傾城水滸伝
第二編・花殻の妙達の巻



二編之壱
衣手、甲府で花殻のお達と知り合い、
お達、悪辣な後家を折檻する


 さて、黒姫、今板額、女鬼と別れた衣手は、夜に日を継いで甲斐へと向かい、やがて、甲府のご城下へと至ったのでありました。
 山に囲まれた賑やかな市街に、軒を並べる商家の数々、そのなかに「御休憩所」と記した旗を掲げて、煎じ茶と菓子を供する茶店がありまして、旅の疲れを癒すべく、床机に腰を下ろした衣手、
「ああ、人心地ついた」
 と茶をすすってため息を漏らした後、
「ねえ、おばさん」
 と茶店の老婆に声をかけました。
「このご城下に、綾梭という名前の女の人がいるはずなんだけど、知りませんか?」
「あやおさ……?」
 小首を傾け考え込む老婆に、衣手は重ねて問いました。
「剣術、柔術、武芸百般に秀でた、きれいな女の人よ。去年の夏頃、武田家を頼っていくとおっしゃって別れてから随分経つわ。評判にならないはずはないんだけどな」
「たぶん、いないと思うよ」
 背後より声がする方を見返れば、肉付きふっくらとして色白の、年は二十歳半ばほどか、眼の大きな愛らしき顔立ちながら、背高く、肩幅広く、腕や足腰の頑丈そうな大女が、串にさした団子をほおばりながら言いました。
「あたしは、このご城下で武芸に秀でた女はみんな知っているつもりだけれど、綾梭なんて名前の人はいないの」
「え、そうなんですか?」
 がっかりした面差しになった衣手に、大女は重ねて問いました。
「あんたが探してる綾梭というひと、武田家を頼って都を出たと言ってたね?」
 はい、と頷く衣手に、大女は重ねて、
「その武田は、甲斐の武田かい? 若狭の武田かい?」
 そう問われ、衣手は言葉に詰まりました。武田家は甲斐源氏の出ですが、甲斐の国だけでなく若狭にも根拠地を築いていたのです。
「それほどの武芸者がこの甲斐にいれば、あたしの耳に入らないはずはないと思うんだ。その綾梭さんはたぶん、若狭に向かったんだと思うよ」
「そっかー!!!」
 衣手は思わず両手で頭をかきむしって天を仰ぎました。
「甲斐の武田か、若狭の武田か、聞いておけばよかった。せっかく仲良くなった黒姫さんたちと涙涙でお別れしてまでここに来たのに、とんだ無駄足だった!」
「ん、黒姫?」
 大女は聞きとがめて問いました。
「黒姫って、ひょっとして信濃の戸隠山に籠もってる有名な女盗賊のこと?」
 衣手は、右手で口を覆って黙りました。衣手も黒姫たちも手配中の身。見ず知らずの者に、正体を知られるわけにはいきません。
 大女の訝しげな視線を避けて顔を背けた時、「お達(たつ)さぁん! お達さぁん!」と、小娘が一人、店に駆け込んでまいりました。
「あら、蕎麦屋のお道ちゃんじゃないか、どうしたんだい?」
 お達と呼ばれた大女が問うと、小娘は肩で息をしながら、
「乱暴者が三人、お店で暴れているんです。お達さん、なんとかしてくださいな!」
「よっしゃ! 合点承知!」
 大女は腕まくりし、
「用心棒の出番だね!」
 きびすを返して、店を飛び出します。あっけにとられて見つめていた衣手に、茶店の老婆は説明しました。
「あのひとはお達さんといって、元はといえば、国主・武田さまの奥方様にお仕えする御女中だったんですよ」
「へえ、そうなの」
「男もかなわぬ大力の持ち主、弱きを助け、強気を挫(くじ)く義侠心の持ち主ですが、短気で喧嘩っぱやく、酒癖が悪いのが玉に瑕、御城内で酔っぱらい、喧嘩騒ぎを起こして追い出され、今はご城下で用心棒のような仕事をしているんです。人呼んで花殻(はながら)のお達、甲府では知らない者のいない名物女です」
「おもしろそうなひとね。あたしも見物しようっと!」
 衣手は笑顔で立ち上がり、床几に銭をおいて、お達という大女の後を追いました。

 四軒先の蕎麦屋の店内は騒然としておりました。旅の無頼漢が三人、土下座する主人を囲んで難癖をつけております。聞けば、蕎麦のつゆに虫が入っていたとかいないとか。
「ちょっと待ったぁ!」
 そこに、取り囲む野次馬を押しのけ、三人の無頼漢と蕎麦屋の主人の前に割って入ったのは、言うまでもなく花殻のお達です。
「なんだ、おめえは?」
 威嚇するように詰め寄る無頼漢たちにお達は、
「話は聞いたよ。蕎麦に虫が入っていたんだって?」
「そうだ」
「客に虫を食わせるとはけしからん蕎麦屋だ」
「今、懲らしめているところだ。邪魔するな」
 口々にわめく無頼漢に、お達は言い放ちました。
「ばか言ってんじゃないよ。この蕎麦屋さんはね、このへんでも評判の大真面目な男だ。飯屋で食い物に虫を放り込んでタダ飯を喰らい、あわよくば恐喝して金銭を巻き上げるなんざ、食い詰めた無頼漢の常套手段じゃないか。この武田のご城下での乱暴狼藉は、この花殻のお達さんが許しちゃおかねえ」
「てめえ、生意気な!」
 一人の無頼漢がお達に歩み寄り、胸ぐらをつかんでゆすぶります。
「女の癖に、引っ込んで……ろ……」
 言葉は途中で途切れました。無頼漢の体が宙に浮き、眼を見開いて顔を強ばらせております。
 お達は、無頼漢の股間を蹴り上げていたのです。自分より背の高い大女のお達に蹴り上げられ、無頼漢のつま先は地面を離れて浮き上がっておりました。蹴り上げた膝をおろすと、無頼漢は紙のようにへなへなとくずおれ、ぴくりとも動きません。
「次にきんたま潰されたいのは誰?」
 お達は涼しい顔で、残る二人の無頼漢を見回しました。
「おとなしく引き下がったら、潰さないでおいてやるよ。きんたま潰れると、女を抱く事はおろか、手淫もできなくなるんだよ。まして女にやられたとあっちゃ、とんだ恥さらしだ。ここは知恵の使いどころじゃないの?」
「だ、黙れ!」
 無頼漢たちが、刀を抜き放ち、わめき声をあげて突進してきました。お達は落ち着いて、先頭切って突進した無頼漢の足を払って転倒させ、もう一人の無頼漢の振り上げた腕を両手で掴み、そのまま足で股間を蹴り上げました。つま先が無頼漢の陰嚢に命中、みごと一撃で睾丸を二つとも破裂させてしまいました。
「ぐえっ……」
 蛙のような甲高い悲鳴をあげ、無頼漢は両手で股間を抑えて倒れました。抑えた手の指の間から血が噴き出しております。転んだ無頼漢は、戦意を失い、慌てて起き上がると悲鳴をあげて逃げだそうとしました。
 そこに立ちはだかったのが、後を追って茶店から出てきた衣手でした。
 無頼漢の右腕をつかんで軽くひねると、無頼漢は空中で一回転して無様に地面に転がりました。仰向けに転がった男の股間に衣手は、えい! と拳を打ち込みます。
 拳は睾丸に命中し、拳と地面との間で押し潰された睾丸は、皮膜が避け、中身が飛び出し、男の股間を赤く染め始めました。男は白眼を剥き、大きくのけぞったままぴくりともしません。
「あんた、なかなかやるじゃない」
 立ち上がった衣手に歩みよったお達、ぽんと肩に手をおいて感嘆の声を漏らしました。
「茶店でのあんたの物腰、ただ者じゃないと思っていたけれど、さぞ名のある武芸者と見た。ぜひ、名前をおしえてくれねえかな」
「実は、わけがあって、この往来じゃ名乗れないの」
 衣手は、土下座して感謝する蕎麦屋の主人や、ますます増える一方の人だかりを見回して言いました。お達は頷き、
「近くにいい店がある、お近づきの印に一杯やりましょ」
 と笑顔で誘ったのでありました。

「へーえ、あんたが女郎花村の浮潜龍衣手さんか!」
 呑み屋の座敷に落ち着いたお達は、膝を叩いて喜びました。
「戸隠山の盗賊五十余を皆殺しにして叩き潰し、悪名高い水内郡目代の軍勢を一人で全滅させたって浮潜龍衣手さんの武名は、ここらでも知なぬ者はいないほどなんだ。とんだご縁でお目にかかれて嬉しいよ」
「話が大袈裟よ」
 衣手は頭をかいた。
「盗賊五十人を全滅させたのは、あたしが武芸を仕込んだ女郎花村の女たちだし、目代の軍兵と戦った時も、仲間が三人いた。あたし一人がやったわけじゃないの」
「それにしたってたいしたもんだよ。細かい事はいいから、呑もう呑もう。あんたの武勇伝、ぜひ詳しく聞かせてよ」
 互いの数ある武勇伝披露に花を咲かせている最中、隣の座敷からすすり泣く声が漏らす声が漏れて参りました。
「ちょっとちょっと」
 ちょうど膳を運んできた仲居を、お達が呼び止めました。
「せっかく楽しく喋っているのに、ああ泣かれちゃ興が冷めるじゃないの」
「お客人、お腹立ちはごもっとも、まことに申し訳ございません」
 仲居は、手を突いて詫びつつ言いました。
「あれは、お客様の招きに応じる色子でございますが、何か悲しい事があったのでしょう。まだ年端もゆかぬ子どもなので、何とぞお許しくださいまし」
「ふーん、色子ねえ」
 色子とは、陰間(かげま)とも申しまして、要するに男娼でございます。お達は首を傾げながら、
「色子がお座敷で泣くとは、よほど深い理由があるはずよね。ねえ衣手さん、その色子をここに読んで話を聞いてやりたいんだけど、いいかな?」
 衣手は頷き、やがて仲居に連れられ、年の頃十三四の美少年と、その母親らしき女が現れました。
「お前たち、なぜ泣いていたの? あたいはこのあたりじゃ顔の知られた花殻のお達、この人は女郎花村から来られた名高い女武芸者だ。話によっちゃ助けになってやるぜ」
 そう問うお達に、母親ははらはらと落涙しつつ語るよう、
「この子は優之介(やさのすけ)と申しまして年は十三、幼き頃から田楽(でんがく)を習い覚え、大道芸にて世をわたっておりましたが、とある事情で郷里を立ち退き、縁者を頼って甲斐の国に流れて参りましたところ、あてにしていた者は病で世を去っておりまして、やむなく郷里に戻ろうにも路銀を使い果たし困っていたのです。
 そんな時、この近くの海老根橋のほとりに店を構える塩物問屋の女主人、貝那(かいな)という後家さんが、優之介を抱えたいと申し、その代金として百両の手形を書いてくださいました。ところがこれが不渡り手形、抗議しても言を左右してお金を振り込んでくれません。それどころか貝那はさんざん優之介のからだをもてあそんでおいて、百両は借金早く返せと矢の催促。貝那には後見人として代野介兵衛(だいのすけべい)という十手持ちがついているので、どうすることもできません。このお座敷で田楽の芸を見せつつ、稼いだお金を借金返済に充てておりますが、利息が高く、借財はふくれあがるばかり。こうなったら二人して身投げでもするしかないと嘆いていたのでございます」
「そりゃ、ひどい話じゃないか」
 お達は立ち上がり、うつむいて泣く美少年の肩に手を置いて、
「わかった。このお達さんの耳に入った以上、このままにはしておかねえ。安心しな」
 と言い、それから衣手に向かって、
「ねえ、衣手さん。あたしは今、持ち合わせが三両しかない。この母子に路銀を渡して甲府から発たせてやりたいんだが、これじゃ足りないと思うんだ。あんた、都合きかせてくれないかな」
「いいわよ」
 衣手は、己が路銀から十両を取り出し、両手を合わせて伏し拝む母子に渡しました。母子は何度も頭を下げ、店を出ていきました。
「しかし、お達さん」
 衣手が思案顔で言いました。
「その貝那って女、よほど腹黒く欲深いんじゃないの。あの母子に逃げられて黙っているかしら。追っ手を差し向け草の根わけても探し出し、金を搾り取ろうとするに違いないわ」
「大丈夫さ」
 お達はぽんとふくよかな胸を叩いて請け負います。
「その百両、あたしがきれいにしてやるよ」
「あんたが?」
 衣手は目を丸くしました。
「そんな大金、持ってるの?」
「まさか」
 お達は右目をつぶって笑いました。
「貝那を説得して、ちゃらにしてもらうの」
「あんたの説得を聞き入れるようなタマなの?」
「わかんね。聞き入れねえようなタマなら、潰すまでよ」
 その意を理解し、衣手は笑って言いました。
「貝那って女なんだろ、どうやってタマを潰すわけ?」
 お達も吹き出し、声を合わせてひとしきり哄笑した後、衣手は真顔になってこう言いました。
「あたしも助太刀しようか?」
「いや、あたし一人でやるよ」
 お達は首を振りました。
「貝那にゃ、おかみの御用をつとめる十手持ちがついてる。事の次第じゃ面倒な事になりかねない。知り合ったばかりの友だちを巻き込むわけにゃいかないよ」
 衣手は頷き、
「わかった。あたしは当分、ここに残って綾梭さんを探すつもり。また、逢おうね」
 再会を約して抱擁した後、二人は座敷を出て別れたのでありました。

 さて海老根橋のたもとに着いたお達、塩物問屋「なまよみ屋」をのぞいてみると、塩漬けの魚の樽や塩昆布が並び、荒っぽそうな職人たちが働く中、大声で指図している、ふくよかで艶めかしい三十女こそ、貝那であります。
「邪魔するよ」
 と暖簾(のれん)をくぐって入ってきたお達を見た貝那、笑みを作って小腰をかがめ、
「これはお珍しい。何の御用でございましょう」
 と頭を下げれば、お達はふんぞりかえって答えます。
「久しぶりに武田の奥方様にお目にかかったら、新鮮な塩鮪をご所望とのことだ。血合いのないところを一升、賽の目に刻んでくんな」
「お安い御用です」
 と頷いた貝那、安吉、安吉と、奥で包丁を振るっている職人を呼びつけようとしたのを、お達は両手を振って押し止め、
「いやいや、これは奥方様のお言いつけだ。主人みずから刻め」
 と命じます。やむを得ず貝那、みずから鮪を刻んで竹皮に包んで差し出しました。
「あ、いけない! これだけでは足りないんだった。塩鮪の血合いばかりを一升、賽の目に刻んでちょうだい」
「はぁ? 血合いばかりを一升、何になさるんです?」
「奥方様のご命令よ。お前は言うとおりにすればいいの!」
 男に勝る大女のお達に怒鳴られ、貝那、やむなく大汗流して血合いを賽の目に刻み、また竹皮に包んで差し出しますと、お達、今度は
「あ、いけない! まだあったんだった。塩鮪の骨ばかりを一升、賽の目に刻んでちょうだい」
 さすがに顔色を変えた貝那、
「ちょっと、お達さん、あんた、あたしをからかってるの?」
 がらりと口調を変えます。女主人の口調の変化に気づいた荒くれの職人たちも、包丁や手鈎など、すぐにも武器になりそうな道具を手に提げて集まってきました。
「さっきからおとなしくしてりゃつけあがりやがって! なんだい、武田の奥方様の威を借りて、この貝那さまを強請(ゆす)ろうって魂胆かよ!」
「強請(ゆす)りだって? 人を見てものをいいな。この花殻のお達、生まれてこの方二十余年、強請りたかりを働いた事ぁ一度もねぇんだ!」
 言うなり竹皮の包みを投げつけると、貝那の顔に命中してほどけ、色っぽい顔が鮪の切り身や血合いでべたべたに。
「てめえ!」
 一人の職人が包丁を振りかざして斬りつけてきました。お達は少しも慌てず刃をかわして飛び退り、よろけてつんのめった職人の股間に背後からつま先蹴り。職人、両手で股間を押さえてうずくまるも、お達も地面に飛び散った鮪の切り身に足を滑らせ、あやうく転びそうになった隙を逃さず、一人の職人が背後からお達に抱きつきました。
 今だ、とばかりもう一人の職人が手鈎を振り上げて駆け寄るより早く、お達は後ろに足をはねあげ、右の踵で抱きついた職人の金玉を蹴り上げ、怯むところを飛び退くと、襲いかかってきた職人の手鈎の切っ先は、お達に抱きついてきた職人の脳天を直撃。朋輩の頭に手鈎を打ち込んで仰天し棒立ちになった職人は、これまたお達に睾丸を蹴り上げられ、両手で股間を押さえ床を転げまわって悶絶します。
 店の奥で見ていた小僧、こりゃ大変、介兵衛の旦那を呼んでこなきゃ、とそっと抜け出したのにも気づかず、お達は店にいた職人全員の睾丸を蹴り潰し、「なまよみ屋」の店内は、去勢された男たちの断末魔の呻きで満ちあふれたのでありました。
 呆然と腰を抜かした貝那の胸ぐらを掴んで立たせたお達、まずは股間を膝で蹴り上げました。尾てい骨を砕かれ苦しげに顔を歪めた貝那の乳房を、お達は拳を固めて殴りつけます。またも急所を責められて泣き叫ぶ三十女の胸ぐらをますます締めあげたお達、
「色気違いの貝那、あんたが十手持ちを色仕掛けでたらし込み、お上の御用を笠に着てしたい放題だって事は先刻ご承知だ。しかも貧しい者を騙して借金を背負わせ、ひどい目にあわせているそうじゃないか。天にかわってこのお達さまが、お仕置きしてやるから、そう思え!」
 言うなり、ぽかりぽかりと三度ばかり顔を殴り付けると、鼻柱は折れて血が噴き出し、顎が砕かれて下口がだらりと垂れ、眼球は飛び出し、大勢の男を狂わせた美貌は見る影もなく破壊され、血みどろになって倒れてしまいました。
 その時、
「貝那、大丈夫か!」
 と駆け込んできた男がおりました。お達には目もくれず、倒れた貝那に抱きつき、「おい、お前、しっかりしろ!」と揺すぶっておりましたが、やがて「死んじまった!」と絶叫、くるりと振り向いてお達を見やり、
「てめえか、貝那を殺したのは!」
 と、引き抜いた十手を振りかざして突進。言うまでもなく、お達の蹴り上げたつま先に睾丸を砕かれ、俯せに倒れてしまいました。
「あ!」
 俯せになった男の手に房のついた十手が握られているのが、お達の眼に映りました。仰向けにすると、苦悶に顔を歪ませて絶命したのは、貝那の愛人の十手持ち、介兵衛その人。
「しまった。役人を殺しちゃった! 貝那も、懲らしめるだけのつもりが、怒りに任せて、あの世に送っちまったよ!」
 髪の毛をかきむしって後悔するお達でしたが、やがて、
「こんな悪人たちのために犯罪者になってたまるもんか。あとは野となれ山となれ、おら知ぃらねっと!」
 そのまま店を駆け出し、甲府の町を逐電して去ったのでありました。

二編之弐
花殻のお達、優之介母子と再会し
百倉長者の紹介で出家、妙達の法名を給わる


 甲府を出奔した花殻のお達、行方さだめぬ気ままな一人旅を続けているうちに、近江の国(滋賀県)の大津の宿(しゅく)にさしかかりました。通りかかった街の辻に高札が立っており、大勢の人が囲んでおります。
「なんだろ」
 興味津々、高札を見上げると、女の似顔絵の横になにやら書いてありましたが、あいにくお達は無学、文字を読むことができません。
 なんて書いてあるの? 学のありそうな人を選んで訊ねようとしたとき、ふと何者か、袖を掴んで引っ張る者がおります。振り向くと、甲府で助けた優之介の母親でした。
「あれえ、奇遇だねえ。元気だったかい?」
 喜ぶお達を手をあげて制止し、周囲をうかがった後、優之介の母は密かに耳打ち、
「ちょっと、こちらへ」
 袖を引いて人垣から抜け出し、人けのない裏通りに出てから、声を潜めて言うには、
「あの高札は、あなたの人相書きですよ」
「え、あそこに描いてあったの、あたしの顔なの?」
「そうですよ。おかげさまでわたくしと優之介は助けていただきましたが、あなた様は役人と後家を殺(あや)めた凶悪犯として、全国に手配書が廻っているんです。あなたを捕らえた者には百貫文の褒美銭も出るとか。ご無事でいらっしゃればよいがと、優之介ともどもお祈り申し上げていたのでございますよ」
「そうだったんだ……」
 こんなところまで手配書きが廻っていたとは、ほんとうにお尋ね者になっちゃったんだなあと悄気(しょげ)るお達に、優之介の母はこう申しました。
「あの後、わたくしどもは京の都に上るつもりで旅を続けておりましたが、ここから一里先の山科の、百倉長者(ももくらのちょうじゃ)と呼ばれる裕福な女性と知り合い、その方が優之介をお気に入られ、そのままお屋敷に逗留してご寵愛を頂戴しております。わたくしも、お屋敷近くに家を一軒いただきました。長者様は心の寛いお方で、あなた様に助けていただいた事や、凶悪犯として追われていることを申し上げると、それは気の毒な、なんとか力添えしたいものと申されておりました。いかがでしょう。長者様にご紹介してさしあげますゆえ、身の振り方を御相談になっては?」
 他にいい知恵も浮かばず、お達は優之介の母親の説くままに、山科なる百倉長者の広壮な屋敷へと向かいました。屋敷に入ると小走りに現れたのは、きれいに化粧し着飾った優之介。お達の前に身を投げ出し、号泣しながらお礼を申し上げます。
 その後、出された茶菓を喫しながら、「なまよみ屋」の後家や十手持ちの介兵衛、さらに荒くれの職人たちを手当たり次第にぶちのめした次第を語ると、母子は目を丸くして、お達の剛力に感嘆するばかり。
 そのうち、百倉長者が供を連れ、駕籠に乗って帰還しました。四十路に手が届こうかという年格好、清々しげな面差しの長者は、座敷でお達と向かい合い、
「かねてより、優之介母子からお噂はうかがっておりました。よろしゅうございます。わが屋敷の離れを提供いたしますゆえ、ほとぼりが醒めるまで、ゆるりとお過ごしいただきたい」
「ありがたい。恩に着ます」
 とお達、涙をこぼし、長者の義侠心に深く感謝いたしました。

 それからというもの、お達は、百倉長者に旅で見聞した四方山話を聞かせたり、優之介母子とおしゃべりしたり、時にはせめてもの御礼と薪を割ったりして過ごしましたが、ある時、長者の下人が三人、酒や肉を手に、お達の住まう離れにやってきました。
 座敷にあげて対座すると、三人は一斉に土下座し、
「お願いしやす。どうかわしらを、子分にしてくだされ」
 と声を揃えて懇願。困惑するお達に、一人の男が顔をあげ、
「優之介さんから、お達姐御の話を聞き、腕はたつし気っ風もいい方だ、ぜひ親分として仰ぎたいと、常々話し合っていたんでさ。どうか何卒、願いをお聞き入れください」
「子分ねえ……」
 お達は頭をかきかき「うーん」とうなって考えておりましたが、大酒呑みの彼女、下人が持ち込んだ酒樽が気になって仕方なく、ちらちら視線を走らせているうち、やがて笑顔になって、
「あたしゃ気ままもンで、親分子分のちぎりなんて考えたこともないが、こう頭を下げられちゃ無碍(むげ)にもできないなあ。まあ、固いことは後にして、その酒肴で楽しくやろうじゃないの」
 やりやしょう、やりやしょう。下人たちが持参した酒を飲み、肉を食らい、歌をうたったりして騒いでいるうちに、急に眠気を催したお達、大鼾をかいて寝てしまいました。
 ふと、お達は目を覚ますと、彼女のからだは筵(むしろ)に覆われ、がたがたと揺れる荷車に乗せられておりました。両手両足を縛られ、身動きできません。
「うまくいったな」
 両側から声が聞こえてきました。
「眠り薬入りとも気づかず、がばがば飲んで、あっという間に眠りこけやがった」
「大力の持ち主だそうだが、よほど単純な女だぜ」
 さきほどまで酒を酌み交わしていた下人たちの声でした。さては一服盛られたか、不覚をとったと歯がみするお達の耳に、さらに下人たちの会話が聞こえてきました。彼らは最初から、お達を目代に突き出して、百貫文の褒美銭を手に入れようと計画を練っていたようです。
 さいわい、彼女を縛っているのは細紐一筋。大力のお達にとっては、屁でもありません。うんと力をこめると、たちまち紐は引きちぎれ、自由の身に。
「やい、てめえら! よくも花殻のお達さんを騙してくれたな!」
 筵を引き破って荷車の上に立ち上がると、下人たちは仰天して腰を抜かしました。お達は荷車を飛び降り、腰を抜かした下人の股間に踵を打ち込みます。下人の睾丸は破裂し、陰嚢は裂けてなかみが飛び出し、下半身血まみれになって悶絶。
 さらに二人目の胸ぐらを掴んで立たせて膝蹴りを浴びせます。下人のからだは宙に浮き、下降して股間がお達の膝頭に着地して睾丸が破壊され、蛙の鳴くような悲鳴をあげてくずれ落ちる。
 残る一人が悲鳴をあげて逃げようとするのを追いかけ、襟首を掴んでこちらを向かせ、右手でぎゅっと睾丸をわしづかみ。痛い苦しい助けてください、と泣き叫ぶ下人に耳もかさず、そのまま指に力をこめ、二つの肉球を握り潰してしまいました。
 股間から血を噴き出し、断末魔の呻きを漏らして痙攣する三人を見下ろし、花殻のお達、溜息をついて呟きます。
「また、やっちゃった……」
 うつむいていると、馬蹄が轟き、百倉長者が供を数名引き連れ、馬で駆け寄せてまいりました。お達の姿を見ると、馬をとめて地面に降り立ち、お達の前に膝をつきました。
「お怪我はありませんか?」
 気遣わしげに問う長者に、お達はぺこりと頭をさげ、
「あたしは無事だけど……すいません。おたくの使用人を大怪我させちまった」
「いえ、それはよいのです」
 長者は首を振り、こう言いました。
「この三人は日頃から素行も悪く、暇を出そうとしていたところ。彼らがお達さまの離れに酒を持ち込み、寝入ったあなたを荷車で運び出したのを優之介が目にし、わたくしに告げたので、こうして追いかけて参りました。わたくしが客分としてお迎えした御仁を目代に突き出すなど、あってはなりません。取り押さえたら手討ちにするつもりでしたので、お達さんに成敗していただいて、わたくしの手間が省けただけの事。そんな事より、これからのあなた様の身の振り方です」
 供の者たちに命じて、瀕死の下人たちを荷車で運び去らせてから、長者は地面に敷物をしいてお達を坐らせ、自分も対座して言いました。
「目代が示した百貫文は大金です。目がくらんであのような裏切り者がまた出ぬとも限らない。残念ながら、わたくしの屋敷も絶対に安全ではないし、噂を聞きつけた目代が軍兵を差し向けてくるかもしれません。ここは一つ、もっと安全なところにお移りいただきたいのです」
「もっと安全なところって?」
「ここよりほど遠からぬ白川の山中に、龍女山無二法寺(りゅうにょさんむにほうじ)という尼寺があります。鳥羽の院の御時に、美福門院の御願所として建立された、七堂伽藍の大寺ですが、保元、平治の乱の際に一時衰えていたのを、わたくしの父が勧進し復興した次第。公権力も迂闊に手を出せない寺社なれば、目代の軍勢もうかうか入ることもできません。ここは是非、出家剃髪して尼となり、かの寺にお入りいただきたい。あなたの食費等は、わたくしが寄附いたします。どうか、お聞き入れください」
 両手をついて頭を下げる長者に、お達は、
「このままじゃあたしも、無益な殺生を繰り返すばかりだ。ここは一つ、仏門に入って心を入れ替え、清く正しく暮らすのも悪くないかも」
 そう呟いて、
「一つ、よろしくお願いします」
 と長者に頭を下げるのでした。

 さて、無二法寺に入り、尼となったお達は、妙達(みょうたつ)という法名を授かりました。住持の妙真禅尼より、
「一に殺生する事なかれ、二に盗みをする事なかれ、三に色欲邪淫を慎め、四に酒を飲む事なかれ、五に虚言(そらごと)を云う事なかれ」
 との五つの戒めを言い渡され、それからというもの、寺の学寮に入り、朝夕の修業にも励み、文字も覚えてお経をよみ、まさに清く正しい生活を半年ばかりも続けました。
 年があけ、小春日和のある朝、妙達は山門の掃除を終えた後、そばの床几に腰掛け、風景を眺めながら休んでおりましたところ、麓の方より、
「酒はいかがですか〜」
 と呼び声をあげながら、一人の商人が坂を昇って参りました。
 生来の大酒呑みの妙達、商人が担いだ荷桶から漂ってくる酒の香に、酔っぱらいの虫がこみ上げてくるのをこらえきれず、
「酒売りさん、ちょっと、ちょっと」
 床几から立ち上がり、酒売りを呼び止め、
「いい匂いだねー。二合ばかり売ってちょうだい」
 と言いますと、酒売りは渋り、
「申し訳ないが、この寺の尼さんには酒を売っちゃいけない決まりなんで」
「じゃあなんで、わざわざ人里離れたこの寺に酒を売りに来たのよ?」
「この寺にも、門番や飯炊き、掃除をする寺男衆がいるでしょう。その人には売ってもいい事になってるんです」
「そんな、不公平じゃないか。お願いだよ。一合でもいいから売ってよ」
 押し問答をしているうちに、「お、酒売りが来たぞ」と口々に言いながら、寺男たちが三人、やってきました。酒売りは愛想笑いを浮かべ、寺男たちが求めるままに、背中からおろした荷桶の蓋を開け、ひしゃくで酒を汲んで、寺男たちの差し出す瓶に注ぎはじめました。その場で桝に注いでもらい、一口すすって「はー、たまんねえ」と喜ぶ寺男もおります。
 その風景を指をくわえて見ていた妙達、とうとう堪えきれず、
「やい、酒売り。ずるいぞ。お前らもあたしが見ている前で、嬉しそうに呑むんじゃない。あたしにも一口、寄こせ」
 言うなり、酒入りの荷桶にしがみつき、顔をつっこんでぐびぐび呑みはじめました。仰天した酒売りが、荷桶からひきはがそうと妙達の背にしがみつきましたが、たちまち「うっ」と呻きいて地面にくずおれる。言うまでもなく、妙達が後ろに跳ね上げた踵が、睾丸を直撃したのです。
 これを見た寺男たち、左右から妙達の腕をつかんで、酒から顔を引き離しましたが、たちまち妙達の蹴りを急所に喰らい、酒売りと合わせて四人、股間を両手で押さえてのたうちまわり、立つことすらできません。
「手加減してやった。潰れてないから安心しな」
 地面に転がり悶絶する四人にそう言った、再び荷桶に顔をつっこみ、うめえうめえと呑んでおりましたら、今度は乾し魚を背負った商人が坂を登ってまいりました。
「おお、いいところにつまみが来た。乾し魚を十尾、買ってあげる」
「いけませんよ。尼さんになまぐさを売ってはいかんと厳しく言われておるのです」
「うるさい。いいから売れ」
 言うなり妙達は乾し魚売りの股間を蹴り上げ、あわれ酒売りや寺男と並んで悶え苦しむ羽目になってしまいました。
 その後、山門に現れて、痛飲する妙達を見咎めた寺男たちや、食い物を売りに来て押し問答になった商人たちが、次々と妙達に股間を蹴られ、しまいには二十人ばかりの男たちが地面に転がって悶絶する事になったのですが、妙達は平然と呑み続け、とうとう酒桶を空にしてしまいました。
「うーい、いい気持ちだ。男のきんたまを蹴り上げて、泣き声を肴に酒を呑むのは、やっぱり気分がいいや」
 久しぶりの朝酒に酔っぱらった妙達、大声でうたいながら、そこらじゅうを踊り周り、石灯籠を倒したり、お堂の扉を破ったりと乱暴狼藉の数々、そのまま仰向けに地面に横たわり、大の字になって大鼾をかきはじめました。

 翌朝、目を覚ました妙達は、住持の妙真禅尼に呼びつけられました。さすがの妙達も、しょんぼりしてうなだれ、禅尼の前で土下座して乱暴狼藉を詫びます。
 禅尼は、妙達の謝罪を聞き終えると、静かに口を開きました。
「わたしとしては、百倉の長者様から料足をいただいて、あなたを預かった手前もあり、なんとか穏便にすませてやりたかったのですが、大事なところを蹴られた商人たちや寺男たちが、あなたを追い出せと言ってきかないのです」
「手加減したんですけどねえ……」
 小声で呟く妙達に、禅尼は苦笑いし、
「あなたの手加減は、並の男の全力です。いま、この寺に寝かせて医者さんをお呼びして治療させておりますが、まだ床から起きあがれず、血尿が止まらぬありさま。幸い、潰れた者はいなかったので、やがて回復するとの医者の見立てでした」
「それはよかった……」
 安堵する妙達に禅尼は、
「それから、あなたが呑んだお酒や、乾し魚や肉の代金は、すべて百倉の長者様が弁償なさいました」
「申し訳ないことしちゃったな……」
 ますます恐縮する妙達に、禅尼は言い渡しました。
「あなたは、五つの戒めを守ると誓って尼になったはず。そのうち一つを破ったことが世間に明らかになってしまった以上、残念ですが妙達、あなたを破門にせざるを得ません。百倉の長者様も、致し方ないことと御得心いただいております」
「申し訳ありません、住持様」
 妙達は涙を流して、床に額をこすりつけて謝ります。
「あたしが愚かなばかりに、つい大酒を呑み、大勢の人を傷つけ、寺の評判を落とし、大恩ある住持様や長者様に恥をかかせてしまいました。この上は腹を切ってお詫びしたいのですが、尼さんになっちゃったから刀がありません。崖から身を投じるか、縄で首をくくるか、どれがいいですか?」
「何を言うのです」
 禅尼はぴしゃりと叱りつけました。
「あなたはこの半年、身を慎んで修業して参りました。せっかくの修業をこのまま無駄にしてしまうことは、仏様も望んではおられぬはず。幸い、鎌倉の松岳山(しょうがくさん)龍女寺(りゅうにょじ)という尼寺の住持は、わたくしにとっては法門の妹弟子。あなたを引き取ってもらうつもりです。今度こそ、心を入れ替えて仏の道を歩むのですよ」
 なんともありがたい禅尼の言葉に、妙達はますます泣くばかりでした。
 翌日、禅尼から路銀を受け取った妙達は、頭陀袋を背負って笠をかぶり、護身用の鉄杖をついて旅立っだのです。

二編之参
妙達、妻籠の宿の美少年に、
押しかけ嫁入りしようとする女賊を迎え撃つ


 さて、花殻の妙達、鎌倉を目指して信濃路を歩み、妻籠(つまごみ)なる宿場町に至った時は、すでに日も西に傾き、旅人宿はどこも満室状態、どうしようかと思案しつつ歩いていると、大きなお屋敷が一軒ありました。
 妙達、門を叩いて、大声で呼ばわりました。
「旅の修験者です。今宵の宿をお貸しいただきたい」
 すると木戸が開いて門番らしき男が二人、棒をもって現れて、
「なんだ乞食尼か。今、うちの屋敷は忙しい。乞食尼に宿を貸す余裕なんかねえよ」
「帰れ帰れ。去らぬと棒で殴るぞ」
「どうしても宿が欲しいなら、旅の男にからだを売るんだな」
 これを聞いて妙達、激怒して怒鳴りつけました。
「宿を貸せないならちゃんと理由を言えばいいのに、仏の道にある者を娼婦呼ばわりとは失礼ね!」
 言うなり、二人の門番を両手で突き飛ばして棒を奪い取り、たちまちへし折ってしまいました。
「な、何しやがる」
 拳を固めて殴りかかってきた門番の股間を蹴り上げると、門番の体は宙に浮き、どさりと地面に落ちて、「た、たまが……きんたまが……潰れた……」と泣きわめく。妙達は怒りおさまらず。茫然と突っ立ったもう一人の門番の体を扉におしつけ、膝で股間を蹴り上げ、そのまま膝頭に門番を乗せた形で、ぴしぴしと平手打ちを喰わせました。
「さあ、謝れ。あたしにじゃない。仏様に謝れ。謝らんか!」
 そこに慌てて駆けつけたのは、六十あまりの品のよさそうな老女でした。
「おやめください!」
 妙達の袖にすがって懇願するのを、妙達、言い返します。
「こいつら、あたしの事を娼婦扱いしやがった。仏さんに変わって懲らしめてくれる」
「それはひどい。お前たち、尼さんに向かってなんと無礼なことを言うのですか。謝りなさい!」
 大層な剣幕で叱りつける老女に、妙達も、門番を載せていた膝頭をおろしました。門番はへなへなと地面にくずおれ、謝るどころか、呻き声をあげて悶えるばかり。
「ほんとうに、ご無礼いたしました」
 供の者に命じて門番たちを運び去らせ、老女はしきりに頭を下げました。
「あの者たちには暇をやりますので、どうぞ、ご容赦ください」
「いやいや、あたしもやりすぎました。仏に仕える身にあるまじき暴力沙汰。こちらこそ、お許しください」
 頭をさげる妙達に、老女は手を振り首を振り、
「何をおっしゃいますやら。確かに今、心苦しき客人が来ているのですが、尼さんお一人の部屋くらい用意できます。さあ、お入りください」
 と妙達を母屋に招き入れ、夜食を進めてもてなしました。
「ああ、おいしかった。御馳走さまでした」
 あっという間に御馳走をたいらげた妙達、慌ただしく使用人が右往左往する廊下を見やり、向かい合って坐した老女に訊ねました。
「ずいぶん騒がしいですね」
「ええ、そうなんです」
 そう言って、どこか苦々しい面差しで俯く老女に、妙達はさらに訊ねます。
「お顔の色が悪いような……心苦しいお客人とおっしゃってましたが、よほど厄介な人が来ているんですか?」
「そうなんです……」
「よかったら、あたしに話してくれませんか。なんならお力になりますよ」
 老女は躊躇っていましたが、やがて重い口を開いてこう述べました。
「わが家は樹邨(このむら)という姓にて、代々ここの村長をしております。わたくしは先代村長の妻でしたが、夫ばかりでなく息子やその嫁にも先立だたれ、息子が残したたった一人の形見である孫の花松、いまだ十六歳ですが、これに跡を継がせるべく、育てております。それが最近、この里から遠からぬ安計呂(あけろ)の山に女が二人、大勢の手下を従えて籠もり、時おり里に下りては強盗略奪を働くようになりました。」
 老女は肩を落とし、涙をぬぐいながら続けました。
「頭(かしら)の一人で億乾通お犬(おけんつうおいぬ)と名乗る女が、あろうことか、花松を見かけて気に入り、我が家に嫁入りするといってきかないのです。いくらお断りしても聞き入れず、勝手に今宵を婚礼の日と定め、夜になったら輿入れすると文を寄越して参りました。もはやおとなしく言うことを聞くしかないと花松に言い含め、婚礼の準備をしているのでございます」
「目代に訴えて、追い払ってもらってはどうです?」
「それが、目代は盗賊どもを恐れ、動いてくれません。一度、討手を差し向けたところ、ことごとく返り討ちにあったからです」
「そんなに強い連中ですか」
「信濃の国守護にも事の次第を申し上げましたが、なしのつぶて、なにせ、都では上皇様の寵姫・亀菊が権勢を振るって御政道よろしくなく、東の鎌倉幕府にては北条執権家が将軍家をさしおいて悪政のし放題、民の嘆きに耳をお貸しにならぬゆえ、あちこちに山賊が集まってやりたい放題、民百姓の憂いとなっているのでございます」
「なるほど、公権力があてにならぬとなれば、自衛するしかありませんね」
 老女の言葉に耳を傾けていた妙達、両手をぱちんと打って立ち上がりました。
「ご主人、あたしは半年前に仏門に入るまでは、甲斐武田の御城下で用心棒のような事をやっておりました。いざとなれば、女盗賊の一人や二人やっつけるのは簡単です」
「そんな、無茶をなさっては……」
「ご心配なく、仏に仕える身ですから、なるべく暴力沙汰は控えます。そのお犬とやらがやって来たら、懇々と人の道を言い聞かせてましょう」
 しかし老女は首を振り、
「ありがたいことですが、人の道などわきまえぬ悪たれ女。聞く耳持っているとは思えませぬ」
「大丈夫、大丈夫。なにせあたしは、無二法寺の妙真禅尼の直弟子として長年修業した者。そこらの荒くれを改心させるなど、わけもないことです」
「おお、あの無二法寺の妙真禅尼さまの直弟子でしたか!」
 老女は驚き、改めて一礼して、
「ならば、愚かなわたくしどもが、あれやこれやと言うべき筋ではありません。ありがたい尼君に、すべてお任せいたします」
 されば、と妙達、老女に作戦を授けました。
 さて、夜更け時。安計呂(あけろ)の山の方より、さかんに松明をたいた行列が、屋敷に近づいてまいりました。見れば、三十路(みそじ)間近と見える女、緋縅(ひおど)しの腹巻の上に綾の掻(か)い取り装束、後ろに垂らした黒髪に烏帽子をかぶり、黄金造りの太刀を帯び、栗毛の馬にまたがって、二、三十人の伴を引き連れ、威風堂々と進んでくるのは、億乾通(おけんつう)お犬。なかなかの美形であります。
 これを見た老女、使用人どもを引き連れて門を開けて出迎え、
「今宵はお日柄もよく、絶好の婚礼日和、よくぞはるばるおいでくださいました」
 と地面に額をすりつけます。お犬は馬から降りて老女の手を取り、
「これはこれは、お義母(かあ)さま。あたいは嫁の身、そんなに畏まってもらっちゃ恐縮です。まずはお立ちになってください」
 立ち上がった老女に導かれ、ずかずかと座敷に入ると、ところせましと酒やご馳走が並べられ、盗賊ども、思わず喚声をあげました。
「まずは、一献」
 勧められるままに酒を呑み、肴を喰らい、楽しく談笑していたお犬でございましたが、ふと老女に向かい、
「ときに、花婿の姿が見えませんね。婚礼の席に嫁ひとり酒を喰らうのも、子分たちの手前、きまり悪いっす。ぜひ、花婿を呼んでいただけませんか」
 と言いますと、盗賊ども、声を揃えて、
 花婿殿!
 花婿殿!
 お顔を見せてくださいませ!
 と大騒ぎ。
「まあまあ、気の利かぬことで申し訳ありません」
 と老女は両手をついて謝り、
「花松はまだ十六のおぼこ者。今宵が婚礼と告げると、恥ずかしい恥ずかしいと寝屋にこもって、わたくしどもがいかに呼び立てても、恥ずかしがって顔も見せぬありさまです」
「そりゃ、今時純情な子だねえ」
 酔っぱらったお犬、ふらつく足腰を励まして立ち上がり、
「あたいは今年で二十八、処女を失って十五年、そこそこ女男の道にも通じてます。ここはひとつ、花婿殿に御指南申しあげましょうか」
 と言えば、子分どもから声があがり、
「そこそこどころじゃありませんよ。襲った里の美少年の童貞を、かたっぱしから奪って色事を教えてあげている親分じゃありませんか」
 どっと卑猥な爆笑を炸裂させるなか、お犬は「余計なこと言うんじゃないよ」と柄にもなく恥じらい、
「ではいざ、花嫁の寝屋に赴くとしよう。どれ、案内を頼みます」
 と見得を切り、子分どものやんやの拍手喝采のなか、女中に導かれ、花松が待っているはずの寝屋へと向かったのでありました。

 さて、渡り廊下を歩いて花婿の待つ寝屋に至ったお犬、案内してきた女中が「では、ごゆるりと」と言い残して去ったあと、舌なめずりしてふすまをあけると、ろうそく一本をともした薄暗い室内に布団が敷かれ、掛け布団をかぶってこちらに背を向けて寝ている姿が眼に移りました。
「待たせたわね」
 色っぽい声音で呼びかけ、下着姿になって布団にもぐりこみ、
「いいことしましょうね、お姉さんがおしえてあげる」
 と、耳たぶの後ろに接吻しつつ、手を回してからだじゅうをまさぐり、
「ああ、やわらかな肌だね、まるで女のよう……しかし変だねえ、大事なものがどこにもついてないじゃないか」
 腹部から胸のあたりを撫で上げれば、豊かにふくらんだ胸乳にあたって、
「あれ、あんた、男のくせにおっぱいがある?」
 と訝しがるお犬に、
「この間抜け、まだ、気づかないのか!」
 いきなりお犬の股間を蹴り上げ、起き上がったのは妙達でありました。
 美少年の花松とばかり思いこんで愛撫していたお犬、痛む股間を両手で抑え、やっと涙目で顔を上げ、同衾(どうきん)していたのが見知らぬ大女と分かって唖然茫然。そのお犬を妙達、「人の道を言い聞かせます」等とどこの口で言ったのやら、
「淫乱女め、強盗略奪を働いた挙句、暴力にものを言わせて美少年を慰みものにしようとは、けしからん。あの世に送ってあげる!」
 拳を固めてお犬をぽかぽか殴りつけます。抵抗しようにも、座敷で大酒呑まされ酔っぱらっていたお犬、ひたすら
「助けてえ! 人殺しぃ! みんな来てぇ!」
 とわめけば、さては親分の一大事と、座敷から寝屋にかけつけた盗賊ども、
「親分、大丈夫ですか!」
 と駆け込んできたのを、妙達、片っ端から股間を蹴り上げて倒し、たちまち寝屋は睾丸を潰されて悶絶する盗賊達の呻き声と号泣で満たされました。
「この尼、よくも子分たちを……!」
 ようやく立ち直ったお犬、黄金造りの太刀を抜き、斬りかかってまいりました。妙達は、鉄杖にて応戦、たちまち剣戟の音とともに散る火花。
 最初、互角の戦いでしたが、やはり酒の気の抜けぬお犬、次第に劣勢になり、とうとう身を翻して逃げ出してしまいました。
「うまくいったね」
 門のところまで追いかけ、走って闇夜を逃げ去るお犬を見送り、深追いはせずに高笑いの妙達。事の次第を息をつめて見守っていた老女は、
「しかし大丈夫でしょうか。今度はもっと大勢で仕返しにきたりはしませんか」
 と心配そうに呟くのを、妙達にっこり笑って、
「あんな連中が何百人で押し寄せてこようと、あんたたちに指一本触れさせる妙達じゃありません。任せといてくださいな」

 さて、ほうほうの態で安計呂の山に逃げ戻った億乾通お犬、
「姐御、悔しいよう!」
 女頭目の前に出て、号泣します。
「どうしたんだい?」
 頭目の問いに、お犬は事の次第を述べたてました。
「とにかく、あの尼、ただ者じゃねえ。たった一人で三十人の部下は全員、きんたまを蹴り潰され、握り潰されたんだ」
「きんたまを……?」
 頭目は驚き、それから首を傾げて呟きました。
「ふうん、一人で三十人ぶんのきんたまをねえ……そんなことできる女といえば……」
 思い当たることがあるのか、考え込む頭目の袖をつかみ、お犬はせがみます。
「姐御、あたいはもう悔しくて悔しくて、このままじゃ気が済まない。仇をとっておくれよ、頼むよう」
「わかった」
 頭目は立ち上がり、命じました。
「今度は、きんたまのついてない連中を集めな」

 さて、その夜。
 樹邨の屋敷では、妙達が門に近い座敷で、酒をちびちびと呑んでおりましたところ、遠くより、かまびすしい貝、鐘、太鼓の音に混じって馬蹄の轟きが近づいて参りました。
「さては昨夜の女盗賊だね。案の定、仕返しにきやがったか」
 怯えて騒ぐ老女や花松、使用人らに屋敷に入っているよう告げ、妙達は鉄杖を手に門を出て、仁王立ちになって待ちかまえました。
 はたして夜の闇から現れたのは、腹巻き、刀槍で武装したに女ばかりの一群。
「やい、この尼、昨夜はよくもあたいに恥かかせてくれたな」
 先頭を切っていた億乾通のお犬は、太刀を抜いて叫びます。
「あのときは大酒くらって不覚をとったが、今はしらふだ。今度こそ遅れはとらねえぞ。さ、勝負しな!」
「やかましい、この色気違い! よくもあたしのからだをまさぐって、おっぱいまで揉みやがったな! 今度こそ、この鉄杖で肉団子にしてやる!」
 たちまち二人の女、火花を散らして斬り結びはじめた時、
「あーーー!!! やっぱり!!!」
 後ろで見ていた頭目が叫びました。
「あんた、花殻のお達さんじゃないか。坊主頭だから気づかなかったよ!」
「ん?」
 妙達は、お犬の打ち込んだ太刀をかわして、ひらりと飛び退き、頭目に目をやります。
「あんた、あたしを知ってるの?」
「知ってるの、じゃないよう。姉貴、あたいの顔を忘れちまったのかい?」
 頭目は馬から下り、妙達のもとに駆け寄って、膝をつきます。
「あたいだよ、人寄せの友代だよう」
 妙達、改めて頭目の面差しを確かめ、あっと叫びました。
「ほんとだ! 友代ちゃんだ!」

「しかし、驚いたね、なんであんたが、こんなところで盗賊なんかやってるのさ」
 女盗賊たちを屋敷に招き入れ、仰天した老女には「こいつ、あたしの妹分ですから」と安心させ、奥の書院に入った妙達は、頭目――人寄せの友代に訊ねました。
 人寄せの友代は、ふだんは大道で芸を見せながら楊枝や歯磨きなどを売る商人でした。騒ぎを起こして武田家の奥女中を辞した妙達は、あるとき友代と言い合いになり、ついに喧嘩沙汰となったのですが、友代もなかなか剛の者。決着がつかぬまま酒で手打ちとなり、以後、友代は年下の妙達を「姉貴、姉貴」と慕っていたのです。
「それが姉貴、聞いてよ」
 友代は言いました。
「姉貴がなまよみ屋の悪後家と、十手持ちの介兵衛をぶっ殺してからというもの、役人たちが片っ端から、姉貴と関わりのある人を尋問しはじめたんだ。あたいの家にも役人がやってきて、行方を吐け吐け、とうるさいから、つい、姉貴に習ったきんたま蹴りをお見舞いしてやったら、二つとも潰れて、そのままあの世にいっちまったのさ。それで甲府を逃げ出して、あちこち彷徨ううち、この安計呂の山の麓でお犬に出会ったんだ」
「そうなんだよ」
 お犬も口を挟みます。
「茶店で酒を呑んでいて、つまらんことで口論になり、やりあったんだけど、友代の姐御は強くて強くて、とてもかなわない。とうとう降参して、あたいら安計呂盗賊団の頭目になっていただいたのさ」
「このお犬はね……」
 友代は説明しました。
「もとをただせば、源頼朝に亡ぼされた藤原泰衡の家臣の娘。幼い頃、一族は滅亡し、お犬は乞食をしながら諸国を流れ歩いた。それでも鎌倉幕府への恨みを忘れず、子分を集めて安計呂山にこもり、盗賊稼業をしながらも、武芸の鍛錬に励んでいたのさ。ただ、男好きなのが玉に瑕でねえ」
「ほんとうに、申し訳ありませんでした」
 お犬は頭を下げます。
「お噂は友代の姐御から常々聞いてました。友代姉さんが姉貴と仰ぐお方とは知らず、口汚くののしっちまった。お許しください」
「その事はいいよ」
 妙達は笑って言いました。
「あんた、よく見ればかわいいね。生まれてこのかた男にはさっぱり興味のないあたしだけど、女に乳を揉まれるのは、なんだか気持ちよかった。今度、女同士でどう?」
「そ、それだけは勘弁してください!」
「な、好きでもない相手から無理矢理抱かれるのは、あんただって厭だろ?」
 そう言われ、お犬ははっとして真顔になりました。妙達はさらに諭します。
「いくらあんたが惚れたからって、男のほうにも相手を選ぶ権利があるんだ。力づくで思いを遂げようなんて、女の風上にもおけないよ」
「わかった、妙達の姉貴、もう言わないで」
 お犬は落涙し、別室にいた老女と花松の前に赴いて土下座して無礼を詫び、
「二度と、大事なお孫さんを男妾にしようなどとは思いません」
 と誓ったのでありました。
 その後、妙達は数日、安計呂山の砦でもてなしを受けた後、友代、お犬と別れ、鎌倉の松岳山(しょうがくさん)龍女寺(りゅうにょじ)を目指して、旅を続けたのでありました。

 さて、鎌倉の松岳山龍女寺に至った妙達、妙真大禅尼の書面を見せて案内を請うたところ、接客に現れた尼は頭を下げて、
「それはお気の毒さまでした。当山の住持・真如禅尼は昨月、山城の国(京都府)深草(ふかくさ)なる女人山成仏寺(にょにんさんじょうぶつじ)という尼寺に移られたのです。数日、ここで体を休められて後、深草まで赴きなされ。路銀などもご用立ていたしましょう」
 とのこと。がっかりした妙達でしたが、詮方なく東海道を西へ向かい、十数日して深草の里、女人山成仏寺に到着したのであります。
 妙達が差し出した妙真禅尼の案内状を読んだ住持の真如禅尼、諸役の尼たちを集めて、
「さて、いかがしましょうか」
 と相談しました。尼たちは異口同音に申します。
「この妙達なる尼、龍女山無二法寺でお酒を呑んで暴れ、二十人の寺男や物売りに大怪我をさせたとの事。また、信濃の国妻籠の里では、三十人の盗賊を一人で全滅させたという噂も伝わっております。見るからに一癖ありげな面構え、何をやらかすやら、分かったものではありません」
「とはいえ、わが姉弟子の妙真禅尼のご紹介です。追い返すわけにはいきません」
 そういう真如禅尼の言葉に、尼さんたち額を寄せて相談しましたが、
「では、寺の外にある果樹園の守りを任せれば如何でしょう」
 と一人の尼さんの提案に、
「それはよい考え」
「寺の外の果樹園なれば、顔を合わせずにすみます」
 と賛同の声があがり、かくして妙達は、置いた寺男にかわって、寺の外の果樹園の番をすることになったのであります。
 一度、泥棒の一団が果物を盗みにやってきましたが、たちまち妙達に睾丸を蹴り潰され、以後、二度と悪さをしようと近寄る者もいなくなりました。
「退屈だなぁ」
 ある日、番小屋の庭で鉄杖を振り回して鍛錬しておりましたところ、
「お見事」
 と声がします。見ると、垣根の向こうに、白練りの帽子をかぶり、金箔をちりばめた内掛け衣を羽織った二十歳ばかりの美女が、静かに佇んで妙達を見守っております。
「どなた?」
 妙達が鉄杖を置いて垣根に歩み寄ると、美女は一礼し、
「わたくしはこれまで幾度となく、槍棒撃丸(そうぼうげきがん)など武芸者の技を見て参りましたが、あなたほどの使い手は見たことがありません。さだめし高名なお師匠に棒術を習ったことがあるとお見受けします。いかがですか?」
「いや別に……我流だよ」
 妙達は頭をかいて言いました。
「子供の頃から喧嘩っぱやくて、町の餓鬼どもに負けたくない一心で、一人で鍛えたんだ。それにしても、どこのお女中か知らないが、なかなか見る目があるんだねえ」
「ああ、名乗りが遅れましたね、失礼しました」
 美女は帽子を脱いで一礼し、
「わたくしは、為楽院(いらくいん)の別当軟清(なんせい)の妻で、桜戸(さくらど)と申します」
「へーえ、あんたが桜戸さんか!」
 妙達は目を見張ります。
「虎尾(とらのお)の桜戸さんといや、日本全国知らぬ者のいない女武芸者、近頃まで院の女武者所の教頭(おしえがしら)だったそうじゃないか。そんな高名なおひとと出会えるなんて光栄だな。あたしは甲斐の国の生まれ育ち、いろいろあって今はこの寺の果樹園の番人をつとめる妙達。以後、お見知りおきを」
「ああ、あなたが妙達さんですか!」
 虎尾の桜戸も、手を叩いて喜びました。
「甲府では悪辣な後家と十手持ちを素手で成敗し、妻籠の里では三十人の盗賊を一人で退治した花殻の妙達さんでしょう。こんなところでお会いできるなんて、わたくしこそ光栄ですわ」
「ほんとに奇遇だねえ。さ、番小屋に来て。汚いところだけれど、ぜひ、一杯やりましょ」
 誘われるままに桜戸、妙達の番小屋で酒を酌み交わすうちに、ますます意気投合、
「妙達さんのことを、ぜひ、姉上と呼ばせてくださいまし」
 と桜戸に頼まれ、その場で姉妹のちぎりをかわしたのでありました。(二編・了)


back to index

inserted by FC2 system