傾城水滸伝
五編 夜叉天王の小蝶の巻



五編の壱
小蝶一味、三世姫と宝剣狙い、
青柳は花殻の妙達と出会う


 さて、太宰府探題小武信種(こたけののぶたね)の命を受けて、二代将軍頼家の忘れ形見の三世姫と、太宰府天満宮に秘蔵されていた天国の宝剣とを、都に護送する青嵐(せいらん)の青柳(あおやぎ)の一行は、九州から本州へ上陸し、東へ東へと旅を続け、摂津(現在の大阪府と兵庫県の一部)の国湊川(みなとがわ)に至りました。
「まったく、大変な目にあったぜ」
 宿所に近い飲み屋では、青柳一行に雇われた四人の駕籠かきが、酒をかわしながら愚痴をこぼしておりました。
「とっとと鎌倉に送り届けて、早くやめてえよ」
「歩き通しに歩かされて、ろくに休みも貰えねえ。少しでも遅れれば殴られる。とんだ大将に雇われちまったもんだ」
「おめえなんか、危うくきんたま蹴られそうになってたもんなぁ」
「そんなにひどいんですかー?」
 声をした方を見れば、隣に四人、まだ十代らしい若い娘たちが杯を重ね、女子会を開いております。
「ひどいなんてもんじゃねえよ」
 駕籠かきたちは口々に、また同じような愚痴を繰り返した後、
「しかも、腹の虫がおさまらねえのは、その大将が女って事だ」
「へー女なんだー?」
「ああ、青嵐の青柳とかいう、太宰府探題女武者所の教頭(おしえがしら)でね。恐ろしく腕が立つ。こないだも途中、盗賊十人に襲われたんだが、一人で全員、返り討ちにした。おっそろしくて、とても逆らえねえ」
「わー怖い。それでおじさん、そのおっかない女の人と、どこまで行くんですかー?」
「それが、鎌倉までなんだ」
「まだまだ先じゃないですかー!」
「そうなんだ。娘さん方、かわいそうなおじさんたちを慰めておくれよ」
「えー、きもいんですけどぉ」
「あなたたち、何をしているんですか!」
 と、そこに怒鳴り込んできたのは、青嵐の青柳でした。駕籠かきたち、直立不動になって横一列に整列。
「明日も早いというのに深酒とは……、もう、許しません!」
 言うなり、駕籠かきたちの股間を次々と膝蹴り。駕籠かきたち、右手で股間を押さえて、次々と床にしゃがみこみました。
「今度やったら、今度はきんたま潰すわよ! さあ、さっさと宿に帰って寝なさい!」
 と尻を蹴られた駕籠かきたち、懸命に起きあがり、ほうほうの態で呑み屋を後にします。
「お騒がしました」
 青嵐の青柳、呑み屋の亭主に向かって軽く頭をさげ、お金を卓上に積んで、去っていきました。
「あれが青嵐の青柳か……」
 女子会四人のうち、髪の毛の赤い娘が呟きました。赤頭(あかがしら)の味鴨です。
「あれは、できるわね。手強い相手だわ」
 その傍らで、唐崎の漁師の三姉妹、二網と五井、七曲がうなずいていました。彼女らは、三世姫と天国の宝剣強奪計画の一環として、駕籠かきたちに近づいて、一行の内情を探っていたのです。
「そういう強いのって、あいつだけだと、いいけどねー」
 と言ったのは、唐崎の三姉妹の長女、二網です。続けて五井がと七曲が、
「強い女って、潰すきんたまがないから厄介なんだよねー」
「急所はおっぱいだけど、きんたまほど効かないからねー」
 味鴨は苦笑いして言いました。
「今頃、呉竹さんたちが、そのあたりを探ってるはずよ」

 さて、味鴨や三姉妹が駕籠かきから事情を聞きだした呑み屋からほど近い、こちらは楼を構えた小料理屋のお座敷で、智恵海の呉竹と雲間隠の龍子が、青柳を除く護送の一行と卓を囲み、こちらはかなり酒がまわって酩酊状態です。
「ほんとうに、うざいったらありゃしない」
 もはや手酌も面倒と、徳利をつかんでぐびぐびやっているのは、執権北条義時に当てた十時御前の手紙を預かる世和田局(せわたのつぼね)。
「わたくしはですねえ、鎌倉幕府の北条執権家に代々お仕えし、今や大宰府探題の奥方様のお世話をする世和田のお局さまですよぉ。なんだって、あんなどこの馬の骨とも分からぬ新参者に頤でこきつかわれなきゃいけないんですか!」
「さよう、さよう」
 と唱和するのは、天国の宝剣を預かる渋川栗太夫。三世姫と青柳がのる駕籠の警備にあたる樽柿衛門太夫も、
「われら大宰府探題の重役が、女に命令され言い返すこともできん。屈辱この上ない」
 と憤慨します。世和田局は続けて、
「だいたいですねえ、明け方や夕暮れは、山賊に襲われるからといって、かんかん照りの日中に歩かせられて、おかげで、お肌がすっかり焼けちゃいましたよ。花のかんばせの美貌をどうしてくれるんですかって!」
「そんなに横暴な人なんですか、青嵐の青柳さんって方は?」
 呉竹がにこにこと、世和田局の杯に酒を注ぎながら訊ねました。
「そりゃまあ、探題の女武者所の教頭で、山賊退治にも大手柄を立てた方ですからねえ。おっかなくて口答えなんかできませんよ」
「そのくせ、教頭殿だけは、ひとりお駕籠でおらくちんというわけだ」
 渋川栗太夫が言いました。それを聞いて、龍子が目を丸くして見せました。
「その人だけ、駕籠なんですか?」
「そうなんじゃよ、いちばん大事なお姫様をお守りするため、一緒にお駕籠にお乗りになられてな。ああ、わしも女に生まれておれば、宝剣ではなく、お姫様と一緒に涼しいお駕籠に乗れたものを……」
 呉竹と龍子の瞳が一瞬光りました。三人は、こともあろうに、強奪計画の当事者たちに、自分たちの役割分担を教えてしまったのです。
「ああ、そろそろお時間だ」
 呉竹は立ち上がりました。
「あなたがたのために、綺麗どころを呼んでおきましたから、ごゆるりと。お支払いはわたくしどもですませておきますから」
 そう言って龍子を促して外に出ますと同時に、数名の芸妓や美少年色子たちが、賑やかな嬌声をあげて入ってまいりました。世和田局、渋川栗太夫、樽柿衛門太夫たち、大喜びで出迎え、たちまち始まる乱痴気騒ぎを背に、呉竹と龍子は急ぎ足で小料理屋を出たのでありました。

 その翌日。
 涼しい風のふく心地よい日でありました。青柳たちの一行は宿所を出て、湊川を渡り、摩耶山を登り始めました。
 青柳と九歳の三世姫は駕籠に乗り、昨夜青柳に蹴られた股間の痛みが取れぬのか、駕籠かきたちは内股ぎみに苦しげに進みます。駕籠につきそう世和田局、渋川栗太夫、樽柿衛門太夫らは、昨夜の酒がまだ抜けず二日酔いの態にて従っておりました。
 いつしか風はやみ、太陽は激しく照りつけます。季節柄にも似合わず、まるで盛夏のような暑さに、徒歩の七人は耐えかね、ついに、へたりこんでしまいました。
「何をやってるんです、まだ出発したばかりだというのに、もう休憩ですか?」
 青柳が、駕籠から出てきて、七人をしかりつけました。
「急がねば、日暮れまでに次の宿場町まで着くことはできません。さあ、立って!」
「そんな殺生な……」
 樽柿衛門太夫が、額の汗を拭いながら、空を見上げて泣くように言います。
「見てください。あんなにお日様が照りつけるなか、上り坂を休憩なしに行けだなんて、わたしたちを殺すおつもりですか?」
「そうですよ」
 渋川栗太夫も口を添えます。
「こんな調子では、わたしたちも、駕籠かきどもも、この山中で死んでしまいます。そうなってもかまわないんですか? あんた一人で、姫と宝剣を鎌倉まで運びますか?」
 もともと大宰府探題では目上である二人の不平に、青柳もこれ以上叱咤するわけにもゆかず、
「では、少し休みましょう」
 と言うと、七人はわっと駕籠から離れ、近くの木陰にもぐりこみ、胸元をくつろげて涼を取り始めました。
「姫さま」
 青柳は、駕籠に近づき、なかの三世姫に声をかけます。
「暑くはございませんか?」
「大丈夫よ」
 三世姫はけなげに笑顔で答えます。
「わたくしは大丈夫だから、青柳さん、少しお休みになってくださいね」
 その笑顔に青柳は胸がしめつけられる思いでした。
 三世姫が鎌倉に着いたら、冷酷な北条義時のこと、姫の首を打つに違いありません。
 頼りにならない護衛の三人や、すぐさぼりたがる駕籠かきを叱咤して、与えられた任務を果たそうと努力してきましたが、それが、この幼い姫君の命を奪う事になるのです。
 思わず、
「お優しい姫君、ありがとうございます」
 と、三世姫を抱きしめていると、そこに、
「酒はいらんかね〜」
「酒はいらんかね〜」
 と黄色い声をはりあげてやってきたのは、樽桶を担ぐ四人の少年たち。小柄で、まるで女の子のような美少年ぞろいです。
「酒!」
「酒ですって!」
「お酒? お酒?」
 木陰で涼んでいた三人が立ち上がり、酒売りの少年たちに駆け寄りました。
「酒、くれ。いくらだ?」
「だめです!」
 青柳は慌てて、三人と酒売りたちとの間に立ちはだかりました。
「旅の一行にしびれ薬入りの酒を飲ませ、荷物を奪いとるのは、山賊たちの常套手段です。油断してはなりません」
「えー、この酒がしびれ薬入りだってのかい?」
「おいらたちは、山賊なのかい?」
「ひどいよ、ひどいよ」
「まじめに一生懸命働いているのに、そんな言い方ないよ」
 少年たちはしくしく泣き出し、世和田局、栗太夫、衛門太夫の三人は「子供を泣かすなんて!」と批判し、青柳は困惑するなか、
「何かあったんですか?」
 と声をかけてきたのは、三人づれの旅の女たちでした。
 先頭を歩く小柄で丸顔の女以外は、市女笠を深くかぶって人相は分かりませんが、山で取れた川魚などを売り歩く、行商人と見えました。
「おいらたちのお酒に、毒が入ってると言われたんですー!」
 少年たちは泣きながら三人に訴えました。
「かわいそうに。泣くのはおよし、おばちゃんたちがお酒を買ってあげるから」
 と宥めた丸顔の女、少年が、背からおろした樽桶から碗に注いだ酒を受け取って、一気に飲み干し、
「おいしいじゃないの! ほんとう、生き返った心地だわ。あんたたちも、おあがりなさいよ」
 と連れの二人に勧めると、二人も少年たちに銭を渡し、酒を飲み干しながら、
「ほんとだ、おいしい!」
「干天の慈雨とは、このことね」
 とおおはしゃぎです。三人は「おかわり!」と酒盃を重ねましたが、しびれ薬が入っている気配もなく、とうとう歌い躍りはじめました。
「あれ、見た?」
 世和田局が青柳に詰め寄りました。
「しびれ薬などと、とんでもないじゃないの。みんな、元気になっているわ!」
 そうなじられて仕方なく、
「では、一杯だけですよ」
 と許可すると、世和田局、栗太夫、衛門太夫、駕籠かきらは、少年たちに駆け寄って、
「酒を売ってくれ」
 と頼みますが、少年たちはぷいとそっぽを向いて、
「しびれ薬入りのお酒なんか、飲まないって言ったじゃないか」
 と拗ねております。
「いやいや、しびれ薬など入っていないことは、よおく分かった。頼むから売ってくれ」
「売ってもいいけど」
 いちばん年かさの少年が、青柳を指さして言いました。
「あのおばちゃんが、この酒を呑んでくれたら、売ってやるよ」
「なぜ、わたくしが呑まねばならないの?」
 驚く青柳に、少年は言いました。
「だって、しびれ薬入りだと言ったのはおばちゃんじゃないか。おばちゃんに呑んでもらって、濡れ衣だって謝ってくれなきゃ、売りたくないんだい」
 そう言われて青柳、
「わかったわ。一杯いただくから、もうわめかないで」
 と、少年から酒盃を受け取り、口をつけます。
「どう、おいしい?」
 少年は、酒を呑み干す青柳をのぞきこみながら訊ねました。
「青嵐の青柳さん」
 なぜ、自分の名を? 青柳が驚いて少年の顔を見返したとき、不意に脳裏がくらくらし、全身の力が抜けるのを感じました。
 しまった! やはりしびれ薬が……。でもなぜ、あの女たちは……。
「あの三人は……」
 少年はにやりと笑って、言いました。
「あらかじめ毒消しを呑んでたから、効かないんだよーん」
 意識が混濁し、ばたりと倒れた青柳を見下ろしていたのは、唐崎三姉妹の長女、二網。
 四人の少年たちは、二網と五井、七曲、そして味鴨だったのです。
「かかれ!」
 丸顔の女が命じました。
「ただし、きんたまは潰すな、命は奪うな!」
 言うまでもなく丸顔の女は、天王寺村の庄屋、夜叉天王の小蝶、その連れは呉竹と龍子です。
「合点!」
 四人の少女たちは、一人ずつ駕籠かきたちに襲いかかり、睾丸を蹴り上げたり、殴ったり、つかんでひねりあげたり、おのおののやり方で痛めつけました。
「痛い……」
「く、苦しい……」
「息ができない、助けて……」
「昨夜は青柳に、今日は酒売りに、なんで二日つづけてきんたまを……」
 地面に転がって泣いて悶絶する駕籠かきたちの姿に怯えた栗太夫と衛門太夫、背を向けて走り出そうとしたとき、雲間隠の龍子が、手で印を結んで呪文を呟きました。
 とたんに一陣の強風が吹いて、逃げようとした栗太夫と衛門太夫を押し戻してしまいました。
 二人に駆け寄った小蝶、まず衛門太夫の背後から股間につま先蹴りを浴びせて倒し、風に転がった栗太夫を担ぎ上げてどうと地面に投げつけ、さらに踵を陰嚢に乗せてきゅっと一捻り、栗太夫は絶叫してのけぞり、気絶してしまいました。
「さあて、と」
 腰を抜かして立つこともできない世和田局に近寄り、胸乳に一撃、拳を浴びせた小蝶は、両手で胸を押さえて悶える局を尻目に駕籠の前に跪いて一礼。
「三世姫さまですね」
「そなたは誰?」
 可愛らしい瞳を見開いて問う九歳の姫に、小蝶はにっこり笑って言いました。
「わたくしどもは、お父君である亡き頼家公を攻め滅ぼした北条執権家を憎む者」
 小蝶の背後に、呉竹と龍子が、そして栗太夫から宝剣を奪った味鴨、唐崎の三姉妹が、揃って跪きます。彼らの背後で悶絶する者どもを見やって三世姫、小首を傾げ、
「なにゆえ、あの者たちを、あんなふうに?」
 と問いますので、呉竹が口を開きました。
「あの者たちは、姫さまに危害を加えようとする連中の差し金で、姫さまを鎌倉にお連れしようとした、悪いひとたちです」
「悪いひとたちなの?」
 三世姫は眼を丸くしました。
「他の者たちは、なんだか嫌な感じだったけれど、いつも駕籠でいっしょだったお姉さんは、とっても親切にしてくれた」
 と、しびれ薬を盛られて倒れた青柳を心配げに見やります。小蝶、幼い姫を安堵させようと笑みを浮かべ、
「大丈夫、あの者もやがて目を覚ましましょう。さあ、安全なところにお連れします」
 と唐崎三姉妹と味鴨を促して駕籠を担がせ、いずくかへと去っていきました。
 やがて、日は沖天にのぼり、時刻は正午過ぎとなりました。
 やっと攻められた急所の痛みがやわらぎ、なんとか起き上がれるようになった世和田局、栗太夫、衛門太夫、そして駕籠かきたちは、額を寄せ集めて、
「これから、どうしよう」
 と鳩首会議です。大事な三世姫と宝剣を奪われ、このままでは、一同責任を取らされ打ち首は免れません。
「ともかくここは、全部あの青柳めのせいということにしましょう」
 と世和田局。
「実は青柳は、鎌倉幕府を恨む平家の残党の一味、同類と示し合わせて道の途中でわたくしたちを襲撃し、姫と剣を奪い去ったということにするのです」
 それから、駕籠かきたちにお金を与え、
「お前たちは、青柳の一味に惨殺されたことにします。このお金をもって、どことなりと行きなさい。筑紫に帰っちゃ駄目ですよ」
 と言い渡して解き放ちました。
 それから、世和田局、栗太夫、衛門太夫ら、
「憎き青柳、どこかで野垂れ死ね」
 と、彼女の懐を探って財布を抜き取り、具足丸ほかの荷物をも奪って、鎌倉へと向かいました。その後、鎌倉に至って執権北条義時に嘘八百を述べ立て、激怒した義時が、青柳を全国指名手配とした事は言うまでもありません。

 青柳が意識を取り戻したのは、その翌朝でした。
「しまった……なんて失態をやらかしたんだろう」
 悔やんでも悔やみきれません。
「世和田局たちが、もしあの賊どもに命を奪われなかったとしたら、ある事ない事申したてて、全責任をわたくしに負わせるに違いないわ。鎌倉にも行けず、筑紫にも戻れない。いや、どこかに行こうにも、お金もないし、具足丸まで奪われてしまった。どうすればいいの?」
 ともかく、何か食べ物を……。
 呆然としたまま、山道をさまよい歩くうち、いつしか道に迷い、誰にも合わず、どこにいるのかも分からぬまま、三日三晩歩き続けました。谷川の水をすすり、木の根、草の実を食べながら歩くうちに、徐々に体力が奪われ、目はかすみ、足は重くなり、いつまでたっても山から出られず、ばたりと倒れ、
「このまま、死ぬのかな……」
 と、薄れゆく意識のなかでぼんやり考えていると、
「ちょっと、ちょっと」
 と肩をつつく者がおります。顔をあげますと、旅姿の尼僧でした。年の頃は二十歳なかば、肉付きふっくらとして色白の、眼の大きな愛らしき面差しながら、背は高く肩幅広く、胸乳は大きく盛りあがり、頑丈そうな腕や足腰をしております。
「こんなところで寝てると、山犬に喰われて死んじゃうよ。起きな」
「いっそ、死んじゃいたいんですけど……」
 そう呟く青柳に、尼僧はあきれて肩をすくめ、
「あ、そ! じゃ、あたしは先を急ぐんで、ご勝手に」
 そう言って歩き出すと、青柳、わずかに顔をあげて、
「ちょっと待ってよ」
 と叫びます。
「せめて、水を飲ませてくれるとか、食べ物を分けてくれるとか、もう少し親切にしてくれたって、いいんじゃないの?」
「はあ? あんたさっき、死にたいって言ってたじゃない?」
「言葉の綾ですよ。もう、お腹すいたし、喉かわいたし、助けてよー!!!!」
 そういう問答があって後、青柳は尼僧が分けてくれた水と干し魚をむさぼり、やっと人心地着きました。
「ありがとうございました」
 青柳は、尼僧に頭を下げました。
「三日三晩、呑まず食わずでさまよい、危うく死ぬところでした。どうもありがとうございました」
「なんだか、さっきと言う事が違うなあ」
「お恥ずかしい。人間、なかなか死ねないものなのね」
 青柳は俯いて呟きます。
「大事な任務を与えられ、筑紫からここまで、気を張り詰めてやってきたのに、一瞬の緩みから山賊の罠にかかって、何もかも失ってしまった。もう死ぬしかないと分かっていても、ついつい、食べ物をねだってしまったのです」
「ふーん、事情はよくわかんないけど、大変だったねえ。極限状態の人間なんて、そんなもんだよ。恥ずかしがることはないよ」
 と慰める尼僧に、ますます青柳は恥じ入り、
「それだけじゃないんです。おそらくわたくしは、無実の罪を着せられ、お尋ね者として追われる身。三界どこにも行くあてがなくて……」
 いつしか、ひっくひっくと喉を鳴らして泣き出した青柳でした。
「なんでこんなことになっちゃったんだろう……」
 膝と膝の間に顔を埋め、しばし嗚咽する青柳を見守っていた尼僧、
「なんだか気の毒だねえ。もう少し、愚痴を聞いてあげたいところだけど、そうも言ってられなくなっちゃった」
 との言葉に、青柳が顔をあげると、いつしか二人は、大勢の男たちに囲まれていました。いずれも凶悪そうな面つき、手に刀を持ち、ぎらぎらした眼で二人を見つめております。
「ここは、河内(現在の大阪府南部)の金剛山といってさ」
 尼僧は説明しました。
「山賊の根城なんだ。あたしは、近くの里の連中から頼まれて、山賊退治にやってきたのさ。砦に着く前に、物見に見つかったみたいだねえ、さっそく、お出迎えだよ」
 ぶんと手にした鉄杖を一振りし、じりじりと間を詰めてくる山賊たちに対して身構えながら、尼僧は続けました。
「怪我したくなかったら、どっかに隠れていて」
「いや、それじゃあんまり恩知らずだわ」
 青柳は立ち上がり、尼僧と肩を並べて、どこで拾ったのか大振りの木の枝を手に、笑みをうかべながら、山賊たちを見回していました。
「せっかく助けていただいたのに、院の御所の女武者所教頭だったわたくしが、ここで恩返しをしなきゃ女がすたるというもの」
「女武者所?」
 尼僧が目を見開きました。
「だったら、虎尾(とらのお)の桜戸(さくらど)さんとも知り合いかい?」
「面識はあるわ。琵琶湖のほとり、梁山泊の近くで太刀を合わせた事もあるの。強かったなあ。あなたは、桜戸さんとお知り合いなの?」
「知り合いどころじゃないわよう、義姉妹のちぎりをかわした仲なんだ!」
「ええー、それは羨ましい!」
「桜戸さんが無実の罪を着せられて佐渡に流された時、こっそりついていったら、桜戸さん、護送の木っ端役人に殺されそうになった。それで、そいつらを懲らしめてやった。あたしはぶっ殺すつもりだったけど、桜戸さんが情けをかけてやってくれと言うから、命だけは助けてやったら、そいつらあたしを裏切って訴え出た。おかげであたしも指名手配の身になっちゃったのさ」
「そうだったんですか。わたくしと同じですね。それで、あなたのお名前は?」
「花殻の妙達さ」
「え! そうなんですか? わたくしは青嵐の青柳と言います」
「わー、知ってる! 有名人じゃないの!」
「わたくしも、あなたの事は知ってました。いっしょに戦うことになって光栄だわ!」
「こちらこそ、今後末永くよろしく!」
 言うなり二人の女は、すぐ近くまで包囲の輪を縮めていた山賊のうち、正面にいた敵の股間に蹴りを見舞い、後は、さんざんに暴れまくり、またたく間に山賊たちは、睾丸を潰され、頭を割られ、半ばは死体に、半ばは瀕死の身となって地面に転がり呻き声をあげるばかり。
 その後、青柳と妙達は金剛山の頂にある砦を二人で攻め入り、山賊たちを全滅させたのでありました。
「二人とも追われる身、しばらくここで暮らしましょう」
 と、砦近くの地を耕して農業を営み、自給自足の生活を送っているうちに、世を追われたアウトローたちが集まってきて、独立の王国を築くことになるのですが、今は、三世姫と宝剣強奪を成功させた、天王寺村の謎のリーダー、夜叉天王の小蝶のお話をするとしましょう。

五編の弐
世和田局の一味は小蝶らを追いかけ、
小蝶は湖に迎え撃つ


 天王寺村にほど近い、街道筋の茶店。
 堅い面差しで立つ茶店の女店主に、赤い房つきの十手をこれ見よがしに弄びながら、ひげ面の醜男が、脅すような目つきで睨んでおります。その回りを、十手持ちの子分らしい、人相の悪い連中が取り囲んでいるのです。
「悪いこたぁ言わねえ、正直に言ったほうが、身のためだぜ」
「だから、あたしゃ何もしりませんよ、虎右衛門さん」
 嫌悪感を隠しきれぬ面持ちで、女店主は俯いて首を振ります。
「知らないはずぁ、ねえ!」
 虎右衛門と呼ばれた十手持ちは、どんと地面を踏みならし、女主人はぎょっとして立ちすくみました。
「正直に言え。天王寺村の庄屋、小蝶とその一味が、九歳くらいの女の子を連れて、この街道を通って天王寺村に至ったことは、調べがついてるんだ!」
「だから、本当に知らないんですよぉ」
 女店主は半泣きで言い立てます。
「ふざけるんじゃねえ。俺さまの後ろ盾は、鎌倉幕府の重鎮にして、難波の国の守護代、天野判官遠景(あまののはんがんとおかげ)さまだぞ。俺の意向一つで、こんな茶店潰してやるのは造作もねえ事なんだぜ」
 そう脅した虎右衛門、今度は猫撫で声で、
「いいんだよ。別にほんとうかどうかが問題じゃねえ。ただ、証言がほしいだけなんだ。小蝶が九歳くらいの女の子を連れて行くのを見た、とひとこと言ってくれりゃあ、ぜんぶ丸く収まるんだよ」
 それから今度は脅すような声音で、
「さもなきゃ、今度は天王寺村の村人は全員、拷問される事になるぜ、いいのか?」
「今のは、聞き逃せませんね」
 不意に背後から声がしました。男たちが振り向くと二十二、三の賢そうな面差しの娘。役人らしい装いの旅姿です。
「村人を拷問にかける権限を持っているのは、守護代さまだけですよ。あなたが勝手に決められる事じゃありません」
「なんだい、あんたは!」
 虎右衛門が娘に詰め寄りました。
「俺は、守護代さまから十手を預かる屋久手(やくで)の虎右衛門だ。要らぬ差し出し口を挟むんじゃねえ!」
「ああ、十手持ちですか」
 娘は涼しい顔で、懐から紙と矢立を取り出し、さらさらと書き付けはじめました。
「おれは、しゅごだいさまからじってをあずかる、やくでのとらえもんだ、いらぬさしだしぐちをはさむんじゃねえ、と」
「何してやがんだ?」
「あなたの発言を記録しているのです」
 娘は言いました。
「後で、六波羅の決断所に報告せねばなりませんから」
「六波羅?」
 虎右衛門の顔がひきつりました。
「あ、あの……まさか……」
「ええ、わたくしは六波羅決断所の別当を勤める伊賀尼さまの右筆、大箱と申します」
 大箱。人呼んで春雨の大箱。かつて虎尾の桜戸が亀菊の奸計にはまって処刑されそうになった時、伊賀尼に提言して、佐渡への流罪と減刑させた者です。
「こ、これは失礼いたしました!」
 虎右衛門、打って変わって、卑屈にぺこぺこ頭を下げます。
「職務にのめりこむあまり、つい、暴言でした。ご勘弁くださいまし、おい、お前らもお辞儀しねえか」
 と部下たちにも土下座させ、自分も膝をつきました。
 六波羅探題といえば、都の治安に当たるだけでなく、西日本の守護代を監視し、幕府に報告する役目も負っております。即ち、守護代よりも上部機関にあるわけです。
 虎右衛門の一味が逃げるように茶店を発った後、
「お茶とお団子ちょうだい」
 と床几に腰を下ろした大箱、
「ほんとうに助かりました」
 と頭を下げる茶店の女主人に、大箱は問います。
「あの虎右衛門とかいう十手持ち、何を嗅ぎ廻っていたの?」
「それがですね……」
 女主人は声を潜めます。
「摂津の湊川で、鎌倉に護送される途中のお姫さまと宝剣が賊に奪われたんです」
「ああ、あの事件ね。あれは青嵐の青柳という女武芸者が犯人と断定されて、全国指名手配になっているはずだけど……」
「それがね、実は犯人は七人連れの女賊だという噂なんですよ。で、天王寺村の庄屋、夜叉天王の小蝶さまと、その一行が、三世姫さまと同じ年恰好の女の子を連れて帰ってきたのを見たというひとがいて、それで虎右衛門が、小蝶さまを逮捕させようと、動きまわっているんです」
「小蝶さんが……?」
 大箱は顔を顰めました。
「小蝶さんとは、親の代からのお付き合いだけれど、そんなことをするような人じゃないわ。何かの間違いでしょう」
「あたしもそう思います。でも、あの虎右衛門、十手持ちになる前は札付きの不良少年で、ここらで暴れ廻っていたんですが、二十年近く前、まだ子どもだった小蝶さまに投げ飛ばされ、きんたまを蹴られて以来、あれが役立たずになったらしいんですね」
「へーえ、そうなんですか」
「だから、小蝶さんを深く怨んでいるらしいのです」
「なるほどねえ」
 と大箱は少し考え込んでいる様子でした。
 大箱は、伊勢の国の宋公明(そこめ)村の生まれです。代々、村役場の右筆(書記)をしていた家柄で、幼い頃から神童と呼ばれた天才でした。その噂は都まで轟き、六波羅決断所の別当をつとめる伊賀尼の手元で育てられました。
 天王寺村の小蝶とは、知らぬ仲ではありません。数年前、伊賀尼が摂津に出張した時、随行した大箱は、天王寺村で一泊した伊賀尼に、小蝶を紹介されたのです。
「この娘は、まだ若い身ながら、よくこの村を収め、人々に慕われている。在野にもこういう傑物がいるのだ。お前は将来、天下国家の政治に携わるべき人材。こういう在野の賢人と交わるがよい」
 そう言われて大箱は、休暇で伊勢に帰る途次、天王寺村に立ち寄ったりして、小蝶と交わりを持ってきたのでありました。
「小蝶さんは、都の亀菊さま、鎌倉の執権北条さまの悪政を、深く憎んでおられたわ」
 茶店を出て、街道を歩きながら、大箱は呟きました。
「北条執権家がその命を狙う三世姫を連れ去っても、不思議じゃない。わたくしだって、幼い姫の命まで奪おうとする今の幕府のあり方は、おかしいと思うもの」
 もし、小蝶さんが犯人だとする十手持ちの虎右衛門の言い分が、正しいとしたら……?
「こうしては、いられない!」
 大箱は決意して、走り出しました。

 大箱の予感は当たりました。
 難波の守護代、天野判官の屋敷に到着した大箱は、伊賀尼から持たされた紹介状を見せると、すぐに奥座敷に案内されました。天野判官を待っておりますと、近くの部屋から女性の金切り声が響いてきます。
「一体なぜ、わたくしの言を信じてもらえないんですか!」
 それから、「まあまあ」と宥める男性の声にかぶせるように、金切り声が続きます。
「わたくし、実際に天王寺村まで行って見たんですからね。確かに、あの小蝶に間違いないんです。早く捕らえて、首を打ってください!」
 小蝶?
 その人の名に思わず、大箱は立ち上がり、声のする方へと忍び足で歩きました。声が聞こえてくる部屋の前で立ち聞きすると、中で話している一人は天野判官で、もう一人は世和田局(せわたのつぼね)という女だと分かりました。
 世和田局は、例の三世姫と宝剣の護送役をつとめた者ですが、実は、屋久手の虎右衛門とは旧知の仲。太宰府へと戻る途中で立ち寄った天王寺村で、自分たちを襲った女賊の特徴を話すと、虎右衛門、「それは庄屋の小蝶に間違いない」と言ったので、世和田局が天野判官に訴え出たという事らしいのです。
「とはいえ、小蝶という女、なかなか人望の持ち主で、院の御所や、決断所にも知り合いが多く、迂闊に手は出せない。いま、虎右衛門に動かぬ証拠を掴むよう捜査させているから、しばらく待て」
 天野判官はしきりと宥めますが、世和田局は聞き入れません。
「わかりました。では、わたくしも虎右衛門とともに捜査に加わります。要は、三世姫と宝剣を見付ければ、動かぬ証拠になりますわね」
「まあ、そうではあるが……」
「では、捜査のための資金と、守護代さまのお墨付きをください。大勢かき集めて、彼らが逃げぬように村を包囲した上で、証拠物件を抑えるようにします」
 そう世和田局が言うのを聞いて、大箱は奥座敷に戻りました。やがて天野判官が現れましたが、大箱は適当につくろって話を切り上げ、早々に守護代屋敷を辞し、天王寺村へと向かったのです。

 その夜叉天王の小蝶ですが、天王寺村に帰ってからは、何事もなかったかのように、村内での争いを裁いたり、農業指導をしたりと、庄屋さんとして本来の仕事を続けておりました。
 三世姫の護送の列を襲った一味のうち、雲間隠(くもまがくれ)の龍子(たつこ)は、湖の気候を研究したいからと、唐崎の三姉妹とともに近江へと向かいました。赤頭(あかがしら)の味鴨(あじかも)は、智慧海呉竹(ちえのうみくれたけ)の書生のような形で、二人して子どもたちに手習いを教えております。ほとぼりが冷めるまでは、互いに接触は控えようと申し合わせておりました。
 さてその日、小蝶の庄屋屋敷に、呉竹と味鴨が揃って顔を見せました。
「これは珍しい、なにごとです」
 と奥座敷に通すと、呉竹は問いました。
「最近、屋久手の虎右衛門なる十手持ちが、小蝶さんのことをしきりに嗅ぎ回っている事はご存じですか」
「ええ、知っております。けれど、あの三世姫の一件とは関わりはないはずです。青嵐の青柳という護送の剣士が犯人として指名手配されているのですから」
「わたくしもそう思っていました。でも、風向きが変わったようです」
 と呉竹は味鴨に目配せしました。味鴨は言いました。
「守護代天野判官の屋敷に、世和田局という女います。太宰府探題に仕えていた女房ですが、どうやら、あのとき護送していた女らしいのです」
「なんですって!」
「あの女だとすると、わたくしたちの顔も知っています。しかも、小蝶さんのことを嗅ぎ回っていた十手持ちとは旧知の仲らしいのです」
「そうですか……」
 小蝶が腕組みして考えこんでいると、小女が入ってきて、客人の訪れを告げました。
「大箱さんという方が、お目にかかりたいと」
「大箱さん?」
 小蝶は訝しげな面差しになり、
「とにかく、別のお座敷にお通しして。わたくしが会いに行きます」
 と小女を下がらせると、呉竹が膝を進めて問いました。
「何者ですか?」
「わたくしの古い友人で、六波羅決断所の別当の側近くに仕える方です」
「つまり……」
 味鴨が息を呑んで言いました。
「官憲の手先……ですか?」
「さあ……」
 小蝶は天井を見上げて言いました。
「わたくしの友人としていらっしゃったのか、官憲の手先として来たのか、見極めなければなりませんね」
 それから呉竹と味鴨に、ここで待っているように、と告げて、小蝶は奥座敷を出ました。

「まあ、大箱さん!」
 大箱が待つ部屋に入るなり、小蝶は飛びついてきて、ひしと抱きしめました。
「お久しぶりです。会いたかったわ!」
「わたくしもです、小蝶さん」
 大箱は、小蝶の抱擁に応えた後、笑みを消して面差しを引き締め、
「今日は火急の用件で参りました」
 と告げると、小蝶は、小首を傾げ、
「火急の用とは?」
 と問いました。大箱は、そっと周囲を見回して気配を探った後、声をひそめました。
「もうじき、天王寺村に捕り手が参ります」
「捕り手? 誰を捕らえようと?」
「あなたですよ」
 大箱はじっと小蝶を見つめて言いました。
「世和田局と屋久手虎右衛門なる連中が、守護代から遣わされ、三世姫と天国の宝剣を奪った賊の首魁として、あなたを捕らえにくるのです」
 その時、隣室でかすかに物音がしました。大箱も、小蝶も、互いを見つめ合ったまま、耳をそばだてました。
 ……隣の部屋に誰かいる。あれは、剣の束に手をかけた音。
 そう大箱が思うのと同時に、小蝶は、
 ……あれは味鴨。いつのまに隣室に?
 とかすかに溜息をつき、それから大声で言いました。
「大箱さん、ご安心を。わたくしは、お客さまを決して危険にはさらしませんから」
 隣の部屋で、またかすかな衣擦れの音。
 そう、隣室では味鴨が、剣の束にかけていた手を外したのでした。その傍らに、息を詰めた面差しで呉竹が座っております。
 むろん、味鴨は、事と次第によっては、隣の部屋に踏み込んで大箱を斬殺するつもりです。そして呉竹は、まだ若い味鴨が、早まった行動にでないよう、監視しているのです。
「小蝶さん」
 大箱は静かに口を開きました。
「わたくしは、六波羅決断所別当、伊賀尼さまの側近くあって、不正がはびこる今の世に正義を示そうと、微力ながら尽くしてきました。とはいえ、わたくしは幕府の役人です」
「わかります」
 小蝶は答え、微笑みました。
「あなたは、正しく心映えの美しい、幕府のお役人です」
「もし……」
 大箱は続けました。
「わたくしの目の前に、幕府の命で護送されていた姫君や宝剣を奪った者がいれば、見過ごすわけにはいかないのです。たとえば、この部屋に案内された時、中庭で八つか九つくらいの女の子が遊んでいるのを見ました。あれがもし三世姫だとしたら……」
 隣室で再びかすかな物音。そして小蝶のまぶたが、ほんの少し震えました。
「わたくしは、守護代に訴え出ねばなりません。馬で半日の距離を飛ばして、訴え出ねばならないのです」
 そう言い終え、口を噤んだ大箱は、一礼して座敷を出ていきました。小蝶は、座したまま、大箱の足音が廊下の向こうに消えていくのを聞いておりますと、隣室で、誰かが立ち上がる物音がしました。部屋を隔てている襖を開けると、味鴨が剣を抜いて駆け出そうとするのを、呉竹が必死に止めております。
「行かせてください!」
 味鴨は叫びました。
「あの女が守護代に訴え出れば、わたくしたちはおしまいです!」
「まあ、落ち着いて、味鴨さん」
 小蝶は静かに諭しました。
「大箱さんが、守護代まで馬で半日とおっしゃっていたのが、聞こえなかったの?」
「え……?」
 意味がわからず唇を開けたままの味鴨に、小蝶は続けました。
「すなわち、あの人が守護代に訴え出るのにあと半日、ここに捕り手が来るのにあと半日、少なくとも一日の余裕があるということです」
「その間に、逃げろ、と」
 呉竹が言いました。
「そう、大箱さんはおっしゃりたかったんですね」
「わたくしたちの顔を見知っている世和田局までが出張ってきたとなっては、確かに隠し通すのは難しい。まして三世姫がお側にいながら、捕り手と戦うのは至難の技。天王寺村の人々にも迷惑をかけるわけにはいかない。そうなると残る手は一つ……」
 小蝶はそこまで言って、両手を叩き、家の老女を呼び寄せました。畏まって膝をついた老女に、小蝶は、
「今から近江の唐崎に参ります」
 と告げました。それから続けて、
「今日か明日、屋久手虎右衛門らが、捕り手を連れてやってくるでしょう。そうしたら、隠し立てする必要はありません。わたくしは近江の唐崎に行ったと、正直に話しなさい」
 老女は仰天して、
「よろしいのですか?」
 と問いました。傍らで味鴨も眼を剥いています。小蝶は笑って言いました。
「その方がよいのです。きっと、そう伝えるのですよ」
 老女が首をひねりながら去った後、呉竹が呟きました。
「唐崎なれば、龍子さんや、あの三姉妹と、水上で捕り手を迎え撃てる。そういうわけですね」
「あ、そうか!」
 合点がいった面差しになった味鴨を見やり、小蝶は笑って頷きました。

「なにぃ、近江の唐崎だと! 間違いはないな!」
 翌日の夜。
 百人近いならず者を馬に乗せ、蹄(ひづめ)の轟きを響かせて天王寺村に現れた虎右衛門に、小蝶に仕える老女が震えながら答えました。
「はい、なんでも、唐崎に住んでいる漁師の三姉妹を訪ねて、天文を見るのが得意な友人と五人で卓を囲んで、おいしい川魚を食べるのだとおっしゃいまして……」
「川魚だと? ふざけやがって! その三姉妹とは何者だ!」
「さあ、分かりません」
 そこへ世和田局が馬で駆けてきました。その背後に、渋川栗太夫、樽柿衛門太夫の姿もあります。
「あんた、呉竹とかいう手習いの女師匠と、その書生をしている味鴨という女も姿を消したそうよ!」
「なんだって、じゃあ、小蝶と、近江唐崎の三姉妹と天文を見る友人、それから手習いの女師匠に、その女書生……」
 指折り数えていた虎右衛門が、なかなか答えを出せぬのに苛立った世和田局、
「ちょうど七人、わたくしたちを襲った女賊も七人、ぴったり計算があうじゃないの!」
「おのれ、女どもめ……!」
 渋川栗太夫、樽柿衛門太夫も声を揃えます。
「おとこのいちばん大事なところを蹴られた恨み、晴らしてやる!」
「とにかく、近江唐崎だ」
 虎右衛門は叫びました。
「者ども、続け!」
 再び馬蹄を轟かせながら、虎右衛門一行は近江を目指したのでありました。

 虎右衛門一行が近江に着いたのは、翌朝の事でした。
 深い霧に覆われた琵琶湖のほとりを探し回り、二網、五井、七曲三姉妹の家を探し当てましたが、誰ひとりいません。近所の人に尋ねると、対岸の野洲(やす)まで出かけたとのことでした。
「わかった、すぐに追うぞ。舟を集めろ!」
 虎右衛門の命令に、配下のならず者たち、近所の漁師の家の戸を片っ端から叩いて、舟を出させようとしますが、
「今日みたいな霧の深い日は、滅んだ平家の怨霊が出ると申します。ご勘弁下さい」
 と渋るのを、
「馬鹿者、平家が滅んだのは壇ノ浦、琵琶湖じゃねえ。いいから舟を出せ、出さぬと一家皆殺しだぞ」
 と脅しつけ、二十艘の舟に五人ずつを乗せて、湖に漕ぎだしたのです。
 やがて霧の向こうに対岸が見えてきました。びっしりと芦の原が生い茂っています。
「あれが野洲か」
 虎右衛門が訊ねると、櫂(かい)を動かしていた漁師が「へい」と答えます。その時。
 一陣のつむじ風がごうと湖面を波立たせ、急に空が黒くかき曇り、
 わはははははははははあ。
 と笑い声が鳴りひびきました。さらに、湖面にいくつもの火の玉があがり、
 我らは、滅びし平家の公達、
 世に災いをもたらさんと蘇った魂である。
 者ども、地獄へ引きずり込んでやる、
 覚悟せよ。
 と、物々しい声が響き渡ります。
「出たぁ!」
「怨霊だぁ!」
「祟りじゃぁ!」
 舟を操っていた漁師たちは一斉に湖に飛び込みます。
「あ、こら」
「待て、逃げるな」
 虎右衛門以下ならず者たちの声にも耳を貸さず、漁師たちは全員、どこかへ泳いで消えてしまいました。
 やがて、雲も晴れ、霧も消え去りましたが、いつの間にか二十艘の舟は芦原のなかに迷い込み、身動きが取れません。
「これは困ったな」
 虎右衛門が頭をかきました。
「船頭がいなくては、舟は動かせない。どうすればいい」
 するとその時、
「きゃはははははは!」
 と今度は娘たちの笑い声。
 見ると三人の美少女を乗せた大きめの盥(たらい)が、湖面に浮かんでおります。
「あ、あれは!」
 世和田局、渋川栗太夫、樽柿衛門太夫が同時に叫びました。
「あの時の酒売りども!」
 そう、二網、五井、七曲の三姉妹です。
「まんまと騙されたねー、お間抜けさん!」
「お酒は控えたほうが健康にもいいですよー!」
「また、あたいたちに、きんたま蹴られに来たんですかー?」
 そうからかわれ、頭から湯気をたてた栗太夫と衛門太夫が、思わず湖に飛び込むと、水の深さは腰くらいしかありません。
「お、こんなに浅かったのか! みな、湖に飛び込め! あの女たちを捕まえろ!」
 そう怒鳴って飛び込んだ虎右衛門に、「へい!」とかけ声いさましく、ならず者どもが続きます。
 すると、三姉妹はさっと盥から飛び出して湖に潜り、姿が見えません。
「ど、どこに行った?」
 百人の捕り手たちがきょろきょろしていますと、
「ぎゃっ!」
「ぐぇっ!」
「げぇぇ!」
 と三カ所から絶叫が響き、別々の場所にいた三人のならず者が、股間を両手で抑えてしゃがみこみました。見れば、一人は睾丸を潰され、一人は男根を切り取られ、一人は陰嚢が裂けて内出血して膨張した睾丸が顔をのぞかせております。
 続いてあちこちから、悲鳴と絶叫が響きました。
 湖にもぐった三姉妹は、巧みに泳ぎ回り、ならず者たちの生殖器を水中で破壊してまわったのです。虎右衛門以下ならず者たちは、恐怖にかられ、ざぶざぶと波をたてて舟にしがみつきました。しがみつきながら睾丸を潰された者もおり、無事、五体満足で舟にあがれたのは、三十人にも足りません。
 残る七十人は、股間から血を噴きあげながら、水中をのたうちまわる者もいれば、すでに息絶えた者も少なくない有様。
「なんという連中だ……」
 肩で息をしながら、虎右衛門は呻きました。そばでは、栗太夫や衛門太夫も怯えた顔でいます。
「甘く見たのが間違いだった。ここは引き返して態勢を立て直して……」
「なに言ってるの!」
 ひとり舟に残っていた世和田局が虎右衛門の頬をひっぱたきました。
「ここまで追ってきたんじゃないか。下手人は、すぐそばにいるのよ? ここで引き返してなるもんですか! さっさと舟を漕ぎなさいよ!」
 言うなり世和田局は、四つん這いになっていた栗太夫と衛門太夫の尻を蹴っ飛ばし、漁師が捨てていった櫂(かい)を持たせました。
 尻を蹴られた衝撃が睾丸に伝わった栗太夫と衛門太夫は、泣きそうな顔で、下腹部の苦痛を我慢しつつ、櫂を動かしました。
 と、その時。
 ぱちぱちと木のはぜるような音がして、煙がたなびいて来ました。
 みると、芦の原に火が燃えさかっています。さらに風が吹いて、ますます火をあおり立てました。
 世和田局にせかされて、芦の原から漕ぎだしていた虎右衛門、栗太夫、衛門太夫が乗る舟はともかく、まだ茂みに捕まっていた他の舟はたちまち炎に包まれ、ならず者たちはあっという間に焼死してしまいました。
 恐怖にかられた栗太夫と衛門太夫は、必死に櫂を動かし、なんとか湖岸に舟をつけました。ぜいぜいと喘ぎながら岸に上がろうとすると、そこに待っていたのは赤頭の味鴨です。
「あ、お前は!」
 世和田局は叫びました。
「あの時の酒売りか。よくも騙したな。成敗してくれる!」
 用意した薙刀を振り上げて飛びかかりますが、味鴨はちっとも慌てずとびすさり、振り下ろした薙刀の勢いによろけた世和田局、地面に両手をついて無様に倒れ、仰向けに転げました。
「なんだ、おばさん、ただの素人じゃないの」
 味鴨は、その胸乳を思い切り踏みつけました。世和田局、胸乳を両手で抑えて悶絶。
 その背後から、虎右衛門が太刀を抜いて打ちかかりました。味鴨は腰の剣を抜いて背で受け止め、くるりと振り向き、さっと剣を一閃。
「ぎゃああああ!」
 虎右衛門は両眼を切り裂かれ、両手で顔をおおって絶叫。その股間に味鴨が蹴りを入れると、あわれ睾丸は二つとも潰れ、陰嚢は張り裂けました。目玉と金玉を破壊され、俯せに倒れた虎右衛門、断末魔の呻きをあげるばかりです。
 おそれをなした渋川栗太夫と樽柿衛門太夫、味鴨に背を向けて逃げ出しましたが、そこに立ちはだかったのが小蝶。
「どこに行くんですか?」
 左右の手で、二人の男の陰嚢をつかんで、ぎゅっと締めあげました。栗太夫と衛門大夫は、眼を恐怖と激痛とで見開き、声をあげることもできません。
「あの時は、蹴るだけで許してあげたけれど、今度はそうは行きませんよ」
 そのまま二人の男の合計四つの睾丸を握り潰しました。
 かくして、世和田局をのぞく百人余の男たちはすべて、焼かれたか、睾丸を潰されたか、生殖器を切り落とされたかして、全滅したのです。
「うまくいきましたね」
 そこに現れたのは、呉竹と龍子。言うまでもなく、呉竹が軍師格として作戦を練り、龍子は湖上の怨霊と雲風を操ったのです。さらに三姉妹も水から上がってきて、
「生存者はいません!」
 と報告しました。
 小蝶、呉竹、龍子、味鴨、そして三姉妹は、去勢され瀕死の男たちの傍らで、呆然と座り込んでいる世和田大夫を取り囲みました。
「この女はどうします?」
 呉竹が問いました。
「そうねえ……」
 小蝶は首を傾げて思案しました。
「女同士のよしみで助けてあげたいけれど、ずいぶん執念深い性質(たち)のようだし、ただ、返してやったのでは、後々の災いになりそうね」
 すると呉竹が言いました。
「どうでしょう。一生、わたくしたちの思い出が恐怖に刻まれ、人前に出るのも憚られるような罰を与えては?」
「というと?」
「こうするのです」
 呉竹は、世和田局に近づくと、腰の短剣を縦横に一閃させました。世和田局の額は十文字に切り裂かれ、しゅっと血が噴き出します。
「いやぁぁぁぁぁ!!!!」
 世和田局は悲鳴をあげ、両手で額を抑え、転げまわって号泣。小蝶に命ぜられた味鴨や三姉妹が、世和田局のみぞおちを蹴って気絶させ、舟に乗せて湖水に送り出しました。
「あのまま二晩ばかり漂流して、やがて岸に着きましょう。世をはかなんで身投げでもしないかぎり、生きてますよ」
 と呉竹が言うと、小蝶はこう応じました。
「そこまで恐い思いをすれば、二度と、わたくしたちを追い掛けようという了見は持たないでしょうね」

五編の参
小蝶、三世姫を報じて梁山泊に至るも、
巨綸、これを不快に思い謀を巡らす


 屋久手虎右衛門ら百余の捕り手を、たった七人で全滅させた小蝶たちですが、喜んでばかりもいられません。
「いくら今の官憲が、東の北条執権家、西の亀菊の悪政によってタガがゆるんでいるといっても、摂津守護代のお墨付きをもって捕縛に向かった百名が全滅したとあっては、沽券にかかわります。きっと、新たな捕り手を差し向けてくるでしょう」
 世和田局を舟に乗せて送り出した後、岸辺で瀕死状態の虎右衛門ら三人や、湖面に浮かぶ夥しい屍を見やって、呉竹は言いました。
「もはや天王寺村には戻れません。二網さんたちも唐崎に留まってはいられないでしょう。どこかに身を隠すしかありますまい」
「どこに身を隠すか、見当はついているの?」
 と小蝶が問うと、呉竹は、
「それは、もう」
 と微笑みます。
「どこですか?」
 と味鴨が問うと、呉竹はゆっくりと言いました。
「伊香郡(いかのこおり)にある梁山(はりやま)の砦。別名、梁山泊」
「ええーーーー!!!!」
 三姉妹が顔をしかめて声を揃えます。
「それ、きついっす」
「あいつらにさんざん漁場を荒らされたんだもんねー」
「おまけに、首領の巨綸(おおいと)って女、すっごい嫌な人らしいしぃ!」
「そのとおりです」
 龍子も言葉を添えました。
「確かに梁山泊は、名将佐々木義経が築いた難攻不落の要害。官憲も迂闊に手を出せず、身を隠すにはもってこいかもしれません。しかし、首領の巨綸は、多少の学はあれど、了見が狭く、嫉妬心が強く、おかげで内部の規律は弛緩しきっていると聞きます。とても頼っていく気にはなれません」
 そう言う龍子に三姉妹は、
「そうだよー」
「龍子さんの言うとおり!」
 としきりに相づち。それに対して呉竹は言いました。
「むろん、わたくしも、よくない評判は聞いております。しかしながら、そもそもわたくしたちが、三世姫を助け奉ったのは、なんのためですか? 単に鎌倉幕府に嫌がらせをするためですか?」
 はっとした女たちに、呉竹は続けました。
「三世姫をお守りするためにも、梁山泊に拠らなければならないのです。今は、首領の器量を問題にしている時ではないと、わたくしは思います」
「そうですね」
 龍子、味鴨、三姉妹ら若い仲間が、どうしてよいか分からず、一斉に小蝶を見やったとき、彼女は静かに口を開きました。
「呉竹さん、最初に味鴨さんが、三世姫をお助けしたいとやってきた時から、このことを考えてらっしゃったのではないですか?」
 呉竹は微笑んで俯き、小蝶は大きく頷きます。
 その日のうちに、七人は幼い三世姫とともに舟で琵琶湖に漕ぎだし、梁山泊を目指したのでありました。

「夜叉天王の小蝶が……!」
 荒磯神(ありそがみ)の朱西(あかにし)から届いた書状を読み、梁山泊の首領、大歳麻(おおとしま)の巨綸(おおいと)は、喫していた茶椀を取り落としそうになりました。
「どうしました?」
 一緒におやつをつまんでいた第二の大将の女仁王(おんなにおう)の杣木(そまき)、第三の大将の天津雁(あまつかり)の真弓(まゆみ)が不審げに見やるのを、巨綸は、
「いや、なんでもない。このおまんじゅう、おいしいわねえ」
 と誤魔化しましたが、おやつの時間が終わって、杣木と真弓が退出した後、頭をかきむしりながら、部屋中を歩き回りました。
「夜叉天王の小蝶といえば、知らぬ者なき女豪傑じゃないの。その小蝶が、六人もの配下を連れて、梁山泊に参加したいだなんて……。しかも、頼家公の遺児・三世姫まで連れてくる……。ああ、どうしよう。あたしの首領の座が危ない。もし幕府が、三世姫を捕らえようと大軍を繰り出してきたら、実戦経験なんてないあたしが、迎え撃つなんてできやしない。これまでは湖賊や川賊相手だったからごまかしがきいたけれど、化けの皮がはがれちゃう。どうしたらいいんだよう……」
 しばし、寝台にうつぶせになり、絹の布団に顔をつっこんでいた巨綸でしたが、ふと顔をあげて、
「もう、これしかないわ。これしかないんだわ……」
 と、夜叉のごとき恐ろしい表情で呟きました。それから、箪笥をごそごそ探って、探し当てた小瓶を取り出し、卓上に起きました。
「いずれ、必要になる時が来ると感じていたけれど、今が、まさにそれよ」
 そう独り言を繰り返し、それから天井からぶらさがった紐を引っ張ると、鈴の音が鳴りひびき、警護の女賊が入ってきました。
「今すぐ、菅(すげ)の浦に走って、朱西を呼んできて」
 朱西がやってきたのは、すでに夕食の時間に差し迫っていました。巨綸は、
「お客人の様子はどう?」
 と訊ねました。小蝶ら七人は、梁山泊の入り口を警護する菅の浦にある朱西の店に泊まっているのです。
「お元気です。皆さん、いい方ばかりですよ」
 と、にこにこ顔の朱西に、巨綸は胸のうちにどす黒い思いがわき上がってくるのを覚えました。
 やっぱり、やるしかない。すでに朱西まで魅了した小蝶たち。あたしの立場を守るためには、これしかない……。
「それはよかった」
 巨綸は笑みを作って言いました。
「ところで、朱西、実は重大な頼みがあるのだが、その前に、ちと聞きたいんだけど、お前のお母さんは、今いくつだっけ?」
「もう四十路半ばです」
 朱西は俯いて答えました。
「元気……だと思いますが、あたしがこういう立場だから、手紙を出すわけにもいきませんので……」
「それは悪い事を聞いたね。忘れておくれ」
 と言って巨綸、朱西の肩に手を置いて、続けます。
「小蝶さんたちを招いて、この砦で宴会を催したいのだけれど、酒肴の手配は、朱西、お前に任せたいの」
「本当ですか!」
 朱西は顔を輝かせました。
「光栄です。名高い小蝶さんをお迎えする宴を、あたしが差配するなんて」
「それで、用意する酒肴なんだけど、ちょっとした仕掛けをしてほしいのさ」
「仕掛け……と言いますと?」
 巨綸は、卓上に置いた小瓶を持ち上げ、振って見せました。朱西の面差しが青ざめました。その小瓶は、梁山泊の麓の酒店で怪しい客を毒殺するためにと渡されるものと、同じ種類の小瓶だったからです。
 巨綸は、じっと朱西を凝視して言いました。
「言うとおりにしてくれれば、お前の母親の命は、無事だよ」

 翌朝。
 梁山泊の砦には、麓の湖畔から大量の新鮮な魚が運び込まれました。
「巨綸首領以下、全員が勢揃いして、小蝶さんをお迎えする大事な宴だ。みんな、ちゃんとやっておくれよ!」
 と、魚を運び込む女兵たちや、その魚をさばく料理人を指図していたのは、荒磯神の朱西です。
「お疲れ様ですね、朱西さん」
 厨房の前で差配していた朱西の背後から、呼びかける声がありました。振り向くと、虎尾の桜戸です。
 佐渡の節柴の紹介で梁山泊にやってきて、巨綸、杣紀、真弓に次ぐ席次を与えられた桜戸でしたが、たいした役目を任されるわけでもなく、無聊の日々をかこっておりました。
「桜戸さま、痛みいります」
 頭を下げた朱西ですが、その面差しに翳りがあるのを、桜戸は見逃しませんでした。
「朱西さん」
 桜戸は問いました。
「ちょっと顔色が悪そうだけど、大丈夫?」
「え、そう見えます?」
 朱西は、わざとらしい笑みを作って言いました。
「確かに、夜叉天王の小蝶さんを迎えての大宴会の差配を任されて、ちょっと疲れてるかもしれませんね。でも大丈夫、頑張ります!」
 そう言ってくるりと背を向ける朱西を、桜戸はじっと見つめていました。
 ……なんだか、変ね。
 桜戸は思いました。そういえば、梁山泊に入る時に与えられた「越前街道で出会った男の睾丸を潰し、破れた陰嚢から噴き出した血で投名状を書き、切り取った男根とともに披露する」という課題を、小蝶たちが果たした気配がない。そもそも、自分よりも大物が入山を希望するすると、何かと理由をつけて拒否しようとする巨綸が、なぜ今回はすんなり認めたのだろう?
 悪い予感を覚えた桜戸は、ひそかに朱西を見張ることにしました。
 しばし後、厨房では宴席に出す料理の用意が整いました。朱西たちは、厨房係の女兵や、去勢された男奴隷たちに、
「これから、料理の最終確認をするから、みな、ここを出るように」
 と命じました。広い厨房の卓上に並べられた夥しい料理を、独り歩きながら確認していた朱西は、ある場所で足を止めました。
 小蝶ら、新たに入ってくる七人のために用意された、巨大なマスの塩焼きです。緊張した面差しでマスを凝視していた朱西は、意を決したように、懐から小瓶を取り出しました。巨綸から渡された小瓶です。
「……母さんのためよ」
 そう呟いて小瓶の蓋を開けようとした朱西でしたが、なぜか体が動かず、とうとう床にしゃがみこんで、両手で顔を覆って泣き出しました。
「やはり、そうだったのね……」
 ふと、傍らに人影が立ちました。顔をあげた朱西は、あっと声をあげて愕きました。
 桜戸が、剣を朱西の肩のあたりに突きつけて見下ろしていたのです。
「その小瓶は、なに?」
 そう問われ、朱西はしばし俯いていましたが、やがて、首をさしのべるようにして両手を床につきました。
「あたしを殺してください!」
 そう叫んで、朱西はさらに落涙。
「そうすれば、故郷(くに)の母さんは殺されずにすむんです! 殺してください!」
「故郷の母さん?」
 訝しげに桜戸が問いました。
「どういうこと?」
「あたしは、十三で故郷を飛び出したっきり会ってません。でも、まだ元気に暮らしているはず。でも、もしあたしが命令に逆らったら、殺されちゃうんです!」
「殺されるって……」
 桜戸は眉をひそめ、声を荒げました。
「まさか……首領に?」
 朱西は答えようとしませんでした。
 ……しばし後。
「わかったわ」
 朱西の話を聞き終えた桜戸は、剣を鞘におさめました。
「よく話してくれたわね。これでわたくしも合点がいった。かえって、いい機会なのかもしれない」
「いい機会?」
「ええ……梁山泊が生まれ変わるための」

 日が没しました。
 梁山泊の広場には、いくつもの円卓が並べられ、部将クラスの女たちが席次に従って座りました。その周囲には、女兵たちが蓆(むしろ)を敷いてあぐらをかいています。
 いちばん上座には、首領の巨綸が小蝶、そして三世姫が並んで座り、その左の卓に呉竹、龍子、味鴨、唐崎の三姉妹と新参者が、右の席には杣木、真弓、桜戸ら幹部クラスが席についております。
 巨綸が乾杯の音頭を取り、宴は始まりました。次々と出される料理の合間に、女たちによる歌舞などが披露され、いやが上にも盛り上がりを見せるさなか、
「本日の特別料理です」
 と運ばれてきたのは、大きなマスの塩焼きでした。
「これは見事な」
 小蝶は目を見張りました。
「琵琶湖の名物ですよ。まずは、新しく加入された方に、召し上がっていただきます」
 と巨綸が説明すると、給仕役の去勢済み男奴隷たちは、三世姫、小蝶、呉竹、龍子、味鴨、唐崎の三姉妹の前に、マスの皿を置きました。
「それはありがたい。では、いただきますかな……」
 小蝶は、塩焼きされたマスの皮に箸をいれ、少しつまんで、三世姫の口に運びました。姫が小さな唇を動かして、マスの身を食べている様子を、巨綸は笑みを収めて見守っています。
「おいしい」
 三世姫の声に、一同感嘆の声をあげたり、拍手したりで盛りあがりました。
「では、わたくしたちもいただきましょう」
 小蝶、呉竹、龍子、味鴨、唐崎の三姉妹は、次々にマスの塩焼きを食べ始めました。その模様を見守っていた巨綸の面差しが、次第に青ざめていきます。
 とうとうマスは頭部と背骨だけとなり、去勢済み男奴隷たちが運び去っていくのを、こわばった面差しで見送っていた巨綸に、隣卓の桜戸が声をかけました。
「首領、顔色が悪いようですが、何かございましたか?」
「え、そう?」
 巨綸は、ごまかし笑いを浮かべて答えます。
「少し酔いが回ってきたのかしら」
「そうではありますまい」
 桜戸は立ち上がり、懐から一枚の折りたたんだ紙を取り出して、小蝶に渡しました。紙を開いて中を読んだ小蝶の面差しがさっと変わりました。
「桜戸さん!」
 小蝶が立ち上がり、静かに言いました。
「これは、なんのご冗談ですか?」
 険悪な気配に、歓談していた女たちは、一斉に小蝶と桜戸に目を向けました。
「ご冗談?」
 桜戸は答えました。
「冗談ではありません。わたくしは真剣です」
「小蝶さん、桜戸さん」
 第二の大将の杣木が口を挟みました。
「その紙はなんです? なにが書れてあるのですか?」
「これは、六波羅決断所から、小蝶さんに宛てた手紙のようです。密偵として梁山泊に潜入し、内部から攪乱せよ、と書かれてあります」
 そう陳べる桜戸に、梁山泊の幹部たちは一斉に立ち上がりました。
 呉竹、龍子、味鴨、唐崎の三姉妹は武器を手に卓を離れ、小蝶と三世姫を守るように立ちはだかります。
「桜戸さん!」
 第三の大将の真弓が叫びました。
「なぜ、そんな重大な手紙が、あなたの手にあるのですか?」
「その理由は……」
 桜戸は、面差しを堅くして黙している巨綸に眼をやって言いました。
「朱西さんが語ってくれるでしょう」
 朱西の名を口に出したとたん、巨綸は真っ青な顔で立ち上がりました。唇や、手が細かく震えています。
 女たちの眼は、今度は朱西に注がれました。朱西は静かに立ち上がり、桜戸に歩み寄ってきました。
「なぜ、その書状を桜戸さんが持っているか。簡単です。この書状はあたしが首領から預かったもの。それをあたしが桜戸さんに渡したのです」
「朱西!」
 巨綸が叫びました。
「何を言ってるの! あたしはそんな書状、知らないよ!」
「いえ、ほんとうです」
 朱西は静かに続けました。
「首領はあたしに、小蝶さんたちに出すマスの塩焼に、毒を盛るよう命じました。小蝶さんたちが死んだ直後、あたしが、その荷物からこの書状が出てきたと皆さんに披露する手はずでした。言うことを聞かないと郷里の母を殺す、首領はあたしを脅したんです」
「ちなみに、この書状は決断所のものではありません」
 桜戸が言葉を添えました。
「末尾に別当である伊賀尼の花押(サイン)がありますが、筆跡がまるで違います。字も間違いだらけ。首領がでっちあげた偽の命令書です」
「嘘つき!」
 巨綸は眼を剥いて席を離れ、朱西につかみかかろうとしましたが、その手首を桜戸に掴まれ、ねじあげられました。苦痛の悲鳴をあげる巨綸を、桜戸は元の席に連れ戻し、椅子に座らせます。
 朱西はふところから、小瓶を取り出しました。
「これがその毒です。首領から昨日、渡されました」
「確かに首領のだわ……」
 杣木が呻(うめ)くように言いました。
「首領の部屋で見たことがある」
「嘘だ嘘だ嘘だ!」
 巨綸は錯乱したように叫びます。
「このすべた! 腐れあま! よくも出鱈目ばかり! 誰か、桜戸と朱西を捕まえて首をはねなさい! 首領の命令よ!」
「朱西さんが嘘をついているかどうか……」
 呉竹が静かに立ち上がって言いました。
「その小瓶の中身を、首領みずからお飲みになってはいかがです? もしあなたが潔白ならば、なんともないはずですよ」
「言いがかりはよして!」
 巨綸は、顔を真っ赤にしてわめき続けました。
「なんであたしが、新参者の指図を受けなきゃならないのさ! あたしはこの梁山泊の首領だよ? 行き場のないあんたたちが、こうやって生きていられるのも、あたしのおかげじゃないか! 早くこいつらを捕まえてよ!」
 しかし、幹部たちも、女兵たちも動こうとはしません。
「恩知らずな連中ね! もういいわ! あたし、こんなところいたくない! 勝手にすればいいわ、誰か代わりに首領をやってちょうだい、あたしはもう知らないから!」
 と巨綸が立ち上がろうとしたとき、
「そうはいかないわ!」
 右手で巨綸の手首を掴んでいた桜戸は、その腕をねじあげ、左手で髪の毛をつかんで顔を卓上に押しつけました。巨綸は悲鳴をあげ、
「何するの! 離して! 痛い!」
 と泣きわめきましたが、桜戸は続けました。
「朱西さんに手伝ってもらって、あんたの部屋を探らせてもらったわ。そうしたら、面白いものが見つかったの」
 桜戸が朱西に目配せすると、朱西は懐から手紙の束を取り出して、幹部たちに手渡しました。
「これは、近江の守護代から送られてきた書状よ。どうやら巨綸は、多額の金を守護代に賄賂として送っていたようね」
「そ、それは……」
 巨綸は必死に抗弁します。
「守護代がこの梁山泊を攻めないようにと……みんなのためだったのよ!」
「そうじゃないでしょう」
 桜戸は冷たく言いはなちました。
「あなたは、何時までも梁山泊の首領でいるつもりはなかった。守護代と内通し、追討軍に梁山泊を陥落させる。仲間を犠牲にして、自分だけはその功績でもって官職につく。そんな運動をしていたのでしょう? 書状にちゃんと書いてあるわ」
「確かにそう書いてありますね」
 書状を読んでいた小蝶が言い、第二の大将の杣木に問いました。
「この梁山泊では、敵に内通した者はどんな罰に処せられるのですか?」
「それは……」
 杣木は、桜戸に押さえつけられ、ひいひい泣きわめく巨綸を見やって言いました。
「両の乳房を斬り落とし、死ぬまで逆さ吊りにします。その後、屍は内通した先の屋敷に放置するのです」
「いやぁぁぁぁ!!!!!」
 巨綸が絶叫しました。
「助けて! 許して! もうしません! 誰かぁ!」
「では杣木さん、あなたが第二の席次にある者として、裁きを下してください」
 杣木は、第三の大将である真弓を見やりました。真弓は俯き、やがて頷きました。杣木は高らかに宣言しました。
「掟どおりの刑に処します」
「いやだ、いやいやいや!」
「見苦しいわよ!」
 桜戸は暴れる巨綸を立たせ、背後から股間を蹴り上げました。恥骨を砕かれてうずくまる巨綸の胸乳を、さらに足蹴にすると、巨綸は身も世もなく、地面を転げまわります。
「ひとまず牢獄に連れて行け」
 杣木がそう言うと、数名の女兵が駆け寄り、もはや抵抗する気力もなく、さめざめと泣くばかりの首領を引きずるようにして宴席から連れ去ったのでした。

 翌朝。
 小蝶があてがわれた宿舎で目を覚まし、外の井戸端で顔を洗っておりますと、桜戸と、杣木、そして真弓が歩いてきました。
「おはようございます」
 と朝の挨拶をかわした後、桜戸が口を開きました。
「実は、三人で相談したのですが、小蝶さん、あなたを梁山泊の首領に推挙したいのです」
「わたくしが、ですか?」
 小蝶は眼を丸くしました。杣木も口を添えました。
「夜叉天王の小蝶さんの高名は、あたしたちも知っています。前の首領の巨綸は、残念ながらあたしたちが無学だったので、なんとなく言いくるめられていましたが、命がけで仕えるにたる首領じゃないことは、うすうす気づいていました」
「梁山泊の発展のためにも、あなたのような方に首領になっていただきたいのです」
 真弓も言いました。
「このまま、ただの山賊稼業では終わりたくないと思っていました。昨夜、桜戸さんから、小蝶さんなら、この梁山泊を変えてくれるんじゃないかと言われましたが、そのとおりだと思います。お願いします」
「うーん……」
 小蝶はしばし考え込み、やがて口を開きました。
「もし、梁山泊を変えるのであれば、何を目標とした組織にするのか、ちゃんとした理念が必要です。理念なき集団は烏合の衆にすぎません。この梁山泊に集った数百の同志を、烏合の衆とするか否かは、それにかかっています」
「そのとおりです」
 桜戸は言いました。
「前の首領には、それがなかった。ただ、己の安泰と欲望のため、梁山泊を利用していただけでした」
 それを受けて、小蝶は言いました。
「どういう理念を打ち立てるべきなのか、まずそれを話し合いましょう。誰が首領になるかは、その後でいいと思います」

 翌日。
 梁山泊の大広間に、すべての幹部、女兵が集められました。
 中央に組んだ演壇に、桜戸、杣木、真弓、朱西など従来からの幹部と、新たに参加した小蝶、呉竹ら七人、そして三世姫が並んでいます。
「今日より、この梁山泊は二代将軍・頼家公の忘れ形見である三世姫を、棟梁としてお迎えする!」
 杣木はそう宣言し、一同はどよめきました。続いて桜戸が言いました。
「われらはみな、西にあっては院の御所を牛耳る亀菊、東にあっては鎌倉幕府を牛耳る北条執権家、彼らの悪政によって居場所を失い、梁山泊に集った者。三世姫さまをお迎えした今、わたしたちは変わらなければならない。盗賊、野武士ではなく、姫さまを奉じて乱れた世をただす、正義の集団に生まれ変わるのだ!」
「今まであたしたちは、食うために盗賊稼業をやってきた!」
 杣木が言いました。
「罪もない人を殺めて、金品を奪ったりもした。今日からは、そういう稼業はやめる!」
「し、しかし大将……」
 女兵の一人が挙手して問いました。
「盗賊稼業をやめるとしたら、今後、どうやって食べていくんですか?」
「わたくしが説明します」
 立ち上がったのは呉竹です。
「この梁山泊は、水が豊富で農業に適しています。また、琵琶湖に面していますから、漁業で生計をたてることもできましょう。さらに養蚕を行って織物を生産するなど、自給自足できる場所にするのです」
「……って、あたいらに、今日から百姓や漁師をやれって事ですか?」
 不満そうにがやがや騒ぎ出した女兵を宥めたのは、二網でした。
「あんたらがきんたま潰してこき使ってる奴隷にやらせばいいんじゃないのー?」
 女兵たちはどっと笑い、呉竹がそれを引き取って言いました。
「そうです。あなた方には、読み書きそろばんを習っていただき、去勢された男たちの奴隷労働を監督し、それをうまく収益につなげられる人材を育成したいのです。院の御所や鎌倉幕府に従わぬ勢力、さらには宋や朝鮮など外国と商取引を結び、この梁山泊を中心に、わたくしたち女だけの新天地を切り開くのです!」
 女兵たちは黙して固唾を呑みました。
 女だけの新天地。
 あまりにも意外な言葉でした。呉竹は続けました。
「おそらく、幕府も、院の御所も、この梁山泊を敵視し、攻撃してくるでしょう。そのとき必要なのは、あなた方の武力です。女だけの新天地を守り抜くには、あなたたちの力が必要です。武芸の鍛錬や、戦いを経験した女たちが連帯し、この梁山泊を守り抜くのです」
 水を打ったように広場は静まっていました。
 数百の女兵たちは、いずれも、主家を滅ぼされたり、極貧の生まれだったり、行き場をなくして無頼の世界に身を投じた者ばかりです。生きるために、善悪の区別もなく、暴れ回っていた女たち。
 女だけの天地……。
「そう、女だけの天地です」
 小蝶が立ち上がって静かに言いました。
「身分の差も、貧富の差もない新天地を築きたいと思いませんか?」
「やろうよー!」
 十五歳の七曲が立ち上がって呼びかけました。十七歳の五井が続きました。
「男に気兼ねなく、自由にやりたいことができるようになるよー!」
 そして、十九歳の二網。
「あたいたちだって、やれるんだって、世間に見せつけようぜ!」
 黙って聞いていた女兵たちの間に、静かな熱気が生まれ、次第に高まっていきました。
 味鴨が立ち上がり、叫びました。
「みんな、どう? やれる?」
 その一声で、女兵たちの熱気が爆発しました。
「やる!」
「やれまーす!」
「やってやるぅ!」
 続いて、幹部の人事が発表されました。
  首 席  夜叉天王の小蝶
  次 席  智慧海の呉竹
  三 席  雲間隠の龍子
  四 席  虎尾の桜戸
  五 席  赤頭の味鴨
  六 席  水慣棹の二網
  七 席  気違水の五井
  八 席  鬼子母神の七曲
  九 席  女仁王の杣木
  十 席  天津雁の真弓
  十一席  荒磯神の朱西
 桜戸以外は新参者が上位を占めましたが、特に異論は出ませんでした。
「ねえ、呉竹さん」
 新体制発表式が終わった後、演壇を降りながら小蝶は呉竹に小声で問いました。
「あなた、梁山泊に逃げようと提案した時には、すでに、構想はできていたわけね」
「構想?」
「女だけの新天地って構想。あなたはそれについて何も言ってくれなかったけれど、実は天王寺村にいた時から、ずっと考えていたんじゃないの?」
 呉竹は笑って答えませんでした。(五編・了)

back to index

inserted by FC2 system