金蹴り超訳・傾城水滸伝
八編 安蛇子の巻



八編之壱
大箱、梁山泊で次席幹部となり、
安蛇子は鎌倉で朝比奈三郎と戦う


「よくぞ、いらっしゃいました」
 佐渡から船で越前へ、そこからは陸路で近江に至り、梁山泊に入った大箱(おおばこ)は、首席幹部の小蝶(こちょう)以下、幹部勢揃いのなかを出迎えられました。
「ご高名はかねがね伺っておりましたし、桜戸(さくらど)さんや力寿(りきじゅ)さんから、お噂も聞いておりました。わが梁山泊の発展のためにご尽力くださいまし」
 と小蝶は歓迎の辞を述べ、久々の再会を果たした桜戸は、
「いま、こうして生きていられるのは、大箱さんのおかげです。ありがとうございました」
 と大箱にすがりつき、泣いて喜びました。
 歓迎の宴が数日続いた後、大箱は小蝶の部屋に呼ばれました。お茶とお菓子が出され、喫しつつしばし歓談した後、小蝶は姿勢を正して言いました。
「ところで小蝶さん、ひとつご相談なんですが」
「なんでしょう?」
 草餅を口に運びながら大箱が問いますと、小蝶はさらりと言いました。
「あなたに、この梁山泊の首席幹部になっていただきたいのです」
 とたんに大箱はむせて、胸を叩いて激しく咳き込んだあと、やっと草餅を飲み下し、涙目で答えました。
「あ、あの……なぜ、わたくしが? わたくし、なんの武芸も身に付けていませんし、我ながらどじで間抜けだし、首席どころか、幹部だって無理ですよ」
 小蝶は笑みを浮かべて言いました。
「ここ数日、あなたのことを観察させていただいたのですが、あなたの周りには、自然に人垣ができます。力寿さんはあなたのことを、助けずにはいられないひと、と言っていましたが、本当にそう思います」
「ですから、それはわたくしがどじで間抜けだからで……」
「ただのどじで間抜けなひとだったら、誰も助けようとは思いません」
 小蝶はきっぱりと言いました。
「あなたの心が清らかで、正しいひとだからです。自分のことだけでなく、他人のために一生懸命になれるひとだからです。そういうひとこそが、首席幹部にふさわしいのです。武芸や知謀、技術や呪術に長けた者をまとめていくために、ふさわしい資質なんです」
 大箱は俯きました。しばし黙した後、
「小蝶さん、それはわたくしを買いかぶりすぎです。わたくしは凡庸で、悩み多き女にすぎません」
「悩みとは、例えば……恋愛感情とか?」
 その問いに、大箱は頬を赤らめました。大箱の脳裡に、安蛇子(あだこ)や、阿慶(おけい)の面立ちが浮かんだのです。
「よければ、お話しいただけますか?」
 優しい目で見つめる小蝶に、大箱は何もかも打ち明けたくなり、素直に安蛇子や阿慶との経緯を述べました。
「おわかりと思いますが、わたくしは煩悩が強すぎて、つい、判断を誤る事も多いんです。好きになった相手には非情になれません。首席幹部としてぎりぎりの判断をくだす際に、冷静にやれる自信がないんです」
 小蝶は立ち上がり、大箱の傍らに歩みよって肩を抱き寄せました。
「では、こうしましょう。あなたには、私のすぐ下の序列である次席幹部になっていただきます。もしお悩みがあったら何でもご相談ください。わたくしを姉と思って」
「……次席ですか」
 大箱は、これ以上お断りするのも失礼かな、と思いつつ、
「わたくしなんかより、節柴さんのほうが向いてらっしゃると思うんですけど……」
「その節柴さんが、あなたを次席に推薦されたのです」
「え、そうなんですか!」
「呉竹さんも桜戸さんも大賛成でした。みな、あなたのためなら働けるとおっしゃっています。それだけの人望がおありなのですよ、あなたには」
「はあ、呉竹さんや桜戸さんまで……」
 大箱は溜息をつき、
「じゃあ、次席ということで……なんか失敗したら、すぐ降格にしてくださいね」
 と小さな声で言いますと、小蝶は「よかった」と安堵した後、真顔になって言いました。
「これだけはお約束ください。わたくしに何かあったら、必ず、わたくしの代わりに梁山泊を指揮していただく事です」
「えええ!」
「これは必ず守って下さい」
 小蝶は、大箱の眼を覗き込み、有無をも言わせぬ口調になりました。
「首席幹部としての命令です」
 翌日、新たな幹部人事が発表されました。
  首 席  夜叉天王の小蝶
  次 席  春雨の大箱
  三 席  折滝の節柴
  四 席  智慧海呉竹
  五 席  雲間隠の龍子
  六 席  虎尾の桜戸
  七 席  赤頭の味鴨
  八 席  旋風の力寿
  九 席  浮潜龍の衣手
  十 席  水慣棹の二網
  十一席  気違水の五井
  十二席  鬼子母神の七曲
  十三席  野干玉の黒姫
  十四席  戸隠の女鬼
  十五席  越路の今板額
  十六席  女仁王の杣木
  十七席  天津雁の真弓
  十八席  荒磯神の朱西
 大箱が、いきなり次席に抜擢された事に異議を口にする者は皆無でした。右筆として官僚的な仕事に長けた大箱、事実上の行政官であり「女だけの別天地」運営の経験のある節柴を迎え、梁山泊の活動はますます活溌になっていったのです。

 その一月後。
 幕府のお膝元である相洲(神奈川県)鎌倉の由比ヶ浜の波打ち際を、独りとぼとぼと歩く女がいました。髪の毛を振り乱し、着衣は破れ放題、市女笠(いちめがさ)をかぶって面立ちは見えませんが。その足取りは重く、長く辛い旅を続けてきたことが窺えます。
 ふと、女は笠をあげ、遠くを見ました。かすかに響いてきた馬蹄が次第に大きくなり、たちまち黒々とした騎馬武者の群れが現れました。ざんばら髪の落ち武者らしい騎馬の武士が、五騎の敵を追いかけています。
 ざんばら髪の武者は薙刀を振り回し、敵を次々と屠(ほふ)って、瞬く間に五騎の敵を全滅させました。五つの屍を見下ろし、満足げに馬から降りた武者は、五人の首を切って馬の鞍にぶらさげた後、腰にさげた瓢箪(ひょうたん)を口にふくんでごくごくと水を飲み、浜に座って一息つきました。
 その時初めて、武者は、近くに佇む女の存在に気づいたのです。
「女か……」
 武者は立ち上がりました。
「命のやりとりをすると、女を犯したくなる。不思議なものだ」
 甲冑を外し、袴の帯を解きながら、相好を崩して歩み寄ってきます。
「わしは、板東にその人ありと言われた朝比奈三郎義秀(あさひなさぶろうよしひで)。女、わしに犯されることを誉れに思え」
 女の肩を掴んで押し倒そうとした刹那、朝比奈は呻いてのけぞりました。女の膝が、朝比奈の股間を蹴り上げていたのです。両手で股間を押さえてうずくまった朝比奈の喉元に、刃が突きつけられました。
 恐怖に眼を見開いた朝比奈を見下ろし、女は冷ややかに言いました。
「鎌倉とは、そのように武者が女を犯しても、女の誉れと見なすような土地柄なのね」
 蔑むように唇を歪め、女は朝比奈の喉を切り裂きました。朝比奈は仰向けに倒れ、死にきれぬまま喉から噴き出す血を見つめ、痙攣するばかりです。
「女だけの天地か……」
 断末魔の苦しみに悶える朝比奈の股間を右手でつかみ、一気にひねり潰しながら、女は左手の袖で、喉から噴き出す返り血を浴びた己の顔を拭って呟きました。
「大箱の気持ちもわかるわ……」
 その左の袖からのぞく腕には、手首から先がありませんでした。
 女は、言うまでもなく、安蛇子です。

 佐渡で、衣手によって左手を切断された安蛇子は、越後守護代の兵に保護されました。
 その後、医師の手当てを受け療養していた安蛇子は、都の亀菊から守護代に、次のような命令が届いた事を知りました。それは、
「連れて帰るには及ばない。守護代の兵たちの慰みものとし、残った右手と左右の足を切断して、それだけ都へ送れ。後は山の中にでも放置せよ」
 という酷すぎる命令でした。
 安蛇子は心を決めました。守護代の兵を籠絡して船を調達させ、佐渡を脱出したのです。対岸の越後に着くやいなや、兵を殺した事は言うまでもありません。以後、男を誘惑しては金品を奪って殺害し、鎌倉を目指しました。
 都に戻るわけにはいきません。となれば、頼るべきは鎌倉幕府。
 安蛇子はもはや、大箱に復讐することしか、頭にありませんでした。大箱だけでなく、なんとしても、あの梁山泊を滅ぼしてやる。一人では無理だけれど、鎌倉幕府の兵力があれば……。
 そして今日、鎌倉の入り口である由比ヶ浜に辿り着いたのです。
「戦の最中か、今は」
 安蛇子は、市街地のある方を見やって呟きました。そこかしこから煙があがり、鬨(とき)の声があがっています。
 源氏の旗挙げ、そして平家滅亡から三十年近くの歳月が流れましたが、争いの絶えぬのが鎌倉でした。源義経、源範頼、梶原景時、武田信光、比企能員、新田忠常、畠山重忠といった平家討伐に功のあった源氏一族や有力御家人が次々と滅ぼされ、ついには二代将軍頼家までが殺害されたのです。勝者となった北条家内部でも内紛が絶えず、執権北条義時が父親である時忠を追放してから、まだ日もたっていません。
 その都度、戦が起こり、大勢の民が犠牲になっているのです。
「戦のたびに、こういう連中が、大勢の女を犯しているわけね」
 波打ち際に転がる六つの屍を眺めて、安蛇子は思いました。
 戦の際に、武者に犯されるのは女の誉れ。平然とそう口にする者がいるくらいです。男尊女卑は、恐らく都の比ではありますまい。生死をかけた戦(いくさ)のさなか、子孫を残そうとする本能が働いたとき、誰彼かまわず女を犯すことが許されている。それが鎌倉なのです。
「だとすればかえって、わたくしはここで、大きな事を成し遂げられるかも」
 安蛇子は、心のなかでほくそ笑みました。幸い、右手は残っています。都で、佐渡で、大勢の男たちを夢中にさせた房術を発揮できるのです。
 不意に馬蹄が轟き、十数騎の武者が駆けてきました。浜辺に転がる六つの屍を確かめ、五つの屍には両手をあわせて祈りを捧げましたが、朝比奈の屍を見ると、
「なんと!」
「朝比奈を討ち取ったか!」
 と叫び声をあげました。そのなかで将らしい武者が、安蛇子に向かって問いました。
「おい、女、お前は何者だ?」
 安蛇子は答えず、わずかに笠をあげて武者を見上げました。かすかに覗いた美貌に、武者が息をのむことは計算済みでした。
「お前、この朝比奈が討たれたところを見たか?」
 馬鞭で朝比奈の屍を指しつつ、武者は問いました。安蛇子は、薄笑いを浮かべつつ、答えません。武者は苛立って言いました。
「見たところ、六つの死体のうち五つは、わが安達(あだち)の郎党。もう一つは、かの豪勇朝比奈三郎義秀だ。誰がこの朝比奈を討ったか、確かめねばならぬ」
 当時の鎌倉幕府では、いくつ敵の首を取ったかで、戦功が決まりました。高位にある者、強い者を討ち取れば、土地や地位など、多くの褒美(ほうび)がもらえます。たとえ相打ちでも、強い敵を倒せば子孫に恩賞が下されるのです。
「なあ、誰がこの朝比奈を討ったのか、教えてくれ」
 答えぬ安蛇子に苛立った将は、馬から下りて歩み寄りました。
「わしは、尼将軍政子さまに仕える安達太郎景盛(かげもり)。答えてくれれば、その方にも何か褒美をとらせよう。教えてくれ」
 安蛇子はけらけらと笑い、口を開きました。
「何ぜわざわざお訊ねになるの? この男を倒したのは、生き残った者に決まってるじゃありませんか」
「生き残った者……?」
 安達景盛はきょろきょろと周囲を見回しまし、さらに苛立って言いました。
「生き残った者など誰もいないではないか。謎かけはやめてくれ。今は戦の最中、わしも早く戦場に戻らねばならぬのだ」
「今は戦なのですか?」
 わざと問うと、
「そうだ」
 人のよさそうな面立ちの安達景盛は説明しました。
「和田義盛が一族をあげて幕府に謀反を起こしたのだ。一時は鎌倉を占領し、将軍さまの御所まで攻め寄せるばかりの勢いだった。特に、和田一族にあって一の勇者と言われた朝比奈三郎は、一人で数十騎を倒し、さんざんに御味方を悩ませた者。これを討ち取った者はこの合戦の一番手柄になるのだ」
「そうなの!」
 安蛇子は右手でお腹を押さえて笑い転げました。
「まさか……わたくしが一番手柄だなんて!」
「……なに?」
 訝しがる景盛に、安蛇子は、たかだかと言いました。
「一番手柄をたてたわたくしを、尼将軍の御前にお連れしなさい」

 鎌倉の将軍御所は、次々と合戦から引き上げてきた武者たちの怒号と血のにおいが満ちていました。
 御簾(みす)を垂らしたなかに鎮座する三代将軍源実朝(みなもとのさねとも)と、その母である尼将軍北条政子(ほうじょうまさこ)、その弟の執権(しっけん)北条義時(よしとき)が居並ぶ拝殿の御前の庭に、武者たちは討ち取った首を次々と持ち込み、右筆がその手柄を書き付けるのです。
 実検の終わった首が山のように積み重ねられ、血のにおいでむせるような庭に、安達景盛に連れられ安蛇子が現れました。この場に相応しくない絶世の美女が現れたことに、一同は息を呑み、いぶかしげに囁きあいます。
「誰だ、あの女」
「首実検の場に、なぜ?」
 執権北条義時が、不審そうに訊ねました。
「安達殿、その女は誰か?」
「実は、その……」
 安達景盛は、ためらいがちに言いました。
「この女、朝比奈三郎義秀を討ち取ったのだとか……」
「なにぃ!」
 そこにいた全員が、立ち上がりました。
「嘘だ!」
「そんなはずはない!」
「あの朝比奈を女が……ありえない!」
 御家人たちが口々に叫ぶ中、義時は平静を保って訊ねます。
「朝比奈三郎といえば、こたびの合戦でも一人で百近くを倒した豪傑だ。それを、女が倒せるはずがなかろう」
「はあ、そうですが……」
 冷や汗をかきながら俯いて口ごもる安達景盛に、義時は追い打ちをかけました。
「安達殿は、その目で見られたのか、この女が朝比奈を倒すのを?」
「いえ」
 景盛はしどろもどろに答えました。
「わたくしが駆けつけた時は、すでに朝比奈は事切れておりました。その傍らにこの女がいて、自分が朝比奈を倒したと言い張るのです」
「それ、見ろ」
 義時は嘲るように言いました。
「女、なんのために虚言を弄するのかは知らないが、これ以上でたらめを言うと、ただではすまんぞ。とっとと失せろ」
「いいえ」
 安蛇子はきっぱりと言いました。
「わたくしが、朝比奈を討ったのです」
 義時は、鎌倉一の実力者である自分を、少しも恐れる様子のない安蛇子に苛立ちを隠せず、顔を赤くして怒鳴りました。
「誰もそれを見ていないというのに、まだ言うか!」
「では……」
 安蛇子は、背中に背負っていた葛籠(つづら)を下ろし、蓋をあけて逆さにしました。
 葛籠のなかから、生首が転がり出て、人々は総立ちになりました。それはまさに、朝比奈三郎の首だったからです。
 安蛇子は、御家人たちを見回して言いました。
「わたくしが、この朝比奈を討ちました。だからわたくしが、この者の首をこうやって実検に持ってきたのです。それとも、他にどなたか、自分こそ朝比奈を討ち取ったとおっしゃる方がいらしたら、名乗り出ていただけますか?」
 その言葉に御家人たちは一斉に目を伏せ、口を閉じました。
「ええい、またも出鱈目を!」
 執権義時は半狂乱です。
「百余騎の板東武者を倒した朝比奈を、女の細腕で討てるわけがない。お前は、偶然その首を拾っただけだろう、正直に言え!」
「執権殿」
 御簾を垂らした向こうから、静かに声がしました。
「女が朝比奈を討てぬとは、言い切れますまい」
 声の主は、将軍実朝と並んで座る、尼将軍政子でした。政子は続けました。
「近江の梁山泊には、四人で百余の目代軍を全滅させた女豪傑がいるとの噂。院の御所でも、寵姫亀菊が豪勇の女を集めて女武者所を作っているとか。現に義時、そなたの娘十時(ととき)御前が嫁いだ太宰府探題でも、女武者所が設けられたと聞きます」
「姉上」
 義時は、抗議するように言いました。
「それは、軟弱な西国武者を相手にしてのこと。われら板東武者が、女に負けるはずがありませぬ」
 そう言い切って、義時は安蛇子に向かって言いました。
「そもそも、本当にお前が朝比奈を討ったのだと、どうやってそれを証明する?」
「そうですね……」
 安蛇子は、周囲を見回して言いました。
「ここにいる武者の方々のうち、いちばん強い方と、わたくしが朝比奈を倒したのと同じ手順で戦います。それでわたくしが勝てば、朝比奈を討ったのはわたくしだと、認めてくださいませ」
 一座は静まりました。
 武者たちが互いに顔を見合わせるなか、哄笑が響きました。
 御簾の裡の三代将軍実朝です。
「面白い!」
 女のようなか細い声で叫びました。
「母上、わたしも見とうございます。この女が果たして、この場にいる一番の剛の者に勝てるかどうかを」
「いいでしょう」
 尼将軍政子は静かに言いました。
「誰か、我こそはこの場で一番の豪傑だと名乗り出でなさい。みごと打ち負かしたら、この女を好きに弄んでいいわ」
 たちまち、武者どもは「わしが!」「わしが!」と手を挙げ、「お前がわしより強いはずがないだろうが!」「何を生意気な!」と喧嘩騒ぎとなった挙げ句、相手に選ばれたのは、葛貫盛重(つづらぬきもりしげ)という、岩のような大男でした。
「女よ、武器は何を使う。薙刀か? 弓矢か? 刀か?」
 葛貫は、嘲るように言いました。
「まず、お前が選べ」
 そう言われて、安蛇子は笑って首を振りました。
「素手でよい」
「なに?」
 葛貫の顔色が変わりました。
「素手でわしを倒せると本気で思っているのか?」
「思ってる」
 安蛇子は、笑みを絶やさず、葛貫に歩み寄りました。
「お前を倒すのに武器など要らないわ」
 言うなり、葛貫の懐に飛び込み、股間を膝で蹴り上げると同時に、葛貫の腰にさした刀を引き抜きました。
「わたくしは、このように、朝比奈を討ちました」
 そう言って安蛇子は、睾丸の激痛にうずくまる葛貫の喉を、一気に切り裂いたのです。
 見る者すべてが固唾を飲みました。誰もが負けるはずがないと思っていた葛貫は、両手で血を噴く喉を必死で抑え、のたうちまわっています。そして、誰もが葛貫に犯されるものと思っていた安蛇子は、刃に血の滴る刀を手に、笑って葛貫を見下ろしているのです。
 卑怯だ!
 多くの男たちが叫ぼうとした瞬間、
「見事!」
 と立ち上がったのは尼将軍政子でした。
「執権殿、この女を、朝比奈を討った功名第一として恩賞をご用意なさい」
 そう言って、安蛇子を「来るのです」と手招きしたのです。
 断末魔の苦しみに悶える葛貫を、男たちが呆然と見つめるなか、安蛇子は、尼将軍政子とともに、御所の奥へと消えたのでありました。

八編之弐
尼将軍政子は女武者所設立を企て、
安蛇子は双鞭の芍薬と戦う


「あれ以上、あそこにいたら、お前の命はなかったわ」
 御所の離れの奥座敷に入った尼将軍政子は、向かい合って坐った安蛇子に、笑顔で言いました。
「鎌倉の男どもは、きんたまを蹴り上げるような女を決して許さないからね」
「恐れ入ります」
 安蛇子は、右手を床について頭を下げました。それを見て政子が問いました。
「お前、左の手がないの?」
「はい」
「どうしたのです?」
「ある女武芸者に切られました」
「ほう、女武芸者にか」
「はい。梁山泊にいる女です」
「朝比奈を倒したお前の手を切り落とす者がいようとは、梁山泊にはよほど腕の立つ女たちが集まっているのね」
 政子はそう言って身を乗り出しました。
「実は、お前の腕を見込んで頼みがあるの」
 そう言って政子は手を叩いて女房を呼び、
「御台所(みだいどころ)をお連れ申せ」
 と命じました。
 やがて現れたのは、年の頃二十歳、十二単(じゅうにひとえ)を華やかに着飾った、雅やかな美女でした。
 これぞ、三代将軍実朝の正室(御台所)、坊門信子(ぼうもんのぶこ)。都の公卿・坊門信清の姫君で、鎌倉まで嫁いでこられた方です。
「御台所さま、お渡りいただき、恐縮にございます」
 政子は、それまで坐っていた上座の飾り畳を降りて、そこに御台所を坐らせ、下座について土下座しました。
「お姑さま、何か?」
 おっとりとした口調で問う御台所に、政子はすり寄って囁くように言いました。
「かねてよりご懸案の、女武者所の件でございます」
「女武者所……」
 御台所は訝しげに言いました。
「あれは、執権殿はじめ御家人たちの大反対で取りやめになったのではありませんか?」
「さようでございます」
「あれは、がっかりでしたわ」
 御台所は、かわいらしく頬を膨らませて言いました。
「昨日来、和田の謀反のあおりで、御所のわたくしの部屋まで、乱暴な男どもが土足で乗り込んで参りました。女武者所が開設されていれば、わたくしや女房どもも、同じ女に守られて、あんな怖い思いはせずにすんだものをと思ったものです」
「さよう」
 政子は苦々しげに言いました。
「鎌倉の男どもは、女が武芸で男に勝るなど、あってはならぬ事と決めつけているのです。院の御所や、太宰府探題で女武者所が設けられていることを説いても、一向に聞き入れません。彼らを説得するためには、男に勝る女武芸者を、実際に見せてやる必要があります。そして……」
 政子は、平伏する安蛇子を指さして言いました。
「そういう女武芸者が、やっと現れたのです」
「お前は、女武芸者なの?」
 御台所は、興味津々で、安蛇子を覗き込みました。
「顔をあげて」
 そう言われて顔をあげると、御台所は息を呑み、
「なんと美しいひとでしょう!」
 と素直に感嘆しました。政子が口を添えました。
「この者は、あの朝比奈三郎を打ち倒し、この度の合戦の一番手柄を立てた者です」
「ほんとうですか!」
 御台所は、上座の飾り畳から下りて、安蛇子に近寄り、手を取って
「それは頼もしい。ぜひ、この者の武芸を執権殿や御家人に見せつけて、女武者所開設のきっかけといたしましょう」
 と言いつつ、ふと、安蛇子の左手がないことに気づきました。
「あなたは……」
 御台所は、安蛇子を凝視して問いました。邪念のない、透き通るような瞳です。
「右手しかないのに、あの剛勇の朝比奈を討ち取ったのですか?」
「はい……」
 安蛇子は頷き、顔をあげて驚きました。
 御台所の眼に、みるみる涙が溜まって溢れ出しました。戸惑う安蛇子の左腕を両手で自分の胸にかき抱き、御台所は言いました。
「かわいそうに……痛かったでしょうね」
 安蛇子は、胸がいっぱいになり、眼頭が熱くなるのを覚えました。
 そして、思ったのです。
 似ている。
 大箱に……。

 侃々諤々の議論を経て、将軍実朝の名で女武者所開設が発表され、腕に覚えのある者を募集する旨、高札や廻状で触れられました。
 しかし、幾日待っても、名乗り出る女は一人も現れません。
「今日も、誰も来なかったのか……」
 尼将軍政子は、女武者所別当に任ぜられた阿波局(あわのつぼね)の報告を聞き、溜息をつきました。
「そうなのよ、姉上。だぁれも来ないの」
 政子の妹で未亡人の阿波局は、不満たらたらでした。
「あの朝比奈三郎を討った安蛇子が教頭(おしえがしら)だと評判になって、ぜひ入りたいと言い出した娘さんは少なくないらしいけれど、親兄弟から、応募したら勘当だと脅されているみたいなの」
「御所(実朝)からもご賛同を得ているというのに、度し難い偏見の持ち主が多いのね」
「こうなったら、女でもできるという事を、連中に見せつけてやるしかないわ」
 阿波局は、傍らに控える安蛇子を見やって言いました。
「安蛇子に、何か一働きしてもらうのよ。なるべく大勢の目の前で、ぐうの音もでないくらい武芸の腕を発揮できるような、そんな機会はないかしら」
「そうねえ……」
 政子はしばし思案し、やがて膝を打ちました。
「常陸(茨城県)と陸奥(福島県)の国境で、奥州藤原氏の残党を名乗る者どもが蹶起し、わずか百余の軍勢ながら、勇猛で手を焼いているそうね」
「ああ、そう言えば」
「御所にお願いして、追討軍を出してもらいましょう。なるべく多くの御家人を参加させるのです。そして安蛇子」
 政子は安蛇子を見やって言いました。
「お前は、その合戦で手柄をたてるのです。いいですね」
 やがて将軍実朝の名で追討軍の結成が発表されました。総大将は、執権義時の長男・泰時(やすとき)。安達、三浦、武田、佐々木といった有力御家人の子弟らが参加し、千余騎の武者が、美々しい甲冑に身を固め、旗指物を翻(ひるがえ)して、北に向かって進撃したのです。
 安蛇子は、安達景盛の配下に組み入れられました。出発前夜、安蛇子は、将軍御所に呼ばれ、御台所に面会しました。
「いよいよ、出陣だそうね」
 御台所は、気遣わしげな面差しに、笑みを作って言いました。
「必ず、手柄をたてて、帰ってきてくださいね」
「はい……」
 安蛇子は、頭を下げながら、思いました。
 なぜだろう。御台所の前に出ると、胸がどきどきして、なんでも素直に聞けてしまう。
「これは、わたくしが作った懸守(かけまもり)です」
 懸守とは、小さく円筒形にした桐のなかに護符を入れ、錦布で包んで紐をつけ、首に垂らせるようにしたものです。小さな掌に載せて差し出した懸守をおし戴いた安蛇子に、御台所はこう言いました。
「あなたは、板東の虐げられた女たちの希望になりえる人です。必ず生きて帰ってきてください」
 息が詰まりそうでした。
 わたくしが……板東の女たちの希望?
 常陸へと向かう行軍の最中、休憩の時など、彼女をひとめ見ようと、将兵が景盛の陣地を覗きに来たり、卑猥な冗談を投げつけたりしました。
「あれが朝比奈を倒したと虚言をはいた女か」
「いい女じゃねえか」
「やりてえな」
「いやいや、朝比奈みたいに殺されてはたまらん」
「ぎゃははは。わしは殺されてもいい。一度はだかを拝みたいものよ」
 わざと聞こえるように放たれる言葉に、無関心を装いつつ、安蛇子は必死で耐えました。
 御台所から渡された懸守を握りしめながら。

 やがて鎌倉勢は、常陸北部の竪破(たつわ)山麓を流れる黒川に至りました。竪破山は、滝や洞窟が多い自然の要害で、反乱軍の根城があるとされる山です。
 川の向こう岸には、早くも敵が、山を下りて河原に陣を敷き、橋を落として待ちかまえていました。
 両軍を隔てる川は、水深が浅く、馬で楽に渡れそうです。しかも敵は百余という噂でしたが、数えればせいぜい五十人というところ。みな、それぞれ鬼のような顔をした面をつけ、馬はおらず全員歩兵です。
 鎌倉勢は、勝利を確信しました。
「わずかな兵で、山に拠らず、千余の我らに真っ向勝負とは生意気な」
 総大将の北条泰時は、敵陣を眼にして叫びました。
「三浦、佐々木、武田の方々、一斉に川を渡って攻め寄せよ!」
 総大将の命令は、母衣武者によって各将に伝えられ、ホラ貝が吹かれ、太鼓が打ち鳴らされました。三浦、佐々木、武田の三隊合計五百騎が、一斉に川を渡って敵陣に襲いかかりました。五百対五十です。呆気なく勝負はつくものと思われました。
 しかし、いざ戦ってみると、五百の鎌倉勢は、五十の敵を攻めあぐみました。
 赤い領巾(スカーフ)を肩に巻いた武者が、左右の手に二本の鞭を持ち、鎌倉勢の主立った武将を、次々と倒していくのです。
 馬に乗らず、素早く走って敵の騎馬武者に駆け寄り、鞭を絡めて馬から引きずりおろし、倒れた相手の股間を蹴り上げます。この頃の合戦では倒した相手の首を取るのが常道ですが、赤い領巾の武者は見向きもせず、次の敵に向かっていきます。股間を蹴り潰された将は、鬼面の雑兵たちに群がられ、息の根を止められるのでした。
 将を失った兵は烏合の衆に過ぎません。浮き足だった鎌倉勢とは対照的に、敵勢は勢いを増していきます。
 そのうち、渡河した鎌倉勢から伝令が駆け戻ってきて、次々と報告しました。
「三浦義連どの、討ち死に!」
「佐々木高綱どの、討ち死に!」
 源平合戦以来の名だたる猛将の戦死の報せに、鎌倉勢の陣に動揺が走りました。
「何者だ、あの鞭を使う武者は?」
 鎌倉の諸将は、口々に叫びました。
「あの者を倒せ! あいつさえ倒せば、勝利は我らの者だ!」
 しばらく立つと、主立った武将は悉く、赤い領巾の武者の餌食となり、睾丸を蹴り潰されて悶絶するばかり。残る雑兵は、一目散に川を渡って逃げ帰ってきました。
 赤い領巾の武者は、川近くまで歩み、鎌倉勢を指さして哄笑しました。それに合わせて敵勢は歓声をあげます。
「誰か、誰かおらぬか!」
 総大将の北条泰時は、顔を真っ赤にして叫びました。
「あの武者を倒そうという勇者は、わが陣にはおらぬのか!」
「おります!」
 甲高い声が響きました。見れば、安達景盛の陣から、一人の武者が進み出て、徒歩で川を渡り始めました。
 安蛇子でした。
 両岸から、「おお」とどよめきが起こりました。
 安蛇子は、兜はかぶらず、腹部に腹巻きをまき、太刀を一本腰にさしただけで、ずんずんと川面に飛沫(しぶき)をあげて歩みました。
 それを見た赤い領巾の武者、
「鎌倉にも、勇者がいるのね!」
 と叫んで面を外しました。それと同時に、鎌倉勢からまたもどよめきが起こりました。
 鬼面の武者は、年の頃二十歳半ばの、絶世の美女だったのです。
「やはり、女だったのね!」
 川を渡り終えて、安蛇子は言いました。
「わたくしは、安達景盛の配下、安蛇子。あなたの名は?」
「お前の勇気に免じて名乗ってあげる。あたしは芍薬(しゃくやく)。人呼んで二鞭(ふたつむち)の芍薬」
「なぜ、謀反を起こしたの?」
「面白くないからよ!」
「なぜ?」
「このあたりで、あたしより強い者はいない。あたしに勝てる男なんて、誰もいない。なのに、鎌倉幕府は、女には武器は持たせず、家で水仕事だけやっていろという。だから、あたしは近在の強い女たちを集めて、謀反を起こしたんだ」
「では、あなたの部下は、みんな女なの?」
「そうよ!」
「そうだと思ったわ。あなたも、あなたの部下も、まず敵の股間を狙っていた。そんな戦い方をするのは女だって」
 それから安蛇子は、たかだかと言いました。
「となれば芍薬さん、あなた、すぐに降参しなさい」
「なんだって?」
 芍薬は、仰天した面持ちで言い返しました。
「勝っているのは、あたしたちだよ? なぜ、あたしが降参しなきゃならないの?」
「鎌倉勢に降参しろとは言わないわ」
 安蛇子は微笑んで言いました。
「わたくしに降参なさい」
「あんたも、鎌倉勢じゃないか」
「違うわ!」
 安蛇子は言いました。
「わたくしは、つい最近、鎌倉に来た新参者。先日の和田合戦で、朝比奈三郎義秀を討ち取って、尼将軍政子さまに取り立てられた。政子さま、そして御台所さまは、幕府に女武者所を開設なさりたいけれど、男尊女卑の偏見がひどい執権や御家人の反対にあっていた。だから、わたくしがこの合戦で手柄を立てれば、執権たちの反対を抑えられるという思惑があったの」
「女武者所って、都にあるという、女武芸者だけの集団かい?」
「そうよ。女武者所ができて、あなたもそこに参加すれば、謀反人にならなくても、幕府公認で思い切り面白い事ができるんじゃない?」
「それは面白そうだけど……」
 芍薬は、躊躇いを見せました。
「あんた、信用できるの?」
「信用できるかどうか……」
 安蛇子は、腰の太刀を抜き、芍薬に突進しました。
「この太刀に聞いて!」
 たちまち、安蛇子と芍薬、二人の女武者は、太刀と鞭とで戦いました。互いに少しも譲らず、延々といつ勝負がつくかも分からぬありさま。
「あんた、凄い!」
 芍薬が鞭を揮いながら叫びます。
「あたしが戦ったなかで、いちばん強いよ!」
「あなたもよ!」
 安蛇子は、戦いながらわき上がってくる不思議な喜びを抑えきれずに叫びました。
「一緒に、戦わない?」
「誰と?」
「わたくしたちの敵と!」
 その日の夕刻。芍薬は五十の部下を連れて川を渡り、鎌倉勢の陣に赴きました。
「あたし、降参します!」
 総大将の北条泰時の前で、芍薬は言い放ちました。
「ただし、あんたに降参するんじゃなくて、この安蛇子さんに降参するんですから、お間違えなく!」
 かくして、鎌倉勢は、降参した二鞭の芍薬以下、五十の女武者たちとともに、鎌倉に凱旋しました。
「よく、帰ってきてくれました」
 御台所は、尼将軍政子や阿波局とともに出迎え、涙で安蛇子の手を取り、笑顔で芍薬を歓迎しました。
「お二人は、板東の女たちすべての、希望です!」
 そして芍薬たちは、罪を問われることなく、女武者所に参加したのです。
 これをきっかけに、腕に覚えのある板東の女たちは、次々と女武者所に応募し、その数は次第に増えていったのでありました。

八編之参
芍薬は金剛山の妙達らを攻め、
小蝶は梁山泊軍を率いて加勢する


 さてその年、鎌倉将軍源実朝、執権北条義時、尼将軍政子、そして御台所は、都に上り後鳥羽上皇を表敬訪問いたしました。
 鎌倉将軍の上洛となれば、その行列は単に警護だけでなく、幕府の威勢を見せつけるものでなければなりません。特に、行列の先頭と、いちばん後方の殿軍(しんがり)に選ばれることは、板東武者の名誉とされていました。
 そこでちょっとした物議を醸したのは、殿軍をつとめる役目が、二鞭の芍薬と、彼女が率いる女武者所に与えられたことです。
 身分の低い家に生まれた彼女ですが、頭脳鋭敏で古今の兵法にも通じておりました。彼女の指導により、女武者所の女たちは、統率のとれた集団に育っていったのです。その年の春に冨士の裾野で行われた恒例の、将軍の御前での巻狩(まきがり)では、並み居る武士団よりも優れた成績をあげました。巻狩は、鹿や猪を集団で狩る一種の軍事演習ですが、竪破山麓での合戦に引き続き、またしても男武者たちは、女武者に負けてしまったのです。
 その結果をもとに、上洛の警護に抜擢されたわけですが、当然、男たちの不満は渦巻きます。そこで尼将軍政子は、五百に膨れあがった女武者所のうち半分の二百五十を上洛警護に割き、残る二百五十を安蛇子に預けて鎌倉に残しました。
 政子は、留守を預かる別当の阿波局と教頭の安蛇子にこう言いました。
「お前たちが残っていれば、わたくしの留守中に鎌倉の男どもが何やら仕掛けてきても、対応できるはず」
 軽挙妄動は慎むように、と言い残して政子は鎌倉を出発したのです。
 さて、都に入った将軍一行は、諸処で大歓迎を受けました。実朝は後鳥羽上皇と初めて対面し、藤原定家直筆の万葉集を送られるなど、東西融和をおおいに示したのです。
 その同じ時刻、尼将軍政子は椋橋の局で亀菊と対面していました。
 院を動かしているのが、まだ二十歳にもならない亀菊であることを、むろん政子は承知しております。
 形式的な儀式に終始する上皇と将軍との対面と違い、政子と亀菊は、実質的な政治交渉をかわしました。口調は穏やかながら、幕府と院の御所の威厳をかけて、火花を散らすような駆け引きが行われたのです。
 交渉が一段落し、茶菓がふるまわれました。亀菊は、菓子を唇に運びながら、ふと思いついたように言いました。
「湊川の金剛山というところをご存じ?」
「摂津の金剛山ですね。山賊が蟠踞(ばんきょ)して、なかなか鎮圧できないと聞きました」
 政子が答えると、亀菊は、
「西国の武者は頼りない。幾度追討軍を送っても返り討ちにあうばかりです。ここはひとつ、東国の武者にお手伝いを頼みたいのです」
 と探るような眼で言いました。政子は、
「では、いずれ東国から援兵を遣わしましょう」
 と逸らそうとしますが、亀菊は、こともなげに言い放ちました。
「援兵など呼ばずとも、すでに都に入っているではありませんか」
 政子は、面差しをやや固くしました。警護に率いてきた二千の鎌倉勢を、金剛山追討に当てよというのです。
「兵糧、武器などは、院の御所で調達します。いかがです? 源平合戦から三十年、板東武者の働きを都の者は見ておりません。鎌倉の武威をお示しになる恰好の機会では?」
 澄まして言う亀菊に、政子は腹の底で歯がみしつつ、笑顔で答えました。
「では、将軍家や執権と相談して、改めてお返事いたします」
 将軍警護の兵をたかが山賊追討に当てよとは、武士の面目をなんと心得ているのだろう。不快な思いを抱いて御所や執権と対面した政子ですが、執権北条義時の反応は異なっていました。
「その山賊とやらは、百にも見たぬ数と聞きましたぞ」
 義時は肩をそびやかして答えます。
「軽く片付けて、板東武者の働き、都の人々に見せて差し上げましょう」
 それから主立った武将を呼び、問いただしましたところ、
「わしにその任務を与えてください」
「いや、是非わしに!」
 とやかましく言い立てます。彼らは、竪破山麓での合戦で二鞭の芍薬にさんざん打ち負かされた連中でした。その芍薬率いる女武者所の兵の前で、金剛山の山賊退治をなしとげ、汚名を雪(そそ)ごうというわけです。
 佐々木義綱、三浦貞景、武田実信の三将が選ばれ、それぞれ百の兵を率いて金剛山に向かいました。
 出陣の日、亀菊はお忍びで都大路に出かけました。勇躍、湊川に向かう鎌倉勢を見ながら、くすくす笑いを堪えられません。
「愚かな男どもよ、大恥をかくがよい」
 二日後。佐々木、三浦、武田の三将は、金剛山麓に辿り着きました。
 鎌倉勢は、
「盗賊など皆殺しだ!」
「板東武者の腕前を都の噂雀どもに見せてくれようぞ」
 とわめきつつ、ろくに作戦も立てずに三方から山道を駆け上がって攻めたてました。
 ところが……。
 ほどなく山道を駆け下りてきたのは、蒼惶とした面持ちの板東武者たちでした。そして、彼らを追い立ててる山賊は、みな、女だったのです。
 女たちの先頭で鉄杖を振るって大暴れしているのは、頭巾をかぶり、数珠を首にさげた尼僧です。もう一人、先頭に立っている女が剣を振り回すと、武者たちの首や腕が面白いように宙を舞いました。
 鉄杖の尼僧は花殻の妙達。
 そして、剣を振るう女は青嵐の青柳です。
「五編之壱」の末尾で出会った妙達と青柳が、金剛山の山賊を全滅させ、自ら籠もった経緯を述べました。その後、妙達と青柳は、行き場のない女たちを集めて自給自足態勢を作っておりました。いわば、節柴が佐渡に作った「不幸な女だけの別天地」の小型版です。
 すっかり浮き足だった鎌倉勢に、佐々木、三浦、武田の三将は焦りました。
「このまま引き下がっては、鎌倉武士の名折れ。いざ勝負!」
 佐々木義綱は馬にまたがり、妙達に向かって突進しました。
 徒歩で戦っていた妙達は少しも慌てず、鉄杖で馬の足を払うと、佐々木はもんどり打って地面に放り出され、仰向けにたおれてばたばたしているところを、妙達、股間を踏みつけ、一気に踵で睾丸を破裂させました。佐々木は黄色い悲鳴を残して絶命。
 一方の青柳は、三浦貞景と太刀を打ち交わしておりました背後から、武田実信に羽交い締めにされました。
「今だ!」
 劣勢だった三浦は、にやりと笑って青柳の頭上に太刀を振りかざします。
「女め、覚悟しろ!」
 と突っかかっていこうとした途端、青柳は、右足を背後に蹴り上げました。青柳の踵で股間を蹴り上げられた武田が、思わず両手を青柳から離して己が股間を抑えます。自由になった青柳、左手で太刀を振り下ろそうとする三浦の手首を押さえ、右手を股間に差し込み、一気に睾丸を握り潰しました。
「ぎゃあああああ!!!!」
 三浦が両手で股間を抑えて地面に転がると、青柳は振り向きざまに太刀を一閃。股間を庇ってしゃがみこんでいた武田の首がぽーんと宙を舞いました。
 三将が討たれ、鎌倉勢は戦意喪失です。
「やい! まだ、きんたま潰されたい奴はいるか!」
 すっかり怯えきった鎌倉勢の生き残りを睨みつけ、妙達は怒鳴りました。
「いるなら、この花殻の妙達がお相手するよ。出てきな!」
 残った十余名の雑兵たちは、ひたすら土下座して命乞いをするばかりです。
「よし、お前ら帰って報告しろ」
 青柳は嘲るように言いました。
「たった六十人の女のために全滅させられたってね!」
 ほうほうの態で逃げ出す雑兵たちの背中を見て、女たちは歓声をあげ、さらに声を揃えて鬨(とき)を作ったのでした。

「ぜ、全滅だと!」
 逃げ帰った雑兵たちの報告に、執権義時は青ざめました。板東武者三百が、六十の女たちに潰された……。都に鎌倉の武威を示すどころか、大恥をかいてしまったのです。
 しかも、女盗賊たちは、討ち取った武者たちの屍を山麓の河原にさらしました。その多くは睾丸を潰されていました。男としてもっとも屈辱的な死に方です。
 義時は、再び御家人を召集して協議しましたが、今度は打って変わって、みな尻込みし、出陣を申し出る者はおりません。はるばる都まで来て、女に睾丸を潰されてはかなわない。武者たちの思いは一つでした。
 一方の亀菊は、大満足です。椋橋の局で、物見に行かせた女房の報告を聞き終わった亀菊は、女房を下がらせた後、
「玉桐(たまぎり)」
 と傍らに坐る、二十前の女に語りかけました。童顔ながら、ぽってりとした唇に大きな眼の美少女です。
「もうそろそろ、お前の出番だね」
 そう言いながら、亀菊はぴたりと玉桐に身を寄せ、白い右手を袖から忍び込ませ、やわやわと豊かにみのった胸乳を愛撫しはじめました。玉桐もそれに応えて亀菊の唇に自分の唇を重ね、股間に手を差し入れます。
「そこで大手柄をたててちょうだい。やがてお前とあたしが、この国を牛耳る事になるのだから」
 快楽に喘ぎつつ、亀菊はそう、玉桐に囁きかけました。
 翌朝。
 目を覚ました亀菊は、傍らに裸で臥したまま寝息をたてる玉桐を見下ろしつつ、手を叩いて女房を呼びました。湯を張った盥を運んできた女房たちに体を拭かせ、着衣をすませた亀菊は、ふと、大路の方から聞こえてくる歓声に耳を止めました。
「あれは何?」
 そう問うと、女房は、
「鎌倉勢の出陣です」
 と答えました。
「え!」
 亀菊は驚きました。金剛山で三百の鎌倉勢が、ことごとく睾丸を潰されて全滅した知らせが届いてから、鎌倉方は意気消沈しているものとばかり思っていたからです。
 亀菊は急ぎ、忍びで出かける装束を用意させ、ひとり、都大路に飛び出しました。大路には大勢の人だかりが出て、湊川へと向かう軍勢に声援を送っています。
 その先頭を行くのは、美々しい甲冑を身につけ、赤い領布(スカーフ)を肩に巻いた女武者でした。それに続く百余の兵も、みな女です。
 言うまでもなく、二鞭の芍薬率いる鎌倉女武者所の女兵たちでした。

 しばし後、金剛山。
 山頂に構えた砦では、花殻の妙達と、青嵐の青柳が、ちょうどお昼の最中です。そこに、
「妙達の姉さん」
 と入ってきたのは、都に物見に行っていた人寄せの友代です。
 友代は、妙達とは甲斐にいた頃からの友人で、その後、信濃の安計呂山に籠もって山賊稼業をやっていましたが、妙達が金剛山に籠もった事を聞き、仲間の億乾通(おけんつう)のお犬ともども、部下を連れて金剛山にやってきたのでした。
「おかえり、都はどんなだった?」
 妙達が問うと、友代は、
「また、寄せてくるよ」
「鎌倉勢が、かい?」
「うん」
「懲りずに、また来たんだ」
 青嵐の青柳が苦笑しました。
「命知らずね。今度は何人くらい? 三百、五百?」
「それがねえ……」
 友代は言いました。
「きんたまついてない兵が、六十人ほど」
「え!」
「たったの?」
 妙達と青柳は驚きました。友代は説明しました。
「今回、鎌倉将軍は、御台所の警備にあたる女武者所の女武芸者を連れてきてるんだ。そのうち六十人が選ばれたみたい。前に来た連中がきんたま潰されちまったものだから、きんたまついてない軍勢を鎌倉は送るつもりだって、都の連中が噂してるよ」
「ふーん、大将は誰?」
「わかんない」
「青柳さん、どうする?」
 妙達は、青柳に訊ねました。
「どうするもこうするも、来た相手は追い払わなくちゃだめよ」
 青柳は笑って答えました。
「まずは、きんたまついてない板東武者の、お手並み拝見といきましょ」

 翌日。
 金剛山の麓に、芍薬率いる六十騎の鎌倉勢が到着し、陣地を布きました。
「ふうん」
 物見櫓にあがり、新たな敵の布陣を見ていた青柳が、感心したように呟きました。
「どうしたの?」
 並んで見ていた妙達が問うと、青柳は、
「今度の相手は、手強(てごわ)いかもしれないわね」
 と言い、陣地を指さします。
「わたくしも多少、兵法を囓(かじ)ったことがあるけれど、あの陣の布き方は理にかなっているわ。六十の兵力をうまく分散させて、わたくしたちが、別働隊を出して背後から襲わせないようにしている。これだけ隙のない布陣をした相手は、今までいなかった」
「そうなんだ……」
「しかも、大量の兵糧を持ち込んでいるわ。おそらく、わたくしたちをこの山に閉じこめて兵糧責めにし、山を下りて討ってかかるのを待つ戦法よ」
「じゃ、どうする?」
「もし、武芸の腕が互角だとしたら、残念ながら、このままだとわたくしたちの負け。何か策を講ずるしかないわね」
「策って?」
「それを決める前に、まずは相手の力量を確かめましょう」
 そう言って青柳は物見櫓を降り、みなを集めて言いました。
「これから山を下りて相手を攻める」
 青柳はそう言い、それから付け加えました。
「ただし、絶対に深追いはしないでね。わたくしが合図の太鼓を叩くから、それが聞こえたら、すぐに戦うのをやめて山に入りなさい。そして山道の木戸を固く閉めて、敵を入れないようにして」
「すぐに山に帰るんですか?」
 億乾通のお犬が問いました。
「たとえ勝っていても?」
「今度の相手は、侮れないわ」
 青柳は言いました。
「まずは小手調べよ。深追いは厳禁します」
 一方。
 布陣を終え、金剛山を見上げていた芍薬は、
「これは、手強そうだわ」
 と呟いていました。
「砦の配置、物見櫓の建て方、山を囲む柵、出入りを制限する木戸。どれも、理にかなった作り方をしてる。これまでの追討軍が返り討ちにあったのも、無理はないわね」
 その時、山を見張っていた兵が叫びました。
「敵が、動きはじめました!」
 よく見ると、山を覆う木々の間に、ひとが動いて移動しているのがかいま見えます。
「全員、備えよ!」
 二鞭は馬に跨りました。同時に陣幕(テント)から兵たちが飛び出して来て、あっという間に整列したのです。
「打ち合わせ通りに動くのよ!」
 そう叫んで、芍薬はじっと待ちました。相手が出てくるのを。
 果たして、吶喊(とっかん)の声とともに、山道から一気に六十の騎馬隊が駆け下りてきました。列を揃えて、芍薬の陣に突入してきます。
「かかれ! 車掛(くるまがかり)の攻めだ!」
 芍薬は、隣に並んで乗馬した女兵に目配せしました。女兵は、首からかけた太鼓を三度、打ち鳴らしました。
 六十騎の鎌倉勢は、五騎ずつ組になり、先頭駆けてくる金剛山勢の騎馬武者に、五対一の形で襲いかかりました。たちまち、金剛山勢のうち、十騎ばかりが馬から打ち落とされます。それに構わず、鎌倉勢は、さっと横に移動し、今度は、脇をつく形で金剛山勢を襲います。
 打ち鳴らされる太鼓に合わせ、あまにも鮮やかな駆け引きを見せる鎌倉勢に、金剛山勢は混乱に陥りました。
「危ない!」
 青柳は、傍らの妙達に叫びました。
「すぐに退くわよ!」
 そして合図の太鼓を叩かせました。後方に位置していた金剛山勢は戦場を抜け出すことができましたが、約半数は馬から打ち落とされ、敵に囲まれて右往左往するばかり。
 山道の木戸を閉め、なんとか山頂の砦に辿り着いた妙達と青柳が確かめると、六十騎のうち二十五騎がおりません。そのなかには、幹部である億乾通のお犬も含まれています。
 物見櫓に登って見下ろした青柳は、呻きながら感嘆の声をあげました。
「凄いわ……」
 見ると、お犬はじめ二十五騎の味方は、誰も殺されず、全員、捕虜になっていました。後ろ手に縛られて並ばされ、敵将の謁見を受けております。
「お犬はじめ、あれだけ剛の者たちを、誰一人殺さずに捕まえるなんて、そうとう鍛えられた集団よ」
「で、どうする?」
 妙達は問いました。
「このままだと、青柳さんが言うとおり、兵糧責めにあうばかりだよ」
 金剛山には、女兵よりも多くの、不幸な境涯の女たちが身を寄せているのです。倉を調べると、持ってせいぜい一月。
 しかも、友代によると、都にはまだ二百近い女武者が待機しているそうです。加勢が来たら、ひとたまりもありません。
「こうなったら、援軍を頼むしかないわね」
 と青柳が心を決めたように言いました。
「援軍ってどこに?」
「そうねえ……」
 青柳は、交流のある近隣の山賊集団を脳裡に浮かべましたが、今の鎌倉勢に立ち向かえるとは思えません。
 すると、
「あ、そうだ!」
 と傍らで友代が手を打ちました。
「妙達姉さん、甲斐であった女武芸者に、衣手って若い娘がいたでしょ」
「ああ、人を探してた娘ね」
「あの娘、いま、梁山泊にいるって噂を、都で聞いたよ!」
「梁山泊?」
 青柳は眼を輝かせました。

 数日後。
 梁山泊の砦の一室で、小蝶を囲んで呉竹、節柴、そして大箱の首脳陣が会議を開いておりますと、衣手が一人の女を連れて入ってきました。
「お取り込みのところ申し訳ありませんが、火急の用なので」
 旅姿の女は、髪の毛は乱れほうだい、着衣は垢にまみれ、不眠不休でやってきた事が窺えます。
「はじめまして。金剛山を根城にしている人寄せの友代と申します」
 そう、梁山泊に現れたのは、金剛山を抜け出してきた友代だったのです。衣手も口添えしました。
「あたしの古い知り合いです。信頼できる方です」
 小蝶は問いました。
「どうしました?」
 友代が経緯を説明すると、呉竹が言いました。
「そういえば、鎌倉幕府に女武者所が設けられ、二本の鞭を揮う優秀な女武芸者が指導していると聞きました。率いているのは、その女武芸者でしょう」
「どうします?」
 節柴が小蝶に問いました。
「金剛山は、梁山泊や、わたくしが佐渡に作っていた別天地と同様、不幸な女たちが身を寄せていると聞きます。志を同じくしている方々を、見殺しにはできません」
「行きましょう」
 小蝶は立ち上がりました。
「援軍は、わたくしが率います」
「え?」
 驚いたのは大箱です。
「小蝶さん自ら、出陣されるのですか?」
「はい。呉竹さんは軍師として一緒に来て下さい。編成は任せます。それから、わたくしの留守中の差配は、大箱さんと節柴さんにお願いします」
「わかりました。ただ……」
 節柴が問いました。
「なぜ、小蝶さん自ら軍を率いられるのか、教えていただけませんか? そうでないと、何かあった時、策を練ることができません」
 何かあった時。
 その言葉に、大箱の脳裡に、小蝶に言われたことが蘇りました。
 わたくしに何かあったら、必ず、わたくしの代わりに梁山泊を指揮してください……。
「そうね」
 小蝶は言いました。
「ここだけの話ですよ。わたくし、その二本鞭の女武芸者も、できれば味方になっていただきたいのです」
「え?」
 大箱は眼を丸くしました。
「味方に、ですか?」
「ええ」
 小蝶は頷きます。
「友代さんのお話を聞くと、その方は、優秀な武芸者であるだけでなく、卓越した兵法家であり、何より聡明で慈悲深い方のようです。ぜひ梁山泊にお迎えしたい人材です。もし梁山泊に来られなくても……」
 固唾を呑む幹部たちに、小蝶は続けました。
「せめて、わたくしたちの意志をお伝えしたいのです。志を同じくする方が、鎌倉にもいるならば、わたくしたちの理想は大きく前進しますわ」
 翌日。小蝶は、人寄せの友代を一足先に梁山泊に返しました。少しでも早く援軍到来を知らせ、金剛山の戦意を上げさせたかったのです。(八編・了)

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