傾城水滸伝
四編 青嵐の青柳の巻



四編之壱
桜戸、梁山泊に至るも首領これを喜ばず、
旅人殺害を命じる


 さて、折滝(おりたき)の節柴(ふししば)の助力によって佐渡を脱出した虎尾(とらのお)の桜戸(さくらと)、北陸路を越後、越前と日に夜を継いで歩き、やがて近江の国に入りました。
 すでに年の瀬、山々は雪が積もって風寒く、琵琶湖の水面からは霧がたちこめるなか、桜戸は、梁山泊の対岸、菅(すげ)の浦なる湖畔に一軒の飲み屋を見つけました。
 暖簾をくぐって席につくと、燗酒に湯豆腐、鮒(ふな)の煮付けを頼み、店の者に
「舟を調達したいのだが、どこに行けば借りられるかしら?」
 と問いました。店の者は不審な面差しで、
「ここは船着き場ではないので、渡し舟はありません。第一、冬場は風が厳しいので、滅多に舟を出してくれる人はいませんよ」
 と首を振りました。桜戸は諦めず、
「実は急ぎの用があるの。渡し賃ははずみます。どなたか、紹介してくれないかしら」
「お客さん」
 店の奥で座っていた、目つきの鋭げな女が立ち上がり、歩んできました。
「この年の瀬に、そんなに急いでどちらまで?」
「いえ、それは……」
 さすがに、見ず知らずの人に、賊どもが立てこもる梁山泊に渡りたいとは言えません。
「それじゃ、お話になりませんね」
 女は、肩をすくめました。
「氏素性も知らぬお方が、どこに渡るかもわからないのに、舟をお世話する酔狂な者は、いないと思いますよ」
「実はわけあって、名乗れませんが……」
 桜戸は仕方なく、紹介者の名前を出すことにしました。
「折滝の節柴さまに勧められ、佐渡より参ったのです」
「節柴さま?」
 女の面差しが変わりました。
「こちらへどうぞ」
 声を潜めて桜戸の袖を引き、奥の座敷に誘いました。酒や肴を運ばせた後、女はこう問いました。
「節柴さまのお勧めで佐渡から来たということは、あなたは虎尾の桜戸さんですか?」
「ええ、そうですけど……」
「ああ、よかった」
 女はほっとした面差しになって言いました。
「申し遅れましたが、あたしは暴磯神(ありそかみ)の朱西(あかにし)、梁山泊に集(つど)う一味の者なんです」
「え、梁山泊の方ですか?」
 思わぬ偶然に喜んだ桜戸に、朱西は続けました。
「あなたが梁山泊にいらっしゃる事は、節柴さまからの飛脚で存じておりました。さっそく、舟を用意して、お連れ申し上げます」
「それは、ありがたい」
「今宵はもう遅い。こちらでお泊まり下さい。寝屋を用意させますから」
 と朱西は、店の者を呼んで、奥の部屋に布団をお敷きして、と言いつけてから、桜戸の杯に酒を注いで言いました。
「あたしは、わけあって盗賊稼業に入ったけちな女ですが、かつて女武者所随一の豪傑として勇名隠れもない桜戸さんと、こうやって酒を酌み交わせるのは光栄です」
「よしてください」
 桜戸は恥じらって言いました。
「わたくしは今、人を殺(あや)めて追われる身です。こうやって偶然、梁山泊の方とお近づきになれただけでも運が良かったと思います」
「運が良かったわけじゃありませんよ」
 と朱西は言いました。
「梁山泊を目指す人は、道筋から必ずこの店に立ち寄るようになっているんです。いや、そのために、この店を構えているわけです」
「と言いますと?」
「梁山泊を目指すお方は、三種類しかありません。あたしらの仲間になることを願ってやってくる有能な方、あたしらの仲間になることを願ってやってくる使えないクズ。そして、あたしらを探索にやってくる官憲の犬です。あたしの役目は、この店にやってきた者が、そのいずれかを見極めることなんです」
「なるほど……」
「あたしらの仲間になることを願ってやってくる有能な方、桜戸さんもその一人ですが、そういう方は、こうやっておもてなしし、梁山泊までお連れします」
「そうでない方は?」
「後の憂いのないよう、毒を飲ませます」
 その言葉に面差しを強ばらせた桜戸に、朱西は笑顔で、
「あたしら、世間から爪弾きにされた者が安心して暮らすための、やむを得なお方策なんです。理解してください」
 と頭を下げました。

 翌日。
 桜戸は朱西に伴われ、菅の浦を出発しました。飲み屋を出て湖畔に至ると、朱西は背中に背負った鏑矢(かぶらや)を弓につがえ、湖岸の水面に生い茂る芦の原めがけて、ひょうと放ちました。ぶうんと音を立てて飛んだ鏑矢が湖水に落ちると同時に、芦の原をかきわけて舟が一艘漕ぎ出してきたのです。
 その舟に乗って朝霧のなかを進むと、やがて岸に着きました。
「梁山泊です」
 舟を下りたって、朱西は、指を天に向けました。
 岸から山がそびえ立ち、山肌に生い茂る林のところどころから、櫓(やぐら)が顔を出していました。かなり大がかりな軍事要塞であることが察せられます。
「行きましょう」
 朱西に促されて歩き出すと、向こうから武装した女が馬を二頭引いてきました。朱西は「お疲れ様」とねぎらうと、一頭の馬にまたがって、
「桜戸さん、あなたも」
 ともう一頭を指さしました。
 言われるままに馬に乗り、朱西と並んで進むと、大きな門があり、広い坂道が山の頂きに向かって伸びています。坂道をのぼっていくと、偵察用の櫓や、女たちが詰めている宿所が設けられ、上り詰めた頂きは林に囲まれた広い台地、そこに、多くの高楼や蔵などが建ち並んでおりました。
「見事な砦ですね」
 と桜戸は朱西に言いつつ、あちこちに屯(たむろ)する女たちに懸念げな眼差しを向けました。
 ……規律がなってない。
 まさに烏合の衆というのでしょうか、服装もだらしなく、朱西や桜戸の姿を見ても、一礼もしない。不作法にこちらを指さして大声でおしゃべりしている群れもいます。
 ふと見ると、広場に大勢の女たちが集まって歓声をあげていました。
 広場の中央に、柱が並べられ、男たちが縛られています。その前に、若い女たちがずらりと列をつくり、一人ずつ股間に膝蹴りを浴びせていました。
 男たちは、滝のように涙を流したり、身をよじって悶えたりしています。睾丸が潰れ、陰嚢が裂けると、柱から外されて、新たな男が縛りつけられる仕組みで、ひとり去勢されるたびに、人垣を作っていた女たちが歓声をあげているのです。
「あれは、新参者の訓練です」
 朱西が説明しました。
「蹴られている男たちは、潜入しようとした幕府の密偵や、この梁山泊を滅ぼして一旗あげようとした愚かな野武士どもです」
「殺しているのですか?」
「そんな、もったいない。去勢しておいて奴隷としてこき使うんです。金玉を潰せば、男たちは従順になり、逆らわなくなりますから」
 やがて桜戸たちは、ひときわ豪奢な造りの寝殿に着き、馬を下りました。朱西に導かれるまま、奥まった書院に案内されました。唐風の円卓に椅子が並べられておりました。桜戸は、上座と向かい合った席を与えられ、しばらく待っておりますと、入ってきたのは肥満した四十女、豪華に着飾っております。その後ろから、やはり美服をまとった三十歳くらいの女が二人ついてきて、桜戸に向き合う形で座りました。
「桜戸さん、こちらが」
 朱西が肥った四十女を指しました。
「われらが首領、大歳麻(おおどしま)の巨綸(おおいと)さまです」
 桜戸が立ち上がって一礼すると、首領の巨綸は軽く頷きました。つづいて朱西は、巨綸の左右にならんだ女たちを、
「第二の大将の女仁王(おんなにおう)の杣木(そまき)さま、第三の大将の天津雁(あまつかり)の真弓(まゆみ)さま」
 と紹介した後、三人に向かって、
「この方は、虎尾の桜戸さん。折滝の節柴さまの紹介状を持参しております」
「よくぞ、いらっしゃった」
 首領の巨綸が重々しく口を開きました。
「ご高名はうけたまわってます。まずは一献酌み交わしましょ」
 その声に、朱西が手を打つと、男たちが酒肴を運んできました。女たちに睾丸を潰されて奴隷になった連中でしょうか。俯き加減で、決して女たちの顔を見ようとはしません。
「乾杯しましょう」
 酒杯が全員に回ったのを見て、第二の大将である杣木が言うと、巨綸は大きく杯を掲げて飲み干し、他の女たちもそれに従いました。
「ところで、桜戸さん」
 巨綸は言いました。
「折滝の節柴さんからのご紹介でもあり、あなたを迎え入れるのにやぶさかではないが、実はこの梁山泊も大勢の女たちを抱え、ついつい食糧も欠きがちでしてね。無条件で参加していただくと、不満の声が出かねないんですよ」
「しかし首領……」
 第二の大将の杣木が口を挟みました。
「虎尾の桜戸さんは、院の御所の女武者所で教頭をつとめ、その武名は全国に轟いています。そんな方に加わってもらう事に、異議を唱える者がいるとは……」
 巨綸はじろりと杣木をにらみつけました。
 実はこの巨綸という女、桜戸の出現を歓迎するどころか、迷惑にしか思っていないのです。巨綸は、もとは近江の役所に務めていた事もあり、多少の学があります。不祥事を起こして役所を追放され、土地の無頼漢の仲間に身を投じました。武芸の手腕はさほどではありませんが、文字が読めるので、無学な女たちを誑(たぶら)かして盗賊団を結成、かつて、近江を根拠に平家とたびたび戦った名将、佐々木義経が梁山泊に築いた砦を根城にし、首領の座に納まったのでした。
 しかし、桜戸は超一流の武芸だけでなく、その深い教養においても知られています。やがて部下たちの心は自分を離れ、桜戸に集まるのではないか。そうなったら、首領の座を乗っ取られかねない。心の狭い巨綸は、それを恐れていたのです。
「杣木さん、決めるのは首領のあたしだ」
 巨綸はそう釘を刺し、桜戸に向かって言いました。
「この梁山泊に、将として加わるには、ひとつ条件があります」
「なんでしょうか」
 居住まいを正して聞く桜戸に、巨綸は続けました。
「投名状(なのりぶみ)を書いていただきたい。われらに忠誠を尽くし、決して裏切らないことを誓うです」
「お安い御用です」
 そう言って懐紙と矢立を取り出し、文字をしたためようとした桜戸を、第三の大将である真弓が押しとどめました。
「桜戸さん、投名状は、墨で書くのではありません」
「なんで書くのです?」
「男の血です」
 面差しを強ばらせた桜戸に、朱西が説明しました。
「いったん砦を出て越前街道に赴き、誰でもよろしい、出会った男の金玉を潰し、破れた陰嚢から噴き出した血で、投名状を書いてください。それから、切り取った男根とともに砦に持参して、披露していただきます」
「それも三日のうちにです」
 巨綸は念を押しました。
「三日のうちにその事を果たさない場合は、縁がなかったものと諦めて、いずこへなりとも去ってください」

 翌朝、桜戸は、見張りを兼ねているであろう一人の女賊に案内され、飯浦の山あいにある浜村という場所で、街道を来る旅人を待ちました。しかしすでに年の瀬、道には雪が積もり、寒風が吹き荒れております。人っ子ひとり現れません。
 結局、誰にも会わないまま二日が過ぎ、最後の三日目になりました。
「これが、狙いだったのね」
 桜戸は呟きました。
「あの首領、どう見てもわたくしを歓迎していなかった。身を委ねるだけの器量の持ち主とは思えないけれど、ここを追い出されたら、わたくしは行く場所がない」
 やがて夕暮れにさしかかろうとした時、所在なげに立っていた見張りの女賊が、「あ、桜戸さん、あれ!」と叫びました。
 背中に荷を背負った男が、とぼとぼと歩いてきます。
「早く、早く」
 と女賊に促され、街道に飛び出した桜戸、やってきた男は仰天して顔をあげました。ひよわそうな老人です。桜戸は腰の刀に手をかけたまま、抜くことができませんでした。我が身の落ち着き先を決めるために、なんの罪もない老人を殺めてよいものか……。
「ひえええ!」
 桜戸が躊躇っているうちに、老人は荷物を放り出し、やって来た方に向かって一目散に走り出しました。
「追わないんですか?」
 女賊が近づいてきて、不審げに問いました。桜戸は首を振り、
「どうも、わたくしにはできそうもないわ……」
 と、老人が置いていった荷物を拾い上げ、
「返してあげなきゃ、困るでしょうね」
 老人が去った方に歩き出した時、向こうから駆けてくる者がいます。二十代半ばと見える、腰に太刀をさげた女です。
「お前か!」
 女はいきなり、抜く手も見せず、斬りつけてきました。桜戸はあやうく切っ先を裂けましたが、女が振り下ろした太刀は、桜戸の立っていたあたりに生えていた大木を、まっぷたつに切り裂いて倒したのです。
 ……凄い切れ味、この女もただものじゃない。
「よくも、わたくしの供人を脅して荷物を奪ったわね。旅人を襲う盗賊は許さない。覚悟なさい!」
 そう叫んで次々と繰り出す刃を、桜戸も抜刀してしっかと受け止め、丁々発止と撃ち合います。
「こりゃ、すげえや。砦に報告しなきゃ」
 見張りの女賊は、砦目指して駆け出しました。
 報せを聞いて、首領の巨綸、杣木や真弓らを従えて砦を出て、街道に駆けつけてきた時、まだ、桜戸は女と戦っていました。かなりの時間切り結んだにもかかわらず、二人の手練はいささかも衰えていません。
「これは、かなりの腕前だわ……」
 巨綸は呟きました。
「桜戸にも劣らぬ女武芸者、これは使えるかも」
 それから大声で叫びました。
「ご両人、しばらく太刀を収めなさい!」
 それから、動きを止めた二人の間に入って、こう言いました。
「ご両人の武芸には、感服いたしました。どちらが倒れても、惜しい人材です。ここは刃を収めて仲直りしませんか。わが砦にて宴を催し、手打ち式を開かせていただきます」
「誰です、あんたは?」
 桜戸と切り結んでいた女がぶっきらぼうに問いました。
「申し遅れました。あたしは梁山泊の首領、大歳麻の巨綸」
「ふうん」
 女は興味なさげです。巨綸は続けました。
「それから、あなたが斬りあっていた相手は、かの虎尾の桜戸さんですよ」
「えええ!!!!!」
 眼を見開いた女は、とたんに態度を豹変させ、一声叫んで桜戸に駆け寄りました。
「あなたが桜戸さんですか。わたくしは、あなたと同じ、院の御所の女武者所で教頭をやっていた青柳(あおやぎ)、人呼んで青嵐(せいらん)の青柳という者です」
「あなたが青柳さんですか!」
 桜戸も驚きました。
「わたくしが女武者所に入った時はすでにいらっしゃらなかったけれど、お噂は朋輩から聞きました。剣を執っては並ぶ者なき武芸者だったと」
「お恥ずかしい」
 青柳は頭をかきました。
「つまらない過失を亀菊さまに咎められ、都を追放になっていたのです。やっと大赦があって、こうして都へ帰る途中ですが、ほんとうに奇遇です。どうです、どこかで一杯やりませんか?」
「いいですねえ。大先輩のお話、ぜひ伺いたいものです」
 勝手に話がまとまりそうになったので、巨綸は慌てて割って入りました。
「ならば、是非あたしどもの砦へ。このあたりにはろくな店もありません。せいいっぱいご馳走させていただきますので」
 青柳と桜戸を連れて砦に戻った巨綸、書院の部屋に酒肴を用意させ、さまざまに二人をもてなします。
「もはや、桜戸さんの誠意は見せていただいた。今更、投名状は必要ありません」
 と目尻を下げ、それから青柳に向かい、
「この桜戸さんは、亀菊の恨みを買って無実の罪を着せられ、佐渡に流罪にされました。その地でも亀菊の刺客に殺されそうになったので、この梁山泊を頼って来たのです。失礼ながら青柳さん、いま都に戻っても、一度亀菊の不興を買ったあなたが、無事でいられるとも思えない。どうです、この梁山泊にこのままお留まりになっては?」
 そう懇願する巨綸、むろん腹に一物あっての事です。
 桜戸と互角に戦える青柳を加入させ、二人をうまく競い合わせ、自分に刃向かうことのないようにすれば、首領の座は安泰だ、と。
 しかし青柳はきっぱり断りました。
「わたくしの家は代々、由緒正しき北面の武士、皇室の御楯(みたて)としてお仕えしてきました。たまたま男子が産まれなかったので、わたくしが後を嗣ぎ、女武者所に入ったのです。お申し出はありがたいが、都へ帰らなければ、とんだ親不孝になります」
 あてが外れた巨綸、仕方なく桜戸に、真弓に嗣ぐ第四位の席次を与え、青柳に土産を持たせて送り出したのでありました。

四編之弐
青柳、太宰府にて盗賊退治に加わり、
大手柄を立てる


 さて都に戻った青嵐の青柳、元通り女武者所に務められるよう、諸方面に賄賂を送って根回しをし、願い文を提出したのでありました。
 しかし、願い文を見た亀菊は激怒しました。
「あの女! 図々しいにもほどがあるわ!」
 願い文を引き裂いて叫びます。
「絶対に許さない! 女武者所どころか、どんな官職にもつけないようにしてやる!」
 亀菊がここまで青柳を嫌うには理由があります。
 青柳が女武者所に務めていた頃、夜の警備についていて巡回中、塀を乗り越えて入ってきた男がありました。見咎めたところ抵抗してきたので、睾丸を蹴り潰して倒したのですが、実はその男、亀菊が都大路で見初めて、その夜、院に忍び込んでくるよう命じた美少年だったのです。一夜そのからだを堪能してから睾丸を潰して殺そうと楽しみにしていた亀菊、青柳が先を越して睾丸を潰してしまった事に腹を立て、些細な過失から都を追放処分にしたのでした。
 己の悪行を顧みぬ逆恨みですが、ともあれ、青柳は復職する事ができません。しかも復職運動のため諸方面に賄賂をばらまいたので財産を使い果たし、使用人も一人去り二人さり、とうとう青柳は一人きりになってしまい、明日の食すらおぼつかなくなったのです。
 こうなったら、親から受けついだ資産を切り売りするしかありません。めぼしいものは売ってしまい、とうとう、代々伝えられてきた名剣・三(み)つ具足丸(ぐそくまる)を金にかえるしかなくなった青柳は、泣く泣く街に出て、三条大橋のたもとに立ち、
「いい刀がありますよ。どなたか買ってくれませんか」
 と呼びかけますが、悲しいかな商売の素人、恥ずかしくもあり、手放すのが惜しくもあり、声が自然小さくなってしまい、誰も振り向きません。
「どうしよう……」
 としょげていると、橋向こうから大勢の人が逃げてくるのが見えました。
「牛鬼だ、牛鬼が来たぞ」
「早く逃げろ」
 と口々に叫んでおります。何事ならんと見ていると、橋を渡って歩いてきたのは、肥え太った醜悪な大女、腰に大刀をさげ、見るからにならず者を二人従え、肩で風きって歩いてきます。ひどく酒を呑んだと見え、赤い顔で鼻息荒く、大声でわめきあっております。
 牛鬼と呼ばれた大女、橋を渡り終えた時よろけ、青柳にどんと突き当たりました。
「おい、邪魔だよ」
 大女は酒臭い息を吹きかけながら、詰め寄ってきました。
「すみませんでした」
 青柳が謝ると、大女、
「なんだか可愛い顔してるねえ。顔の可愛い女はどうも気に喰わない。おまえ、身なりは武士のようだが、こんな所で何してるんだ?」
「刀を売っています」
「刀? 武士たる者の魂を、商人の真似をして金にかえようとはけしからん奴だ。どれ見せてみろ。何ならあたいが買ってやる。銘はあるのかい?」
 と聞かれ、青柳は答えました。
「三つ具足丸と言います」
「なんだそりゃ」
「第一に鉄をきれば音もなく切断します。第二に、髪の毛を刃に乗せて息をふきかけると、たちまち切れて散乱します。第三に人を斬れば、骨も断ち切り、また素早く切れるので血を見ることもありません。それゆえに三つ具足と名付けられたのです」
「で、値段はいくらだ?」
「急な入り用がありますので、三十両におまけします」
「おまけ? ずいぶん高いじゃないか。三百文にまけろ」
「これほどの名刀、三百文とはあんまりです」
「生意気だねえ。だいたい、鉄も髪も切れるということだが、どうせ高く売りつけるための大ボラだろ? 信じられないねえ」
「うそじゃありません」
「じゃあ、ここでやってみせろ」
 と牛鬼、懐から銭を取り出して橋の欄干に置き、
「これを切れ」
 と言います。青柳、仕方なく欄干に歩み寄り、抜く手も見せず刀を欄干に振り下ろし、あっという間に鞘に収めました。あまりの早業に牛鬼も、子分たちも呆然。
 しかしよく見ると、銭は欄干に乗ったままです。切れた様子もありません。
「やっぱりホラじゃねえか」
 牛鬼は、なあんだと笑い出して、子分に銭を回収するよう命じ、一人の子分が欄干に手を出したとたん、銭は二つに割れて橋に落ちました。子分が銭を拾うと、まるで豆腐を切ったかのような綺麗な切断面。
「わあ、すげえや!」
「鮮やかなもんだ。三十両どころか百両でも安いくらいだ」
 いつの間にか集まってきた野次馬が歓声をあげます。面目を潰された牛鬼、感心した顔つきで銭を持ってきた子分の手を払い、
「何、にたにたしてんのさ!」
 と股間を蹴り上げ、悶絶する子分を尻目に青柳に詰め寄りました。
「じゃあ、今度は髪の毛だ。やってみせろ」
 と自分の髪の毛を抜いて渡しました。これもみごとに切れて飛び散り、それを拾って親分に見せた子分も仲間同様、腹いせに牛鬼から睾丸を蹴り上げられる羽目に。
「じゃあ、人を斬ってみせろ。肉も骨も鮮やかに切断し、血も出ないと抜かしてやがったじゃないか。ほんとうだと証明してみろ」
 とわめく牛鬼に、青柳は静かに諭します。
「ここは天下の往来。罪なき人を斬るわけにはまいりません」
「かまわねえ、こいつらを斬れ」
 股間を両手で押さえて七転八倒する子分を指さして言う牛鬼に、青柳は顔をしかめ、
「家来は大事に扱いなさい」
「おめえ、あたいに説教すンのか! おめえはさっき、この刀は鮮やかに人を斬ると言った。さあ、早く誰か斬れ!」
 その剣幕に野次馬は驚き、自分が斬られては迷惑と後ずさりします。
「どうしても、斬れというのね?」
 青柳は、じっと牛鬼を凝視して問いました。牛鬼は言い返します。
「当たり前よ!」
「では、遠慮なく!」
 言うなり、青柳は牛鬼の股間を蹴り上げました。恥骨を蹴り砕かれ、牛鬼、眼を見開き、苦しげに顔を歪め、両手で股間を押さえてしゃがみこみました。
「てめえ……なにをする……」
 やっと顔をあげて青柳を睨んだ刹那、青柳の腕がさっと横薙ぎに払われました。
 一瞬、刃がきらめいたと思った瞬間、すでに刀は鞘に収められ、牛鬼はぽかんと口を開け、信じられないような面差しで身じろぎもしませんでしたが、やがて横さまに倒れ、その拍子に、首が胴を離れて転がりました。
 青柳は一撃で牛鬼の首を切断し、そのあまりの早業に首は胴に乗ったまま、血しぶきひとつあがらなかったのです。
「なんてことを……!」
 青柳は、眼を閉じて唇を噛みしめました。
「いかに無頼漢とはいえ、天下の往来で人を殺めてしまった」
 そして自ら六波羅の決断所に出頭し、自首したのでした。
 本来ならば斬首となるところですが、都の人々が大勢集まり、そもそもは牛鬼が無理難題を押しつけた事、また牛鬼のために大勢の人が迷惑をこうむっている事を口々に訴えたため、別当の伊賀尼は、罪一等を減じて、九州は筑前国太宰府への流罪を申し渡しました。
 かくして青柳は、首枷をはめられ、遠く太宰府へと引っ立てられていったのであります。

 当時、大陸や朝鮮半島との交易の窓口だった太宰府を統括する探題(たんだい)は、小武信種(こたけののぶたね)という大名でした。
 太宰府の探題といえば、九州の地全体を管領する要職であり、豊かに富み栄え、その奥方の十時御前(とときごぜん)は、時の鎌倉幕府執権・北条義時の娘であるというほど、威を振るっておりました。
 この十時御前という方は、いまだ十八歳にすぎませんが、容姿端麗にして賢夫人の誉れたかく、しかもたいそう武芸を好み、召し使う女房にも武芸を習わせておりましたが、とうとう、
「都の院の御所同様、太宰府にも女武者所を置きましょう」
 と提案し、九州じゅうの武芸自慢の女たちを多数召し抱え、自ら別当として差配していたのであります。
 その十時御前、かつて都の女武者所で並ぶものなき剣客だった青嵐の青柳が流罪となって太宰府のお預かりになったと聞き及び、
「あなた、その青柳という女武芸者を、ぜひ、武者所の教頭(おしえがしら)としてお迎えしたいわ、いいでしょう」
 と夫の信種におねだりしました。信種は頷きつつも、
「とはいえ、罪人をいきなり武者所の頭に取り立てるのも、おかしな風評が立つことになるだろう。まずはそなたが端者(はもの)として使い、その人柄や立ち居振る舞いを見極めるがよろしい」
 と言いますので、青柳は、十時御前の屋敷にて水仕事をする下女となりました。
 それからというもの、青柳は一生懸命に働き、またその仕事ぶりが心利いたものでしたので、十時御前はますます気に入り、ある日、側近く呼び寄せて、
「あなたが、京の都で武名を轟かせていた事は知っていました。本来ならば、こんな雑用ではなく、女武者所の教頭に迎えたいのですけれど、いきなりの抜擢はひとの妬み嫉みを招きかねないので、下女として働いてもらっていたのです」
「わたくしは罪人です」
 青柳は恐縮して頭を下げました。
「どんなお仕事であろうと、命ぜられれば懸命にこなすのは当然です」
「とはいえ、いつまでもあなたほどの人材に、つまらぬ仕事をさせておくわけにもいきません。ぜひ、武者所に取り立てたいのだけれど、それにはまず、手柄を立ててもらいたいのです。」
「手柄、と言いますと?」
「この太宰府から一日歩いた先に、烏帽子山(えぼしやま)という小高い丘があります。そこに、野森(のもり)なる盗賊の一味が籠もり、付近を荒らし回って民人が困っています。男武者所から討伐隊を出したのですが、全滅してしまいました。そこで、女武者所から討手を組織し、討伐させることとなったのです。青柳さん、あなたは申し訳ないが、雑役婦として参加してください」
「わかりました」
「相手は強大な敵。雑役婦としての参加でも、あなたの武芸を披露する事態はおおいにありえます。得意の武器を持参なさってくださいね」
 翌日、青柳が名剣具足丸を帯びて女武者所に行くと、庭にはすでに、別当たる十時御前の前に十名ほどの女武者が勢揃いし、御前の傍らに立つ女武者所の老女字野江(あざのえ)から訓示を受けておりました。
「あの方が、女武者所の教頭を務める索城(なわしろ)さん、少々短気なので向不看(むこうみず)の索城と呼ばれています」
 青柳を案内してきた武芸係の郎党である立波兵衛(たちなみひょうえ)が、囁きました。
「御前は、沈着冷静な青柳さんと、短気だが剛胆な索城さんを組み合わせる事で、女武者所を最強の組織にしたいと願っているのです。頑張ってくださいね」
 やがて訓示が終わり、一行は十時御前から太宰府探題の名代である事を示す節刀を授けられました。教頭の索城が代表して節刀を押し頂くと、女武者たちは馬にまたがり、勇躍出発いたしました。その後から、青柳たち四人の雑役婦が荷車を押して続きます。
 山の麓にある里に着いた時は、すでに夕方でした。その日は里の寺に泊まる事になり、索城ら女武者たちにはそれぞれ部屋が与えられましたが、青柳ら雑役婦は奥まった狭い布団部屋に四人押し込められました。
 その夜、眠れぬままに青柳は、布団部屋を抜け出しました。寝静まった里の広場に、月明かりの下、ひとり剣を振るって鍛錬しておりますと、
「なかなか、やるわね」
 と声をかけられました。振り返ると、討伐隊の指揮官である女武者所教頭の索城です。剣を収めて一礼すると、
「ただの雑役婦ではないと思っていたわ。物腰を見れば分かる。実は名ある女武者じゃないの?」
「いえ……わたくしは、十時御前さまのお屋敷で水仕事をしている下女にすぎません」
「生まれはどこ?」
「武蔵です。父が北面の武士だったので、都に出ました。そこで粗相をして太宰府に島流しになったのです」
「やはり、武士の家系だったの。血は争えないわね」
 そう言い終えて、いきなり索城は、腰の剣を抜いて投げつけました。飛んだ先に、ひとりの武装した男が刀身に貫かれ、悲鳴をあげて倒れます。
 同時に青柳の剣が、逆の方向に飛びました。そこには、やはり武装した男が、袴の裾を剣に刺し貫かれ、地面に縫いつけられた形で立ちすくんでいます。
「動くな!」
 青柳はそう叫び、さっと駆け寄って、男の股間を蹴り上げました。男は両手で股間を押さえて倒れ、悶絶して地面を転がります。
「もう一人いたか!」
 索城は、自分が倒した男の身体から太刀を引き抜いて駆けつけました。怒りに眦(まなじり)をつりあげ、悶絶する男に向けて太刀を振り上げ、
「間諜め、殺してやる!」
 そう叫んで振り下ろそうとしたのを、青柳、
「いけません!」
 と押し止めました。
「お腹立ちは分かりますが、ここは、この者を尋問して、砦に至るまでの道順や砦の構造を聞き出すべきと存じます。砦までの途次、どんな罠が仕掛けられているか分かりません」
「なるほど、それは道理だわ」
 索城は冷静さを取り戻して剣を収めました。青柳は続けました。
「この里は幾度も賊に襲われ、大勢の男達が殺されています。こいつを縛っておいて、夫や息子を失った女たちを並ばせ、白状しなければ睾丸が潰れるまで蹴らせると脅すのです」
「それは面白い」
 索城は頷き、悶える男の襟首を掴んで立たせ、
「聞いた? 素直に白状しなければ、二度と女とのまぐわいどころか、手淫を楽しむこともできなくなるのよ」
 と威嚇したのです。
 翌日、討伐隊は烏帽子山に潜入、男の白状で知った数々の罠を無事すり抜けて砦にたどり着き、大勢の賊を斬り散らし、頭目の野森も討ち取りました。
 女武者所に帰還し、出迎えた十時御前らから祝福されるなか、索城はこう嘆願しました。
「あの青柳は、下女にしておくにはもったいない者です。ぜひ、女武者所の教頭にしてください。短気なわたくしより、大きな器量の持ち主だと存じます」
 これを聞いた青柳は、
「それは困ります」
 と必死に辞退しますが、索城は、
「この度の手柄は青柳さんがいてこそ。わたくしは是非、青柳さんにお仕えしたいのです」
 と言い張ります。
 そこで十時御前、索城と青柳を二人ともに同格の教頭としたのでありました。

 ところで、さかのぼること十年近く前のこと、かつて鎌倉の二代将軍源頼家は、叔父にあたる執権北条義時の謀略により伊豆の修善寺に監禁され、ほどなく北条が放った刺客によって暗殺されました。将軍の座は、弟の実朝(さねとも)が継ぐことになったのです。
 頼家には、妾腹なる三世姫(さんぜひめ)という息女がおりました。この姫の命も狙われたのですが、乳母夫妻が幼い姫を守って鎌倉を出奔し、九州に落ち延び大事に育てていました。ところが、姫の正体を知った里人が、乳母夫婦を殺害し、大宰府探題小武信種に差し出したのです。信種はおおいに喜び、姫を鎌倉へと送り遣わす事としました。
 ちょうど、十時御前の父親である北条義時が病に臥し、陰陽師の占いにより、太宰府天満宮が秘蔵する天国(あまくに)の宝剣を枕元に置けば平癒すると告げられました。それで義時は太宰府に書状を送り、
「天国の宝剣を一時、鎌倉に貸して欲しい」
 と依頼したのです。執権からの依頼とあれば断るわけには参りません。
 当時、平家や源義経、奥州藤原氏など幕府に滅ぼされた者の残党が山野に蟠居し、砦を構えて治安を乱しておりました。もし、三世姫を賊に奪い取られては大宰府探題ひいては鎌倉幕府の面目丸つぶれです。三世姫と宝剣と、この二つを鎌倉に送るには、知勇兼備の者に護送を任せる必要があります。
「ならば、青柳がよいでしょう」
 と口添えしたのは、十時御前でした。父親である探題・小武信種は、
「おお、あの烏帽子山の盗賊討伐に大功のあった青柳ならば、まさに適任だ」
 とさっそく、青柳を呼び出し、任務のおもむきを詳しく説明し、
「大事な用だから、手勢を三百付けよう」
 と言いました。すると青柳、にべもなく言います。
「お断りいたします」
「な、なぜだ?」
 と狼狽える信種に、青柳は言いました。
「烏合の衆三百をつけられましても、わたくし一人で統制するのは無理です。足手まといになるだけならともかく、裏切って盗賊どもに通じる者も出てこないとは限りません」
「だったら、どのくらいの人数が必要が、言ってみてくれ。お前の判断に任せたい」
「大仰な行列はかえって危険です。わたくしと三世姫は、富裕な商人の母娘の旅姿になりすまし、同じ輿に乗っていくのが良策と存じます。他に駕籠かき四人、荷物を運ぶ下男下女三人くらいが適当かと」
「なるほど、もっともだ。では、駕籠かきの他に、女武者所付きの老女である世和田(せわた)の局(つぼね)、奥付きの雑掌(ざっしょう)渋川栗太夫(しぶかわくりだゆう)、表使いの樽柿衛門太夫(たるがきえもんだゆう)の三人をつけよう。みな重役だから、頼りになるはずだ」
「お断りします」
 またも即答され、ますます狼狽える信種に、青柳は説明しました。
「皆さま、わたくしよりも上席にある方々、わたくしに指図される事は面白くないでしょう。統制がとれるとは思えないのです」
「ふむ、それも、もっともだ」
 と信種、世和田太夫、渋川栗太夫、樽柿衛門太夫を呼び寄せ、
「何事もこの青柳の指図に従うように。逆らった時は、帰国後、その罪を咎めることになる。よいな」
 と厳しく申し渡しました。
 かくして、数日をかけて旅の準備を整えた青柳は、九歳の三世姫と同じ駕籠に乗って鎌倉へと旅立ったのです。

四編之参
夜叉天王の小蝶、智慧海の呉竹ら、
三世姫と宝剣強奪を計画す


 話は少々脇に逸れます。
 難波津(現在の大阪府)の天王寺村に近い観音堂の周りに人だかりができておりました。お堂の中から大鼾が聞こえてくるのです。扉を開けると、雲をつくようなひげ面の大男が、真っ赤な顔でだらしなく眠っていました。
「どうします?」
「下手に起こして暴れられても困るなあ」
 長老らしい高齢の男性が腕組みして、
「ここは、庄屋さまにお願いするしかあるめえなぁ」
 と、若い者に「庄屋さまをお連れしてくれ」と命じました。
 やがて現れた庄屋さまは、年の頃三十過ぎか、小柄で穏やかそうな、おっとりした丸顔の女性です。
「おお、小蝶(こちょう)さま、お手を煩わせて、申し訳ありません」
 村人たちは一斉にお辞儀しました。
「酔っぱらいが寝てるんだって?」
 小蝶と呼ばれた女は、にこにこ顔でお堂を覗き込み、
「あらら、情けない恰好ね。もしもし、こんな所で寝ていたら風邪を引きますよ」
 と、酔っぱらいの肩をぽんぽんと叩きました。酔っぱらいは顔を不機嫌に歪めて、身じろぎし、
「うー、誰でえ」
 と割れ鐘のような声を出しました。それから瞼をあげ、なんだ女か、と呟き、また寝入りました。
「いけませんよ、起きて下さい」
 さらに小蝶が肩を叩くと、かっと眼を見開き、小蝶の腕を掴んで、
「うるせえぞ、女! 俺は女に指図されるのは大きれえなんだ。とっとと失せろ、失せねばおまえを強姦するぞ!」
 と怒鳴ります。小蝶は笑顔のまま、問いました。
「いま、強姦と言いましたね」
「おう、言った」
「強姦なんて言葉を平気で使う男がわたくしの村に現れました。見過ごせません」
 言うなり、逆に男の腕を掴んでひねりあげました。
「いててて、何をする」
 と立ち上がった男の背後に回り、小蝶は右手を股間に差し込み、睾丸を掴んでひねりあげます。
「ぎゃぁぁぁああ!!!!」
 絶叫する男を、小柄な体には似合わぬ大力で、睾丸を掴んだまま観音堂の外に引っ張り出し、そのまま男を担ぎ上げ、投げ飛ばしました。男は遠くに投げ出され、仰向けに倒れて動かなくなりました。その股間から血が噴き出しております。投げ飛ばしざまに、睾丸を握り潰したのです。
「そいつは、村の外に放り出しておきなさい」
 涼しい顔で命令する小蝶に、若い衆が数名、「へい!」と返事して、去勢された男を運び去りました。
 口々に例を言う村人に、
「また何かあったら遠慮なく呼んでくださいね」
 と笑顔で頷き、小蝶は自分の屋敷へと歩いていきました。
 やがて人どおりのない道に出た時、小蝶は立ち止まり、背後に向かって、
「さっきからわたくしを尾行なさっているようだけれど、どなた?」
 と言いました。
 すると、物陰から出て来たのは、赤い髪の毛を無造作に垂らした十七八の若い娘です。
 娘は、小蝶の傍らに跪き、
「夜叉天王の小蝶さんですね」
 と問いました。
「わたくしの綽名をご存じなのね」
 小蝶は微笑みました。赤毛の娘は頷いて言いました。
「昼は慈悲深い庄屋様ながら、夜は盗賊として富豪の家に忍び込み、あるいは財宝を運ぶ公の荷車を遅い、奪った金銀を貧しい者に配って歩く義賊、人呼んで夜叉天王の小蝶さん。さきほど、その腕のほどは見せていただきました」
「で、わたくしに何か御用でも?」
「外ではお話しいたしかねます」
「わかりました。わたくしの屋敷にいらっしゃいな」
 小蝶はそう答えて歩き出しました。

 小蝶の屋敷に至ると、来客がありました。
「あら、呉竹(くれたけ)さん、しばらく」
 奥座敷で一人待っていた客人の顔を見て、小蝶は、ちょうどよかった、あなたも聞いてくださいな、と赤毛の娘を招き入れました。
「この呉竹さんは、もともと院の御所に仕える女博士でしたけれど、亀菊さまの勘気を蒙ってこの天王寺村に逃げてきた方なの。近所の子供たちに読み書き算盤を教えてる手習いのお師匠さんですが、かつては智慧海(ちえのうみ)の呉竹と呼ばれていたほどの賢者なのよ」
「はじめまして、呉竹です」
 三十路近くと見える聡明そうな面差しの美女は、赤毛の娘に一礼し、それから小蝶に向かって、
「この方は?」
 と問いました。小蝶は笑い出し、
「ああ、そうだった。わたくしとしたことが、あなたのお名前を聞いていなかったわ。自己紹介なさって」
 と言いますが、赤毛の娘は、呉竹を警戒してか、口を開こうとしません。その様子に小蝶は、やや面差しを引き締め、
「この呉竹さんは、わたくしの長年の親友です。呉竹さん同席では言えない御用ならば、わたくしも聞かないことにいたします」
 と告げると、赤毛の娘は観念したように口を開きました。
「わたくしは、築紫(つくし)の国田代(たしろ)の者で、名は味鴨(あじかも)、髪の毛が赤いので、人呼んで赤頭(あかがしら)の味鴨と申します。父が先の鎌倉将軍頼家に仕えていたので、わたくしも鎌倉にのぼり、頼家さまのご息女、三世姫のお世話をしておりました」
「三世姫といえば、頼家公が討たれた折り、行方知れずになられたとか」
 呉竹の問いに、味鴨は答えました。
「実は九年前、北条一族の計略で頼家さまが亡ぼされた時、まだ幼かったわたくしは父とともに三世姫をお守りして筑紫に落ち延びたのです」
「そうだったのですか」
「ところが最近、わたくしの留守中、里人が大勢、父や家臣たちを殺害し、三世姫を太宰府探題に差し出したのです。わたくしは何とか、三世姫をお救いしようと探っていたところ小蝶さまのお噂を耳にし、ご助力いただくべく参上したわけです」
「分かりました」
 小蝶は頷いて言いました。
「わたくしの親は、かつて頼家公のご恩顧を蒙った者。今の義時の悪政を深く憎んでおります。この呉竹さんも御同様」
「そのとおりです。わたくしもぜひ、力をお貸ししたいと思います」
 呉竹はそう言い、それから思案顔になりました。
「とはいえ、この難波からは、築紫は遠い。わたくしも小蝶さんも、九州の地理には明るくありません。どうやって奪い返すか、策はおありですか?」
 すると味鴨は微笑んで言いました。
「大丈夫です。わたくしがここに来る前に聞いたところでは、姫は鎌倉に送られる事になったとか。しかも、北条義時の病気平癒のため、太宰府天満宮の神宝である天国の宝剣を一緒に運ぶとの事。鎌倉への道中を待ち伏せし、姫と宝剣を同時に奪い取れば、義時に一泡噴かせる事ができます。いかがですか?」
「それは痛快だわ!」
 小蝶は手を叩いて喜びました。呉竹も同調します。
「昨夜、わたくしの家の裏に北斗七星が落ちたのが見えました。星を夢見るは吉兆と申します。この作戦、絶対にうまくいきますわ」
「それにしても、相手は厳重に警戒しているでしょうし、もう少し味方がほしいわね」
 という小蝶に、呉竹は提案しました。
「わたくしの知り合いに、近江の唐崎で漁師をして生計を立てている三姉妹がいます。長女の名は水慣棹(みなれざお)の二網(ふたあみ)、次女の名は気違水(きちがいみず)の五井(いつつい)、末っ子は鬼子母神(きしぼじん)の七曲(ななまた)。かつて、鎌倉幕府の重臣新田忠常と懇意で、漁師ながら親しく屋敷の出入りを許され、鎌倉の海でとれた新鮮な魚など献上していたそうですが、新田忠常が北条家によって謀反の濡れ衣を着せられ滅ぼされた後、近江に流れ着いた娘たちです。まだ年若ながら武芸にすぐれ、義侠心あつく、北条が牛耳る幕府への恨みも深い。ぜひ協力させましょう」
 小蝶は喜んで賛成し、翌日、呉竹は近江へと旅立ちました。

 近江の唐崎に赴いた智慧海の呉竹、湖に面した三姉妹の家に至りますと、玄関の軒先で網を干していたのが長女の水慣棹の二網、年の頃は十九歳ばかり。
「あ、呉竹の先生じゃん!」
 二網は飛び上がって喜び、それから湖にむかって大きく手を振りました。
 やがて小舟で漕ぎ寄せてきた十七歳の気違水の五井、十五歳の鬼子母神の七曲。いずれも健康的な美少女ぞろい、若いぴちぴちのお肌をさらし、たくましい太ももを剥き出しにした漁師姿で岸に舟をつけ、
「せんせー!」
「ひさしぶりー!」
「うれしー!」
 と呉竹に抱きつきます。
 しばし再会を祝した後、湖畔の浜辺で焚き火をし、とれたばかりの魚を炙(あぶ)りながら、酒を酌み交わしはじめました。
「どう、景気は?」
 呉竹の問いに、長女の二網、
「さっぱりですねー。ここのところ、梁山泊に籠もった盗賊たちが縄張りを広げていて、あたいらの漁場が狭くなっちゃった。商売あがったりですよ、先生」
「それは大変ね。目代は取り締まってくれないのですか?」
「あいつら、なぁんもしませんよー」
 と次女の五井が口を尖らせます。
「なんでも、都じゃ院の寵姫の亀菊、鎌倉の幕府じゃ執権北条義時、東も西も悪政ばかりで、盗賊の取り締まりなんてやってくれないんです。ほんと、役立たずのお役人ばかり」
「それどころか、目代に仕える武者たちったら、夜になると、強盗に早変わりしてるんですよー」
 三女の七曲が言いました。
「だから、あたいたち里人に頼まれて、自警団みたいな事やってるんです。強盗がやってきたら里人は役人たちじゃなくて、あたいらに通報する。んで、あたいらが強盗を退治してみたら、そいつらが役人だったりするんですよー」
「七曲ちゃん、昨夜は三人もやっつけだんだよね」
 そう言って肩をつつく五井に、十五歳の七曲は無邪気に、
「そうそう。三人もきんたま潰してやったんですよー。姉ちゃんに習った得意技です」
 すると十七歳の五井、
「あたいは二人。妹に負けちゃったー」
 十九歳の二網が肩をそびやかし、
「えっへん。あたいは五人だよ。十人組の強盗を、三人で全滅させちゃいました。おかげで最近、泥棒も減ったよね。この唐崎には、きんたま潰しの名人三姉妹がいるって評判が立ったおかげだって、みんな言ってるしー」
 けらけら笑う三姉妹を、眼を細めて見ていた呉竹、ふと笑顔を引っ込め、
「ところで、あなた方に手伝ってもらいたい事があって来たの」
 と三世姫と天国の宝剣奪還計画のあらましを語ります。
「どう、協力してくれるかしら?」
 すると、さきほどまで笑いさざめいてふざけていた三姉妹、引き締まった面差しで、
「やります!」
「北条のクソオヤジに仕返しできるなら、なんだってやります!」
 長女の二網と次女の五井が、きっぱり言えば、末娘の七曲は、
「おもしろそう、やりたーい!」
 とはしゃぎます。呉竹は満足げに、
「ありがたいわ。詳しい話は天王寺村で打ち合わせるとして、今日は久しぶりにゆっくりお喋りしましょうね」
 わいわいやって、その夜は更けました。

 翌日、呉竹と三姉妹は、琵琶湖に舟を漕ぎ出し、湖の南端から難波に向かって流れている淀川を下って天王寺村へと向かいました。
 よく晴れて風の心地よい日でした。三姉妹が交替で舟を操るなか、風流人の呉竹が、矢立を取り出し、懐紙に岸辺の光景などを書き記しておりますと、
「ねえ、二網のねーちゃん」
 末娘の七曲が、艪を動かしている長女に向かって言いました。
「そろそろ、出る頃じゃないかなぁ」
「ああ、そろそろだね」
 二網は頷き、五井と七曲は、船底に置いた箱から短刀を取り出し、口にくわえて川に飛び込みました。
「うん?」
 呉竹が不審に、二人が飛び込んだ波紋が浮かぶ水面を見つめていると、二網が説明しました。
「このへんは、川賊が出るんですよー」
「川賊?」
「はぁい。あのへんから来るかな?」
 二網が指さした先は、岸辺に人の背丈ほどもある芦原がびっしりと繁っておりました。
 不意に、芦原から二艘の小舟が現れました。それぞれ、武装した男たちが三人ずつ乗っています。艪を操る者以外の二人は弓に矢をつがえ、こちらを狙って引き絞っています。
「ほうら、やっぱり出た」
 二網は少しも騒がず言いました。
「大丈夫なの?」
 さすがに呉竹が問うと、二網は、
「まー、見ててくださいよー」
 と呑気そう。
「おおい、お前ら!」
 一人の川賊が怒鳴りました。
「もう逃げられねえぞ。舟を止めて、両手をあげろ」
「あいよー」
 二網が艪から手を離し、碇(いかり)をおろして舟を固定し、呉竹を促して両手をあげますと、川賊たちはにたにたして、
「なかなか、いい女たちだぜ。後でかわいがってやるから、おとなしくついて来な」
 と言うのを、二網は嘲笑い、
「悪いけどあたいら、醜(ぶ)さ面(めん)に抱かれる気はないんだなー」
「なにぃ!」
「醜さ面は、おとなしくきんたま潰されてな」
 二網がそう言うなり、川賊たちの背後の水面から、さきほど川に潜った五井と七曲が、飛び出しました。二人は一艘ずつ川賊の舟に乗り込み、まず艪を操っていた奴の股間を蹴り上げ、水の中に突き飛ばし、口にくわえた短剣を抜いて、さっと舟尾から舳先(へさき)まで駆け抜けると、それぞれの舟で弓をつがえていた二人の川賊は、血を噴く股間を抑えて船底に倒れました。四人とも、陰嚢も男根もすっぱり切り落とされたのです。
「ざまぁみろ!」
「あんたら今日からタマなしだよーん!」
 五井と七曲はそう叫ぶと、舟から水に飛び込むと、抜き手をきって、二網が操る舟に泳いで戻りました。川賊たちの舟からは、睾丸を蹴り潰されたり、切り落とされた賊たちの悲痛な呻きが響いてきます。
「やったね!」
 舟にあがってきた五井と七曲を笑顔で出迎えた二網、姉妹同士で手を打ち合わせていましたが、
「ぎゃははは、まんまとかかりやがった!」
 と背後から胴間声がしました。振り向くと、もう一艘の大きな舟が、こちらは、十人ほどの賊が乗り込み、一斉に弓をつがえて狙っております。
 そのなかで、頭目らしいひげ面の男が言いました。
「おめーら、二網、五井、七曲の三姉妹だろ。その手で大勢の同業者が殺されたが、同じ轍を踏む俺じゃねえ。みごとに罠にひっかかりやがって、いい気味だぜ」
「そーなんだー。だとしたら、あんたひどいねえ」
 二網が言い返しました。
「妹たちにきんたま潰されたり、切り落とされた連中は、最初からそうなるとあんたは分かっていたわけかー。仲間の命を粗末にするなんて、最低!」
 頭目は激怒して怒鳴りました。
「うるせえ、お前らみたいな小娘に、これ以上、いいようにやられるわけにゃいかねえんだよ! 射殺されたくなければ、さっさと服を脱げ。すっぱだかになって、この舟に泳いでくるんだ。早くしろ!」
「うう、どうするー?」
 七曲が姉たちの顔を見ました。
「あんなに矢で狙われてちゃ、さすがにどうしようもないんじゃない?」
「呉竹せんせー」
 二網が、涙目で問いました。
「どうしたらいいか、わかんないんですけどー、なんか、いい知恵ないですか?」
 呉竹が言葉に窮していると、不意に、それまで晴れていた青空がにわかにかき曇り、ごうごうと激しい風が吹きつのりました。舟は大きく揺れ、矢をつがえていた川賊たちは立っていられず、船底にしゃがみこみます。
「今だ!」
 三姉妹は、目配せをしあい、一斉に川に飛び込みました。そしてすぐに、ゆらゆら揺れる賊の舟に乗り込み、あっという間に十人とも、睾丸を蹴り潰され、切り落とされました。
 三姉妹は、一人残らず敵を去勢したことを確かめると、再び川に飛び込み、自分たちの舟に泳いで戻りました。
「ああ、助かった」
 三姉妹の着衣はすっかり濡れてしまい、胸乳や乳首の形もはっきりと透けてみえておりましたが、気にするふうもありません。
 空を見上げると、先ほどまで曇っていた空は、すでに元通りに晴れ上がっています。
「びっくりしたねー、急にお天気が悪くなるんだもんねー」
「で、またいいお天気に戻っちゃったよ。呉竹せんせー、何があったの?」
「さあ?」
 小首を傾げる呉竹が、ふと、川岸を見やると、そこに立っていたのは白い巫女装束に、笹竹を手にした二十歳ばかりの若い女でした。
 こちらを見て、笑って手を振っています。
「誰だろう?」
 呉竹はそう呟き、
「あの人とお話したい。舟を岸に着けてくれる?」
 と三姉妹に言うと、二網は巧みに艪を操り、岸辺に漕ぎ寄せました。
「まさか、あなたですか?」
 川岸に降り立った呉竹は、巫女装束の女に歩み寄って問いました。
「さきほど、空を曇らせ、風を起こしたのは?」
「そうです」
 巫女装束の女は笑顔で頷きます。
「えええええ!!!」
「うそーーー!!!!」
「まじですかー、ほんとにそんなこと、できるんですかー!!!」
 大騒ぎする三姉妹に、巫女装束の女はにっこり頷き、言いました。
「できますとも。ここで、和歌の一つもひねろうかと風景を眺めておりましたら、あなた方が川賊に囲まれているのを目にしたのです。同じ女として、あなた方の味方をしなきゃと思い、ちょっとした術を使わせていただいたのです」
「術?」
 その言葉に呉竹、思い至ったことがあるらしく、息せききって訊ねました。
「あなたはもしかして、高名な雲間隠(くもまかくれ)の龍子(たつこ)さんじゃありませんか?」
「あら?」
 巫女装束の女は、目を見開きました。
「いかにもわたしは、雲間隠の龍子ですが、そういうあなたは、どなた?」
「わたくしは、天王寺村に住まう呉竹と申します」
「ええええ!!!!」
 今度は龍子がびっくり仰天。
「智慧海の呉竹さんですか? わたし、ずっとお会いしたかったんですよ! うわあ嬉しい、信じられない!」

 雲間隠の龍子は、都で高名な陰陽師だった阿部泰彦(あべのやすひこ)の娘です。阿部泰彦はかつて後鳥羽院と対立して都を追われ、鎌倉に赴き、幕府の重臣である梶原景時に重用されました。その景時が北条一族の隠謀で失脚したため、阿部泰彦も側杖を喰らって打ち首となり、一族は離散する羽目に。
 龍子は都に戻り、鞍馬山に籠もって修行に励み、父にも勝る術使いとして名をあげましたが、院の御所を壟断する亀菊の勘気に触れ、都を逃げて近江と難波の境あたりに隠遁していたのでありました。
 東においては北条家が仕切る鎌倉幕府、西においては亀菊が思いのままに操る院の御所、こうした現世のあり方に不満を抱く一人であります。
 呉竹も、龍子も、かつては都で知らぬ者なき女博士と陰陽師でありながら、同じく亀菊によって都を追い出された者として、面識こそなけれど、互いを意識しあっていたのです。
 すっかり龍子と意気投合した呉竹は、
「これも天意でしょう。ぜひ、われらが企てに参加してください。お願いです」
 と、三世姫と天国の宝剣強奪計画を打ち明けました。龍子は一も二もなく、
「やる、やる、やります!」
 と大喜び。
 かくして、呉竹、龍子、二網、五井、七曲の五人の美女たちは、小蝶が待つ天王寺村へと、旅を続けたのでありました。(四編・了)

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