭は右足で、乙女の股間を蹴り上げていました。ただし寸止めで、足の甲は娘の股間を打つ一センチ手前でぴたりと止まっていたのです。
「実戦で使うのは、武器だけじゃないわ」
 強張ったまま動けない乙女に、綾梭は諭すように言いました。
「わたくし、男と戦うときは睾丸を狙うの。武器を使わなくても一撃で相手を倒せるわ。女だったら、睾丸ほどの効き目はないけれど、股間か乳房ね。相手の急所を攻撃して弱らせれば、無用に武器を振り回さなくても勝てる。実戦とはそういうものです」
 綾梭が静かに足をおろすと、乙女はばっと地面に両手をつき、土下座しました。
「ご無礼、お許しください!」
 乙女娘は涙を流しながら詫びます。
「あたしの眼が節穴でした。あなたが、そこまで武芸の達人だと見抜けず、自分の未熟さも顧みず、ついつい生意気な口を聞いてしまいました。許してください」
「私からもお詫びします」
 主人の翁も、娘と並んで土下座しました。
「この里は女郎花(おみなえし)村と申しますが、古来、男が少なく女の多いところです。そのせいでしょうか、男のように気性の荒い女が少なくなく、特にこの孫娘、名は衣手(ころもで)と申しますが、環龍(たまりゅう)の模様を好んで、衣でも帯でも龍を縫いこんだ物を着るので、里人らは浮潜龍の衣手(ふせんりゆうころもで)と綽名する始末。思うにお客人は、世の常のご婦人ではございますまい。さぞ、名の通った女武者であるとお見受けしました。よろしければ、あと数日、この屋敷に逗留なさって、孫娘に武芸を仕込んでくださらんか」
 伏し拝む祖父と孫娘の姿に、いつしか屋敷から出てきた綾梭の老母も、
「急ぎの旅ではありません。お世話になったお礼に、ぜひ、武芸をお教えしてさしあげなさいな」
 と口添えします。
 断る理由もなく、綾梭は承知しました。衣手は大喜びで師弟の契りをかわし、翁は宴を開いて綾梭母娘をもてなしました。
 翌日から、綾梭は衣手に武芸十八般を教え込みました。娘は覚えがよく、一月もたたぬうちにすべて習得してしまったのです。
「もはや、わたくしがお教えすることはございません」
 綾梭は、衣手と祖父の翁に向かって日ごろのもてなしを謝しつつ言いました。
「衣手さんはもはや、一点欠けるところなき武芸者となられました。いつまでもお世話になるわけにもまいりませんし、明日、旅立ちたいと存じます」
 驚いて引き留める衣手と翁でしたが、綾梭は聞き入れません。翁は詮方なく、はらはらと落涙する衣手を慰め、
「で、これからいずこに向かわれますか?」
 と問うに、
「武田家に所縁(ゆかり)のある者を訪ね、つてを頼って仕官の口を探そうかと考えております」
「では、落ち着かれたら是非、手紙をください。御礼のご挨拶にうかがいますから」
 翌朝、翁は餞別として二十両を贈り、綾梭は深く謝して母とともに馬上の人となりました。翁と衣手は、涙を流しつつ一里ばかりお見送りし、再会を約して別れたのでございました。(ちなみに、綾梭の出番はこれで終わりでございます)

初編之参
衣手、戸隠山の三女賊と出逢い、
目代の軍勢を殲滅す


 さて、その年の暮れ、女郎花村の浮潜龍衣手の祖父は、風邪をこじらせ病床に伏しておりましたが、医療の甲斐もなく、とうとうこの世を去ってしまいました。衣手の嘆き悲しむこと限りなく、亡骸を野辺に送って葬り、ねんごろにお弔いをしました。
 跡を継いで庄屋となった衣手でございますが、一向に婿を迎える気配もなく、家の差配、田畑の耕作は、長年仕えてきた手代の螻蛄平(けらへい)に任せ、ひたすら武芸にいそしむまま、春が過ぎ夏が過ぎ秋七月(旧暦)の頃。
 折からの厳しい残暑に耐えかね、衣手は薄手の衣をまとい、すらりと伸びた素足をさらした姿で、ふらふらと外の河辺を歩いて風に当たっておりました。薄衣の胸元から豊かに実った乳房が顔を覗かせていましたが、衣手は意に介しません。彼女の武芸の腕前を知る里の男どもが、ちょっかいを出すはずもありませんから。
 屋敷に戻ると、塀の破れ目から、腰をかがめて中を覗いている男がおりました。怪しい奴。衣手は、足音を忍ばせて歩み寄り、いきなり背後から股間を蹴り上げました。
「ぎゃっ!」
 男はたまらず悲鳴をあげ、両手で股間を押さえ、しゃがみ込んでしまいました。
「誰よ、あんた! 痴漢?」
 衣手は、男の襟首を掴んで引きずり倒し、こちらに顔を向けさせたとたん、「あ」と叫んで右手を口に当て、
「なんだ、横七(よこしち)じゃないの。一体何やってたんだよう!」
 慌てた衣手が、
「大丈夫? 潰れてない?」
 しゃがみこんで男の袴を脱がせ、股間を確認しようとする衣手に必死に抗い、
「大丈夫です大丈夫ですから、離してください」
 と横七は必死で懇願しました。
 この横七という男、ふだんは山で木樵(きこり)をして生計を立てており、時折、衣手の屋敷を訪ねて、山で採れた椎茸や木の実を売りにきております。
「知らぬ仲でもないのに、こそこそ覗き見なんてするからだよ。間違って蹴り潰しちゃうところだったじゃないか」
 衣手は、安堵したようにけらけら笑って言いました。
「なんで覗き見なんてしていたのさ。うちの女たちが庭で行水(ぎょうずい)しているのを見たかったのかい?」
「そんな、滅相もない」
 横七は頭をかきかき弁解しました。
「こう暑くちゃ仕事もはかどりません。ここの男衆の鋤蔵(すきぞう)を誘い出して一杯やろうかと思って、いるかどうか確かめていたんでさあ」
「ほんとう? まあ、かわいそうだから、信じてあげる」
 笑みを浮かべて衣手、ふと訝しげな面差しになって問います。
「ところで横七、ふだんは椎茸や木の実を持ってくるのに、今日は手ぶらとは珍しいね」
「それが聞いてくださいよ」
 横七は情けない面持ちで言いました。
「近頃、戸隠山に三人の鬼女が住み着いて、夜な夜な里に下りてきて、金持ちや庄屋の家に押し入り金品を奪っているんでさ。守護目代(代官)の縄梨さまは、百貫文の褒美銭を出すからと、腕に覚えのある豪傑を募ったのですが、これまた悉く返り討ちという有様。とても恐ろしくて山に入るなどできやしません」
「そうだったの。鬼女の噂は聞いてはいたけれど、この女郎花村に現れる気配もないから、そんなにひどい有様だとは思ってもいなかった。よし、ここはあたしが一肌脱ごうじゃないか。その鬼女たち、見事退治して見せるから、その時には、安心して椎茸など採って、売りにおいで」
 そう励まし、小遣い銭を渡して横七を帰した翌日、衣手は、庭に酒食を用意して、村の女どもを呼び集めました。
「あんたたちも知ってのとおり、戸隠山に女盗賊どもが住み着いて、あちこちの里を襲っているという事だ。いずれ、この女郎花村にも来るだろう。わが村は古来、男が少なく、いても惰弱な連中ばかり。ここはあたしら女ががんばるしかないよ」
 そう言われて不安げな女たちに、衣手は声を励まします。
「みんなこれから武芸の鍛錬を欠かさず、賊の姿を見た者はすぐに鐘を鳴らし、鐘の音が聞こえたらみんな殻棹(農具)を持ってこの屋敷に集まって。あたしの指揮の下、盗賊どもを迎え撃ち、こてんぱんにやっつけてやるんだ。どう?」
 熱弁をふるう若き女庄屋・衣手に、村の女どもも次第に意気があがり、
「お嬢様の命令とあれば、あたいたちが何をつべこべ申せましょう。毎日、武芸を鍛えて、女盗賊どもをこらしめてやりましょう!」
 一議に及ばず異口同音に言い合い、宴の夜は更けていきました。

 さて、戸隠山の三人の女盗賊。
 その頭目(とうもく)は野干玉(ぬばたま)の黒姫(くろひめ)。年の頃は三十過ぎ。鎌倉幕府を開いた源頼朝と戦って敗れた木曽義仲の妻・巴御前の遠縁にあたります。素手で相手の首をねじ切ったと言われる巴御前ほど武術に秀でていたわけではありませんが、知略に優れ、胆力もあり、配下の信頼あつき指導者です。
 次席の小頭(こがしら)は、越路(こしじ)の今板額(いまはんがく)。やはり幕府に謀反を起こして亡ぼされた越後の大名・城資盛(じょうのすけもり)の叔母で勇猛で知られた板額の親類。
 もう一人の小頭は、戸隠(とがくし)の女鬼(しこめ)。これまた数々の讒言で御家人たちの憎しみを買った挙げ句、謀反を企てて幕府に討たれて滅んだ梶原景時一族の残党。この今板額と女鬼は、非常な力自慢でありました。
 三人はそれぞれ親族が滅ぼされた後、行き場を失って諸国を放浪していたところで出会って意気投合、義姉妹のちぎりをかわして戸隠山に立て籠もり、五十余の男どもを手下とし、異様の扮装(いでたち)に身を包んで里を脅かし、物を奪って山の砦に貯えていたのでございます。
 ある夜、三人の女盗賊は砦で酒盛りしておりましたが、ふと今板額が言いました。
「そろそろ、砦の兵糧も乏しくなってきた。またどこかで米を奪ってこないと、冬は越せないよ」
 これに応じていちばん年若い女鬼、
「では、川中島に行こう。あそこは物実(な)りがいい。目代(もくだい、地方代官)や庄屋の蔵は、ぎっしりつまった米や麦でうなっているはずだ。うん、明日にでもさっそく、やるとしようよ」
 今にも駆け出そうという勢いな女鬼を、黒姫は押し止め、
「川中島に行くには、途中、女郎花村を通らなくちゃならない。その村には浮潜龍衣手(ふせんりゅうころもで)という、近在にその名の轟いた女武芸者がいる。おとなしく、あたいらを通してくれるとは思えないのさ」
「ああ、あの衣手か」
 今板額も頷き、
「巴・板額にも劣らぬ剛の者らしいね。確かに厄介な相手だわ」
 二人の姐御分の言葉に苛立った女鬼、地団駄踏んで叫ぶよう、
「なんだい、ねえさんたち。衣手といやあ、たかが十七八の小娘じゃないか。そんな小娘を恐れるなんて情けない。いいよ、あたい一人でやる」
 砦を駆け出した女鬼、大声で配下の盗賊を集めます。
「おい、みんな行くぞ! 女郎花村は、男が少なくて、ほとんど女って事だ。好き勝手に抱くもよし、犯すもよし、手づかみで女の取り放題だよ!」
 へい! と叫んで配下の盗賊五十余名、それぞれ武器武具を持って集まりました。女鬼は甲冑に身を堅め、馬にまたがり、必死に押し止めようとする黒姫、今板額を振り払い、鐘や太鼓を打ち鳴らして、やかましく麓を指して駆け出したのです。
 さて女郎花村。
 楽器を鳴らして押し寄せる盗賊どもに、男どもは恐れ慌てふためき、村を飛び出し遁走してしまいました。
 しかし、衣手の指導を受けた女たちはちっとも慌てず、かねて示し合わせたとおり、殻棹を手に衣手の屋敷に集まりました。
「みんな、頼もしいわね」
 集合した百人の女たちを見回し満足げな笑みで頷いた衣手、小手、脛(すね)当てに身を堅め、小長刀をたばさみ、馬にまたがり女たちを従えて村外れまで押し寄せ、盗賊共の来襲を待つに、ほどなく現れたのが戸隠の女鬼と、五十余の配下たち。
 顔に鬼女の面をあて、身を白い絹織りの綸子の内着に緋色の袴、萌黄縅(もえぎおどし)の腹巻をまいて、髪を後ろざまに振り乱し、長い樫製の丁字型の突棒(つくぼう)をかいこみ、栗毛色の馬にまたがり、威風堂々と寄ってきて、大音声にて叫びました。
「あたいは戸隠山に住まう戸隠の女鬼。あんたら女郎花村に手出しするつもりはない。ただ、川中島に行って、米や食い物を借りたいだけなんだ。無事に通してくれりゃそれでいい。もし邪魔するようなら、皆殺しにして、肉醤(ししひしほ)にして喰っちまうから、そう思え。それがいやなら、さぁ、すぐに道を空けな」
 これに答えて衣手、馬を進めてからからと高笑い。
「冗談じゃないよ、愚かな盗賊め。子供だましの鬼面で、愚民を脅し、金品食糧を強奪するような卑劣な輩を、おとなしく通す女郎花村じゃない。あたしは女だが、代々この村を治めてきた浮潜龍衣手(ふせんりゅうころもで)。この女たちも、あたしが鍛えた一騎当千の勇者ばかり。飛んで火にいる夏の虫を、おめおめと川中島まで行かせるものか。どうしても通るというなら、勝負しな!」
「小娘が、生意気言いやがって!」
 激昂した鬼女、怒髪天を衝くばかりの勢いで、突棒を構えて衣手めがけて突進。たちまち突棒と薙刀がぶつかりあい、火花を散らして戦う女豪傑二人。
 その間、女鬼の配下の男ども、おめき声をあげて女郎花村の女たちに襲いかかりました。
「女だ女だ!」
「久しぶりに女を抱けるぜ!」
 目を好色に血走らせ、村の女どもに向かって走った賊どもに対し、女たちは怯まず立ち向かい、それぞれ、足をあげて股間を蹴り上げたのでありました。
 ぎゃ!
 ぐえ!
 ううう……。
 痛い!
 潰れる!
 お願い、潰さないで……ぎゃぁぁぁぁあ!!!!
 おのおの呻き声や悲鳴をあげて倒れた賊どもに、女どもは折り重なって群がり、殴る蹴るの乱暴狼藉。
「ち、ちきしょう!」
 衣手と互角に戦っていた女鬼。配下がことごとく女たちに陵辱される様に顔を真っ赤にして怒り狂い、
「まずお前を片付けて、それから女たちを皆殺しにしてやる!」
 大きく振りかぶった突棒を打ち込むと、衣手はさっと身をかわします。振り下ろした突棒は空を切り、勢いが止まらず女鬼は、衣手のすぐ右側に馬を乗り付ける形になりました。すかさず衣手は、薙刀の棹で女鬼の腕を打って突棒を打ち落とし、さらに馬を寄せて女鬼の腹巻きを掴んで、どうと投げ飛ばしました。馬から落とされた女鬼、ぶざまに地面に転がったところを、女どもが寄ってたかって取り押さえ、縄で縛りあげます。
「よーし、今日はここまで!」
 衣手はホラ貝を吹かせ、女たちを身の回りに集めました。
「みごと敵の大将を生け捕ったわ。みんな、よくやったね!」
 女たちは歓声をあげ、女鬼を引っ立てて屋敷へと入っていったのでありました。

 さて、戸隠山の砦では、野干玉の黒姫、越路の今板額ら、鬼女を案じて待っておりましたが、朝になって一人の配下が、血を噴く股間を押さえて這うようにして戻ってまいりました。断末魔の息の下から、女鬼は捕虜となり、他の配下はことごとく女どもになぶり殺されたと言い遺し、息絶えたのです。
「大変! かわいそうな女鬼、早く助けにいってあげなきゃ!」
 青ざめて立ち上がる今板額を、黒姫は押し止めます。
「あの大力の女鬼が生け捕りにされ、配下のほとんどはなぶり殺しになった。恐ろしいのは衣手だけじゃない。女郎花村の女たち百人を相手に、あたいら二人でかなうはずないじゃないか」
「じゃあ、どうするのさ」
 今板額の問いに、黒姫はしばし思案しておりましたが、
「あの衣手は、武芸にすぐれているだけじゃなく、情けある女だって聞くわ。ここは、その情けにすがるしかないよ」
 かくて黒姫と今板額は、徒手空拳で馬にまたがり、女郎花村へと向かいました。
 その頃、衣手は、屋敷の書院の柱に女鬼を縛り付け、庭に筵を敷いて宴席を作り、戦った女たちと車座になって、粥や酒で労っておりましたが、ふと、冠木門を叩く音が響きました。なんだろうと傍らの女たちに命じて庭の櫓に昇らせました。櫓の上から門の外を窺った女は、再び降りてきて、
「女が二人、馬に乗ってやってきました」
 と報告しました。
「二人? ひょっとして、戸隠山の黒姫、今板額が仕返しに来たのかな?」
 そういう衣手に、女たちは一斉に椀を置き、殻竿を取って立ち上がりましたが、櫓から下りてきた女は、
「いえ、それが……。二人とも確かにたくましい面構えなんですが、甲冑も着けず、武器も持っていないようなんです」
「え、そうなの。どういうことだろう?」
 衣手はとりあえず冠木門の扉を開けさせると、そこに立っていたのはやはり、黒姫と今板額。衣手の顔を視るなり、地面に手を突いて土下座し、それぞれ名乗りをあげました。
「あんたたち、二人だけ?」
 訝しんで問う衣手に、女盗賊は涙をはらはらと流しながら、かわるがわる陳べました。
「あたいらの末っ子ぶんの女鬼が、とんだご迷惑をおかけしました。実はあたいらも止めたんですが、あえなく生け捕りになったのは、あいつの自業自得です。ただ、あたいら女三人は、主が愚かにも謀反を起こして亡ぼされたために、家を失い、一族を失い、身の置きどころのないまま、固く義姉妹のちぎりを結び、死ぬならば同じ日と心に決めていたのございます。武名のみならず、義に篤いお人と近在で評判の衣手さんの手にかかって死ぬならば本望。どうかあたいら三人、そろって首をはねてください」
「うーん」
 しばし腕組みして考えていた衣手、やにわに膝を打ち、
「わかった。あんたら盗賊とはいえ、姉を思い妹を思う気持ちに、あたしゃ心打たれた。窮鳥懐に入れば猟師もこれを捕らずというじゃないか。よし、妹さんは返してあげる」
 驚いて顔をあげた女盗賊二人に、衣手は笑顔で言いました。
「ちょうど、お酒もご馳走も用意してあるわ。今夜は一緒に呑みましょ!」
 かくて女鬼は解き放たれ、女盗賊は三人そろって酒食にてもてなされ、
「もう盗賊稼業はするんじゃないわよ」
 と衣手に懇々と諭されました。女盗賊たちは、
「わかりました。あたいら足を洗います」
「奪った金品財宝は、衣手さんが差配して、あたいらが襲った村に返してください」
「今後は、山の鳥獣、木の実、椎茸を集めて売り歩き、真面目に働いてくらします」
 と口々に誓い、戸隠山に帰っていったのでございました。

 その後、女盗賊三人は誓いを守り、盗賊に悩まされる事もなくなった戸隠山の麓の里々には平和が戻りました。元女盗賊たちは時折、山で採れた雉や鹿、猪などを衣手の屋敷に届けるなど仲良く交わりを保ちつづけました。
 かくて秋もはや八月十日余りになった頃、衣手が思いついたのは、十五夜に黒姫たちを招いて酒宴を催そうという事でした。さっそく手紙を書いて手代の螻蛄平に持たせて使わしたところ、大喜びの三人は、螻蛄平をねんごろにもてなし、酒を飲ませて駄賃三両を与えて帰したのです。
 ところが、ここで思わぬ事態が起こります。女郎花村へと帰り道を急いだ螻蛄平でしたが、やがて酒の酔いが昇ってきて、やがて足元も定まらなくなり、木の根に躓いて転び、そのままぐうぐう眠ってしまったのです。
 そこに来合わせたのは、例の木樵の横七でした。草むらに俯せに倒れた者に気づき、歩み寄ると顔見知りの螻蛄平、酒臭い息をまき散らすような大鼾(いびき)。その懐から財布が半ば顔を覗かせているのに気づき、そっと引っ張り出して中を改めると、金三両と、黒姫の名を記した手紙が出て来ました。
「あの衣手のやつ、なんと戸隠山の女盗賊どもと密かに交際してやがった」
 横七、仰天しましたが、やがて思案しました。
「この手紙を持っていって目代様に訴え出れば、あの女、打ち首はまぬがれねえ。そしておいらは、たんまりご褒美にあずかれる。小娘め、女の癖に庄屋になんぞなって、威張りくさりやがって。大の男が金玉蹴り上げられた恨み、どれほど深いか思い知るがいい」
 悪心に取り憑かれた横七、奪い取った財布と手紙を懐にしまい、足早に去っていったのでありました。
 やがて夜更け、さすがの寒さに目を覚ました螻蛄平、慌てふためいて懐を探ると、財布も手紙もありません。
「これは困ったな。財布はともかく、手紙をなくしたとあっては面目が立たねえや」
 螻蛄平、言い訳を思案しつつ家路を急ぎ、ともかく屋敷に戻り着くと、衣手、労をねぎらった後、
「で、お返事はいただいたかい?」
 と訊ねます。螻蛄平、澄ました顔で答えました。
「お三方とも大喜びで、さっそく返事を書こうと言われましたが、わしの一存でお断りしました」
「え、なんで?」
「お三方は、生まれ変わって真面目にお働きとはいえ、まだ目代から手配中の身。うっかり手紙を預かって、帰り道で不慮の事故にあい、手紙が世間に出れば、お嬢様は大変な事になります。わしが口上をうけたまわり、帰ってお嬢様にお伝えしますと申しましたところ、お三方は、それもそうだね、と納得され、十五夜には必ず山の獣を持参しますとお伝えしておくれ、と言われました」
「それはよかった」
 衣手は嬉しげに頷き、
「さすがは祖父の代より忠実に仕えてくれた螻蛄平ならではの才覚、よく気づいてくれました」
 と褒め称えたのでありました。

 さて十五夜になりました。
 仕留めたばかりの鹿の肉を携えて女郎花村を訪れた黒姫、今板額、女鬼は奥座敷に迎え入れられ、酒肉を並べ、月を眺めつつ楽しく宴となりました。仕える女どもは皆家に帰し、屋敷には衣手、黒姫、今板額、女鬼の四人と、老いても独身の手代の螻蛄平だけです。
 ふと外にがやがやと人馬の声が響きました。
 驚いた衣手、三人を奥座敷に残して庭に出てみれば、屋敷を囲む大勢の軍兵、馬にまたがって指揮を執るのは、水内の目代、縄梨氏内(なわなしうじない)。塀の外から大音声でわめくには、
「戸隠山に籠もっていた謀反人の黒姫、今板額、女鬼ら三人が、この屋敷に匿われていることは、訴人があって我等が知るところとなった。これを匿った衣手も同罪だ。大人しく縛につけ。抵抗するなら屋敷に押し入って皆殺しにするぞ。さぁさぁ!」
「何をおっしゃるんです!」
 衣手は叫び返しました。
「その三人を匿った覚えはありません。早々にお帰りください!」
「うるさい。言い逃れは無用、ちゃんと証人もいるのだ!」
 縄梨が指さす方を見れば、木樵の横七、したり顔で立っています。懐からくだんの手紙を取り出してひらひらと翳し、
「衣手さんよ、あんたと戸隠山の女盗賊たちが密かに通じているのは、この手紙で明らかだ。観念して縛につきな」
「なんだって!」
 愕然とした衣手、いったん屋敷に戻って螻蛄平を呼びつけ、
「お前は、黒姫からの返信はなかったと言っていたはず。なぜ横七がないはずの手紙を持っているの?」
 と詰問するに、螻蛄平、もはや逃れられぬと観念し、すべて白状に及びました。
「ああ螻蛄平、お前が正直に打ち明けていれば、こんな事にならずにすんだものを……」
 大層な剣幕の衣手におそれをなした螻蛄平、不意に何を思ったか、庭に飛び出し、目代の軍勢に向かって叫びました。
「方々、女盗賊どもは、東の奥座敷にいます!」
「螻蛄平! 何を言うの!」
 遅れて飛び出して来た衣手の叫びに耳も貸さず、螻蛄平はわめきつづけました。
「女盗賊どもは東の奥座敷です。わしは何の関わりもありません。わしの命だけはお助けくださいまし!」
「卑怯者、許せない!」
 衣手は、螻蛄平に飛びかかると、その股間を膝で二度三度蹴り上げました。螻蛄平の睾丸は二つとも破裂し、口から血反吐をはいて倒れ、断末魔の痙攣に悶絶するばかり。
「賊どもは東の奥座敷にいるぞ! 取り囲んで捕らえよ! 殺してもかまわん!」
 目代・縄梨の声に、軍兵どもは「おう!」と雄叫び、門を破って邸内になだれこみます。
「もはやこれまで」
「こうなったら戦うのみよ!」
「お前らこそ、皆殺しだぁ!」
 奥座敷から飛び出してきた三人の女たちとともに、衣手は薙刀を振り回し、軍兵どもの中へ割って入り、縦横無碍に斬り伏せ斬り伏せ、数十の軍兵たちの多くは忽ち屍の山となり、残る兵どももすっかり怯え、物陰に隠れ、息を潜めるばかり。これを見てすっかり怖じ気着いた目代の縄梨、馬首を返して逃げようとしましたが、すかさず衣手が放った薙刀が馬の胴を貫き、たまらず落馬した縄梨、起きあがると同時に、女鬼の振り下ろした突棒に頭を割られ、さらに睾丸を踏み潰され、甲高い絶叫とともに息絶えました。
 これを見て悲鳴をあげたのが木樵の横七、一目散に冠木門に向かって走り出しました。
「あいつだけは逃がさないで!」
 衣手の叫びに、近くにいた黒姫が横七に飛びつきました。横七、これを突き飛ばして逃げようとしたところ、
「姉さんに何をする!」
 駆けつけた女鬼、横七を背後から羽交い締めにし、今板額と立ち上がった黒姫、かわるがわる横七の股間を蹴り上げ、あわれ横七の睾丸はぐじゃぐじゃに破裂し、陽物は原型をとどめぬまでに破壊され、血反吐をはいて絶命したのでありました。
 それから四人の女たちは残りの軍兵を皆殺しにし、
「さて、これからどうしようか」
 と思案に耽るうち、女郎花村の女たちがわらわらと集まってまいりました。それを見て黒姫が言うには、
「目代の兵を皆殺しにしたからには、信濃の国守護は、さらに軍勢を募って攻めてくるよ。そうなったら、この女たちだってただですむとは思えないわ」
「そうだね。困ったねえ」
「それで、実は姉さんに相談なんだが」
「姉さん?」
 衣手は困惑して黒姫に言いました。
「いつからあたしが、あんたらの姉さんになったのさ。あたし、いちばん年下じゃないか」
「いや、あたいら決めたんだ」
 女鬼が衣手の足元にひざまずき、さらに今板額、黒姫が続きます。
「あたいら三人、衣手さんを長姉と仰ぎ、戸隠山の砦に戻ろうと思う。この村の女たちも引き連れて、だ。あたいらの配下五十人を皆殺しにした頼もしい女たちだ。これで姉さんがあたいらの頭目として采配を振るってくれりゃあ国守護の軍勢も迂闊には手を出せないはず。だから、姉さん、一緒に行こうよ、戸隠山に」
 衣手は俯いて聞いておりましたが、やがて静かに首を振りました。
「悪いけれど、あたしは一緒には行けないわ」
「なんでだよう?」
 涙目で詰め寄る三人に、衣手は涙を浮かべて言いました。
「あたしは、義を果たそうとしたばかりに、この女たちが女郎花村に住めないようにしてしまった。あたしは十七、まだまだ未熟者だよ。幸い、甲斐の国(山梨県)にはあたしが師と仰ぐ綾梭さんがいる。もう一度、綾梭さんの下で修行し、一人前になったら、またあんたたちに会いにいくよ。だから、あんたたちは寄る辺のなくなった女郎花村の女たちを、戸隠山に住まわせてやってくれないかなあ。お願いします」
 深々と頭を下げる衣手に、黒姫ら三人も諦め、泣きの涙で再会を約束した後、黒姫らは女郎花村の女たちを連れて戸隠村へ、衣手は甲斐の国へと、向かったのでありました。                           (初編・了)


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