金蹴り超訳・傾城水滸伝
九編 双鞭の芍薬の巻
九編之壱
小蝶は金剛山に出陣し、
芍薬はこれを迎え撃つ
金剛山から助勢を依頼する使者、人寄の友代(ともよ)が梁山泊に現れて以来、二日がかりで戦備を整えた梁山泊軍は、三百の兵を率いて出発しました。
編成は、以下の通りです。
総大将 夜叉天王の小蝶
軍 師 智慧海の呉竹
先陣の将 旋風の力寿 浮潜龍の衣手
中軍の将 虎尾の桜戸
後詰の将 赤頭の味鴨
それから数日、大箱(おおばこ)は、節柴(ふししば)と力を合わせて、梁山泊の運営に専念しました。節柴が佐渡で培(つちか)った経験を、大箱が、梁山泊の人員や備蓄物、自然環境にあわせて具体化していくのです。
金剛山からは、次々と使者が派遣され、戦況報告がもたらされました。
それによると、梁山泊軍はうまく迂回して、金剛山を囲む鎌倉勢の背後に回り込み、挟み撃ちする布陣を取ることができたそうです。
「さすが、小蝶(こちょう)さんだわ」
「呉竹(くれたけ)さんの作戦もよかったのでしょうね」
節柴と大箱がそう言い合っているところに、戦場から戻ってきた幹部がおりました。後詰の将として従軍したはずの、赤頭(あかがしら)の味鴨(あじかも)です。
「あら、味鴨さん」
出迎えた大箱と節柴は驚きました。単なる報告ではなさそうです。
「人払いを」
と味鴨に言われ、節柴と大箱は、彼女を奥まった小部屋に導きました。
「実は……」
並んで坐った節柴と大箱に向かい合った味鴨が、口を開こうとしたとたん、その眼から涙が溢れ出しました。両手で膝を掴み、俯いています。
「悪い知らせですか?」
節柴が静かに問い、何があっても冷静さを保つように、というような目配りを、大箱に向けました。
「実は……」
味鴨は、声を絞り出しました。
「小蝶さんが、討ち死にされました」
「討ち死に……?」
大箱の唇から、その言葉が絞り出されるまでに、どのくらい時間がたったでしょう。
気が付くと、大箱は床に力なく座り込み、節柴と味鴨が、気遣わしげに大箱を覗き込んでいました。
「大丈夫ですか?」
節柴の問いに、大箱は気丈に背筋を伸ばして言いました。
「大丈夫です」
それから味鴨を見やって、
「詳しく、話してください」
と言いました。
味鴨は口を開きました。
……鎌倉勢を挟み込む形で背後の高台に布陣した小蝶は、旋風(つむじかぜ)の力寿(りきじゅ)を先陣に出撃させました。力寿は、手斧(ておの)を両手に構え、五十騎を率いて突撃しました。
芍薬(しゃくやく)が率いる女武者ばかりの鎌倉勢は、当初の六十騎から二百騎近くに増援されておりましたが、背後の金剛山からの攻撃を警戒して、同じ五十騎をもって力寿に当たらせ、百五十は後詰めに温存していました。
力寿は手斧を振るってて敵を追いましたが、巧みにかわされ、やがて、五人一組で太鼓に合わせて自在に移動する鎌倉勢に振り回され、何もできぬまま、小蝶の合図に従って引き上げました。これを見た鎌倉勢も深追いせずに兵を退き、再び両軍は膠着(こうちゃく)状態になったのです。
高台の自陣に戻って来た力寿は、
「もう、やだぁ!」
と馬から降りるなり、吐き捨てるように怒鳴りました。
「あいつら、逃げたと思って追い掛けていくと、いつの間にか、背後から新手が襲ってくるし、振り回されっぱなしだよ。ああ、いらいらする!」
「どうです、呉竹さん」
高台から戦況を見下ろしていた小蝶は、軍師に訊ねました。
「予想以上ですね」
呉竹は溜息をつきました。
「布陣もさることながら、太鼓に合わせて五人一組での駆け引きの見事さ。よほど優秀な将が鍛え上げたのでしょう。迂闊に攻撃すると、こちらも深手を負いかねません」
「とはいえ、手をこまねいているわけにもいかないでしょう」
小蝶は言いました。
「金剛山にのろしをあげてください。明日、全軍でもって敵を挟み撃ちにします。接戦に持ち込むのではなく、取り囲んで弓で勝負するようにしては、いかがですか」
「それしかないでしょうね」
呉竹は頷きました。
翌日。法螺貝が吹かれ、それを合図に、梁山泊軍と金剛山勢は、一気に鎌倉勢に攻めかかりました。接近戦に持ちこまず、遠巻きにして弓矢で攻めるという策は功を奏し、互角の戦いが続いたのです。
小蝶と呉竹は、高台の陣から戦況を見つめていました。
「互角の勝負には持ちこみましたが、敵も見破って、これに合わせて巧みに動いています。これ以上続けても、決着はつきません」
呉竹は提言しました。
「ここは一旦、引き上げるべきかと」
「そうね」
小蝶は頷きました。
「引き上げの貝を鳴らしなさい」
法螺貝の音が戦場に響きわたったその時。
背後から、ひゅうと音を立てて矢が飛んできました。
その矢は、小蝶の延髄に突き刺さったのです。小蝶は、俯せに倒れました。
「小蝶さん!」
呉竹は膝を折って、倒れた小蝶に駆け寄りました。矢は、深々と喉まで貫通し、小蝶はすでに絶命していました。
呉竹は眼を見開いて小蝶を抱きしめ、しかし軍師としての冷静さを失わずに叫びました。
「味鴨さん!」
後詰に控えていた味鴨を呼びました。走ってきた味鴨に、
「背後に敵がいます! 追い掛けてください!」
と告げました。味鴨は、倒れた小蝶の姿に驚き悲しみながらも、背後の森に潜んだ敵に配下を率いて突進しました。
森に潜んでいたのは、男武者とその郎党たちでした。金剛山を囲んだ芍薬率いる女武者所の善戦を妬み、女だけに手柄を立てさせてなるものかと、勝手に押し寄せてきた連中だったのです。
小蝶を射た矢には「豊島時頼(としまのときより)」と名前が彫ってありました。板東武者は、自分の矢で敵を倒したことを証明するため、名前を刻む風習があったのです。
味鴨は、森に潜んでいた豊島時頼率いる百余の兵を攻め立て、多くを討ち取りましたが、肝腎の豊島時頼は、あと一歩のところで逃してしまいました。
その間に、呉竹は味方を陣地に引き上げさせ、金剛山勢も山に戻りました。鎌倉勢はまたも深追いせず、さらなる膠着状態に陥ったのです。
……話し終えて味鴨は、涙を流しながら言いました。
「わたくしが、後詰の将として控えていながら、背後から襲ってきた敵に気づかなかったばかりに、小蝶さんを討ち死にさせてしまいました。申し訳ありません、死んでお詫びします!」
そう言って抜刀し、自らを刺そうとする味鴨に、
「だめです!」
と叫んで抱き付いたのは、大箱でした。
「誰も死なせたくありません!」
そう叫んで大箱は口を噤みました。やがて味鴨は刀を取り落とし、嗚咽し始めました。
しばし流れた沈黙を破って節柴が口を開きました。
「今は、軍を退くしかありませんね」
「そうですね」
大箱は静かに答え、節柴は続けました。
「味鴨さん、辛いでしょうけれど戦場に戻って、呉竹さんに伝えてください。なるべく犠牲を出さないような形で梁山泊に戻るように、と。できれば、金剛山の方々も一緒に」
そう言われて味鴨が、大箱を見やると、大箱は、思い詰めた面差しながら、顎を動かして頷きました。
「わかりました」
味鴨は、唇を噛みしめ、言いました。
「すぐに湊川に戻って、呉竹さんに伝えます」
味鴨が去ろうとするのを「まだ、ここにいてください」と押しとどめ、大箱は静かに呉竹に言いました。
「ただ、逃げるだけでは、だめですよね」
「そうですね」
節柴は言いました。
「梁山泊が負けたという印象を世間に与えることは、後々の妨げになります」
「二本鞭の女将を討ち取ればいちばんいいのでしょうけれど、恐らく無理ですよね」
「そうでしょうね」
「では、小蝶さんの仇を取るしかありませんね」
そう言って大箱は、唐崎(からさき)の漁師三姉妹、二網(ふたあみ)、五井(いつつい)、七曲(ななまた)を呼びました。
「お呼びですか〜」
相変わらず呑気そうな声音で現れた十九、十七、十五歳の三姉妹に、大箱は言いました。
「あなた方にお願いがあるの」
沈鬱な面差しの大箱に、三姉妹はさすがに面差しを引き締めました。その三姉妹に、大箱は、小蝶を射た矢を差し出し、
「この男の首を取って、持ち帰ってください」
と言いました。
「これは?」
「矢ですね」
「名前が彫ってあるんですね、誰ですか?」
賑やかにおしゃべりする三姉妹に、大箱は言いました。
「その矢が、小蝶さんの命を奪いました」
三姉妹の体が硬直し、見開かれた眼がいっせいに大箱に注がれました。大箱は呻くように言いました。
「この件は内密に。詳しくは、味鴨さんから話を聞いてください」
「あの……」
二網が、感情を破裂させそうな妹たちを代弁して問いました。
「あたいたちを呼んだということは……」
しゃくりあげようとするのをこらえつつ、二網は続けました。
「あたいたちに、小蝶さんの仇(かたき)を取れって事ですよね?」
「そうです。味鴨さんと一緒に」
短く答えた大箱を、三姉妹と味鴨はしばし見つめ、目配せをかわしあった後、味鴨が背筋を伸ばして答えました。
「必ず」
三姉妹と味鴨が去った後、大箱は虚空を見つめながら、節柴に問いました。
「これでよかったんですよね?」
「ええ」
節柴は、大箱の肩に手を置いて言いました。
「完璧でした」
そう言われるなり、大箱の脳裡は真っ白になり、そのままくずおれてしまったのです。
「そうか、一矢報いたか」
芍薬たち女軍が、梁山泊軍や金剛山勢と対峙し続けるなか、戦場から戻ってきた豊島時頼から、首領らしい女を弓で討ち取ったと聞いた執権義時は、首を持ち帰ることができなかった事に不満げそうではありました。都大路に女賊の首をさらし、板東武者の武威を示すことができなかったからです。
それでも、首領を討ち取ったという噂を流せば、これまでの汚名を若干でも雪(そそ)ぐことができるでしょう。
「大義であった。今日は、これで楽しめ」
と褒美として銀を遣わしたのです。
有り難く受け取った豊島時頼は、配下の郎党三名を連れ、都に繰り出す事としました。花街に向かい、さてどの店にしようかと遊女たちを物色していた時頼たちの袖を引いたのは、六十がらみの老女です。
「お武家さま、珍しい赤毛の女はいかがですか?」
「赤毛?」
遣り手婆と呼ばれる客引きの老女が指さす方を見れば、薄い絹をまとい、若々しい肌が透けて見える赤毛の娘が、媚態(しな)を作ってこちらを見つめております。
「赤毛とは面白いな、それに美しい。婆、どこの店だ?」
「店ではなく、舟遊びです」
「それも一興だが」
時頼は、三名の郎党を見回して言いました。
「こいつらにも、それぞれ美女をあてがってくれるのだろうな」
「それはもちろんですとも」
見ると、赤毛の娘の背後に、同じように薄絹で肌を見せる美少女が三人、控えております。郎党たちも眼を細めてにたにた笑い。
豊島時頼たちが、婆に導かれるまま河原に出ますと、大きめの舟が岸に繋がれていました。屋根がつけられ、提灯がたくさん下がっており、船底には酒や御馳走が用意されております。
「ではごゆっくり」
時頼らや女たちが舟に乗り込むと、遣り手婆はどこかへ行ってしまいました。
赤毛の娘が時頼に酌をする間、他の三人の娘が巧みに櫂を使い、舟を川の真ん中に漕ぎだし、碇(いかり)を降ろしました。舟を操る三人娘のお尻を、うずうずして見つめていた三人の郎党たちは、
「おい、あんまり待たせるな」
と、一人ずつ娘たちに背後から抱き付きました。
「やだぁ」
「くすぐったいよう」
「おじさん、すけべねえ」
その騒ぎに時頼、
「これこれ、わしもまだこの娘に触ってもおらぬに、お前ら、気が早すぎるぞ」
と笑って、赤毛の娘の肩を抱き、胸乳に右手を伸ばしたとき、
「ぐ……!」
時頼は眼を見開き、その動きを止めました。
赤毛の娘の手が、彼の陰嚢を鷲づかみにしていたのです。
「動くと、潰すわよ」
赤毛の娘は、笑みを消して時頼をにらみつけています。
「どうなさいました?」
一人の郎等が異変に気づいて振り向いた瞬間、
「ぎゃっ!」
「ぐふっ!」
「ぎ……ううう!」
郎党たちが悲鳴と呻きを挙げました。彼らが抱き付いていた三人の娘たちが、あるいは踵で蹴り上げ、あるいは後ろ手にひねりあげ、あるいは肱を打ち込み、それぞれ郎党たちの睾丸を痛めつけたのです。
同時に、娘たちは郎党の首を脇に囲い込み、川に飛び込みました。舟には、睾丸を鷲づかみにされた時頼と、赤毛の娘が残りました。
「な、何者だ……」
時頼は、呻きました。
「わしは、鎌倉の御家人豊島時頼だ。こんな事をして、ただではすまんぞ」
「知ってるわ」
赤毛の娘はぞっとするほど冷たい眼差しで言いました。
「わたくしは、梁山泊の幹部、赤頭の味鴨」
「り、梁山泊!」
「小蝶さんの仇を取らしてもらうわよ」
言うなり、時頼の鼻柱に肱を打ち込みました。鼻血を噴き出して船底に仰向けになった時頼の股間をつま先で蹴り、悶絶するところを頭部を蹴って失神させました。
失神した時頼を裸にし、屋形の柱に縛り付けておりますと、さきほど川に飛び込んだ娘たちが泳いで戻ってきました。言うまでもなく、二網、五井、七曲の三姉妹です。
「手はずどおり、やったよ」
と報告する二網に頷いた味鴨は、時頼の頬をひっぱたきました。苦しげに呻いて眼を開けた時頼は、自分を取り囲む四人の美少女を見て、恐怖に震えながら、
「た、助けてくれ……」
と泣きそうな声で嘆願します。
「そうはいくか」
と二網。
「小蝶さんを後ろから射た卑怯者。勘弁しないよ」
と五井。
「時間をかけてなぶり殺しにしてやるから、覚悟しな」
と七曲。
……翌朝。
鴨川へりの林のなかで、木に縛られた四人の男が発見されました。そのうち三人は睾丸を潰されて虫の息。一人だけは、睾丸を潰され、男根を切り落とされ、さらには首まで切られていました。むろん、豊島時頼と郎党たちです。近くの木の枝に突き刺さっていた時頼の首は、己が男根を口に詰め込まれ、苦悶の表情を浮かべておりました。
同じ朝。
金剛山は夜明けから季節外れの深い霧に覆われました。一寸先も見ることができません。
「油断しないでね」
芍薬は、味方に厳しく言いつけました。
「霧に乗じて攻めてくるかもしれないわ。その時は、同士討ちを避け、機敏に動くのよ」
やがて昼になって霧が霽れた時、芍薬が見たのは、もぬけの殻となった金剛山と、背後の高台でした。
梁山泊軍と金剛山勢は、霧に乗じて戦場を脱出したのです。その霧が、大箱の命令で戦場に赴いた雲間隠(くもまがくれ)の龍子(たつこ)が術を使って起こしたものであることは、言うまでもありません。
呉竹、桜戸、衣手、力寿、龍子、味鴨、唐崎の三姉妹ら梁山泊軍と、妙達(みょうたつ)、青柳(あおやぎ)、友代ら金剛山勢が梁山泊に戻ったのは、その翌日でした。
無言の帰還を果たした小蝶の遺体は丁重に葬られ、その墓前には豊島時頼の首が供えられました。そして、妙達、青柳、友代は梁山泊に入ることとなったのです。
新たな幹部人事は、このようになりました。
首 席 春雨の大箱
次 席 折滝の節柴
三 席 智慧海の呉竹
四 席 雲間隠の龍子
五 席 虎尾の桜戸
六 席 花殻の妙達
七 席 青嵐の青柳
八 席 赤頭の味鴨
九 席 旋風の力寿
十 席 浮潜龍の衣手
十一席 水慣棹の二網
十二席 気違水の五井
十三席 鬼子母神の七曲
十四席 野干玉の黒姫
十五席 戸隠の女鬼
十六席 越路の今板額
十七席 女仁王の杣木
十八席 天津雁の真弓
十九席 人寄せの友代
二十席 荒磯神の朱西
同じ頃、女武者所の二百騎と、捕虜とした億乾通(おけんつう)のお犬ら二十五人を連れて都に凱旋した芍薬は、尼将軍北条政子(ほうじょうまさこ)と御台所(みだいどころ)に謁見されました。
「申し訳ありません」
芍薬は頭を下げました。
「金剛山の賊を取り逃がしてしまいました」
「よろしいのです」
政子は優しい笑みを浮かべて言いました。
「板東武者三百騎を全滅させた相手に、よくぞひけを取らずに戦いました。さらに加勢に来た梁山泊軍に挟み撃ちされながら、つけいる隙を与えなかったとか。見事です」
恐縮して頭を下げた芍薬に、政子は問いました。
「何か、望むものはありますか」
「いえ何も……、あ、いや」
一度は首を横に振った芍薬は、考え直して言いました。
「捕虜とした女たちの助命をお願いします」
「賊どもを、か?」
「賊とはいえ、なかなかの剛の者たち。ぜひ、女武者所に迎えたいのです」
「それはよいが、あの女たちは承知しているのか?」
「お犬という者が拒否しておりますが、説得します」
「わかった」
尼将軍政子は頷き、御台所に向かって言いました。
「お前たち女武者の働きに引き替え、男武者どもは失態続き、恐らく執権殿も聞き入れるしかありますまい」
「お願いします」
と頭をさげた御台所は、芍薬に顔を向けて問いました。
「ところで、梁山泊軍はいかがでした?」
「立派でした」
芍薬は即答しました。
「立派?」
「はい、戦いぶりも卑怯なところがなく、恐らく日本最強です」
「そうですか」
「また、戦いたい……」
芍薬は微笑みました。
「そんな相手でした」
九編之弐
鎌倉幕府は五千の兵を梁山泊に送り、
呉竹は夕轟の打出を起用する
それから程なく、将軍実朝、尼将軍政子、そして御台所は鎌倉へと帰っていきましたが、芍薬はそのまま百五十の兵とともに都に残り、幕府の出張機関ともいうべき六波羅決断所の預かりとなりました。
「伊賀尼さま」
その朝、芍薬は、別当である伊賀尼に呼ばれました。奥座敷に招かれ、お辞儀をした芍薬に、
「鎌倉から早馬が来ました」
伊賀尼は告げました。
「明後日、北条泰時殿、安達景盛殿が五千の兵を率いて都に入ります」
「五千?」
芍薬は訝しげに問いました。
「わたくしが要請したのは……」
「分かっています」
伊賀尼は、苦々しげな面差しで言いました。
芍薬は、鎌倉へ出発した尼将軍政子に、鎌倉に残った女武者所の女武芸者二百五十のうちなるべく多くと、出来れば安蛇子を都に遣わしてほしいと頼んでいたのです。
ところが、実際に派遣されるのは男の板東武者五千というではありませんか。
「内々に伝えられたところでは、執権北条義時殿は、あなたが捕らえた二十五の捕虜を女武芸所に入れるのと引き替えに、男武者の派兵を主張し、ほとんどの御家人が賛同したということです」
男尊女卑を剥き出しにした鎌倉御家人の面々を思い浮かべ、芍薬は顔をしかめました。
そのくせ、せいぜい五百の兵力しかない梁山泊を、十倍の数で攻めようというのですから、内心の怯えが伺えて語るに落ちると、芍薬は呆れました。
「で、あなたは、総大将泰時殿の側近くに控えて、総大将をお守りすると同時に、先に戦った経験をもとに、いろいろと献策せよとの事です」
「では……」
芍薬は言葉を失いました。彼女も、女武者所の兵も前線から遠ざけられる事になったのです。そこまでして、男武者どもは功名手柄を女から奪い返したいのでしょうか。
「おまえの気持ちは分かる」
伊賀尼は、悲しげに言いました。
「でも、これは御所さまのご命令。自重して従いなさい」
二日後。
五千の兵を率いて北条泰時が上洛し、その宿所となった六波羅決断所に主だった武将を連れて入ってきました。出迎えた伊賀尼と芍薬に挨拶すると早速、軍議が開かれました。
「芍薬」
泰時は、末座に座らされた芍薬に声をかけました。
「梁山泊相手に戦ったおまえの意見を聞きたい」
「はい」
芍薬は席を立ち、不機嫌そうに居並ぶ御家人たちの眼差しに晒(さら)されながら、泰時の前に進み出て坐りました。
泰時は穏やかに問いました。
「まず、思うところを自由に述べてくれ」
「よいのですか?」
芍薬は左右を見回して一度咳払いし、それから口を開きました。
「今のままでは、全滅です」
御家人たちがどよめきました。泰時は手をあげて周囲を制止して黙らせ、問いました。
「なぜ、そう思う」
「あなたたちの戦いは、戦功を焦るあまり、てんでばらばらに相手に襲いかかるだけです。まるで戦術というものがありません。一方、梁山泊勢は統制がとれていて、指揮官の采配に従って動きます。しかも、一人一人は板東武者十人にも勝る勇者揃い。勝てるはずがありません」
「ば、馬鹿な!」
御家人の一人、愛甲季経(あいこうすえつね)が立ち上がって怒鳴りました。
「梁山泊の女どもが、われら板東武者十人に当たるだと? そんなはずがあるものか。今の言葉、取り消せ!」
「実際、三百の板東武者は、わずか六十の金剛山の女たちに全滅させられました!」
その事実に御家人たちが押し黙るなか、芍薬は愛甲に眼もくれず、泰時に向かって言い続けました。
「わたくしが率いた女武者所六十騎は、同数の金剛山の相手に打ち勝ち、半数近くを捕虜にしています。そのわたくしたちと、梁山泊勢は互角でした。この事実を逆算すれば、あなた方の力は、梁山泊の十分の一くらいに見積もるべきです」
「ああ、わからん事を言うな!」
再度の愛甲季経の怒号につられるように、算術などできない野卑な御家人たちは、口々にわめきはじめました。
「無礼なやつ、斬り殺してしまえ!」
「待て!」
北条泰時が御家人たちを制止し、芍薬に問いました。
「では、われらに勝ち目はないと言うのか?」
「あります」
芍薬はすました顔で言いました。
「これから一月の間、わたくしの調練を受けてください。そうすれば、多少勝ち目が出てくるかもしれません」
「なんだとぉ!」
愛甲は逆上し、腰の刀に手をかけました。今にも抜刀して斬りつけそうな勢いです。
「まあ、待て。愛甲どの」
芍薬と愛甲との間に立ちふさがったのは、安達景盛です。温厚な安達は、愛甲を宥めて言いました。
「わしは、女武者所の調練を見たことがあるが、実に見事なものだった」
「だから、なんだ!」
「これから十日後に、わが安達勢と、愛甲どのの兵とで、模擬戦をやるのだ。わしは芍薬にわが兵を預け調練させる。それで、わが安達勢が勝てば、どうか芍薬に全軍の調練をまかせてほしい」
「いいだろう! もしわが愛甲勢が勝てば、どうしてくれる?」
「芍薬に調練はさせない」
「それですむか! この女は、われら板東武者十人が、梁山泊の女一人と同等だと抜かしたのだぞ!」
「もし、安達勢が負ければ……」
芍薬は立ち上がりました。
「わたくしは、あなたの言いなりになります」
愛甲は口を噤み、御家人たちも息を呑みました。芍薬は静かに言いました。
「焼くなり煮るなり、お好きにどうぞ」
そして十日後、都の郊外の原っぱで、芍薬が差配する安達勢と、愛甲勢の模擬戦が行われました。武器は、布で刃をくるんだ刀や薙刀、鏃を外した矢が用いられますが、後は通常の戦闘と同じです。
結果は言うまでもありません。芍薬の調練の結果、五騎一組でそれなりに統率のとれた動きを見せるようになった安達勢は、個々の武者がてんでばらばらに戦う愛甲勢の敵ではありませんでした。安達側の圧勝でした。
その頃、梁山泊。
大箱と呉竹が並んで広場を歩いておりますと、
どーん!
すぐ近くで爆発音が響き、濛々と黒煙があがりました。
「きゃあ!」
大箱は両手で耳をおおってしゃがみこみ、呉竹は黒煙のあがる方を見て、
「また、打出(うちいで)ね……」
と眉をしかめました。広場の隅に立った小屋から火の手があがり、煤(すす)で真っ黒になった小柄な丸顔の少女が、ころがるように出てきました。
「打出さん……」
呆然と突っ立って燃え上がる小屋を見つめる打出という少女に近寄って、ぽんと肩に手を置いて、呉竹は声をかけました。
「また、実験に失敗したの?」
「ううう……おかしいなあ……」
打出は、髪の毛をかきむしりながら言いました。
「薬の調合もうまくいったし、今度こそ成功するはずだったんだけど……」
「いったい、何事ですか?」
やっと立ち直った大箱が、どきどきする胸を手で押さえながら問うと、呉竹が説明しました。
「この娘、打出という名ですが、別名、夕轟(ゆうとどろき)の打出と言いまして、一昨日、わたくしが都で出会って連れ帰ったのです。大原の山奥に住んでいるのですが、夕方になるど、どーんどーんと音が轟くので、夕轟の打出というわけです」
「さっきみたいな音が、ですか?」
「はい」
「いったい、なんの実験なんですか?」
大箱は泣きそうな声で言いました。すると少女は立ち上がり、得意げに背筋を伸ばして言いました
「てっほう、です」
「てっほう?」
「ええ、あたし、蒙古で見たんです」
「蒙古??????」
「はい、あたし、博多の商人の家に生まれて、幼い頃からお父ちゃんの船に乗せてもらって外国に出かけていたんですが、ある時海賊船に襲われて、蒙古に売り飛ばされちゃったんですよ。さんざん苦労して、こないだやっと日本に帰ってきたんですが、蒙古にはてっほうという武器がありまして、土器(かわらけ)の壺に火薬を詰め、導火線に火を付けて投げつけると、敵の足下で爆発して吹き飛ばしちゃうんです。あたい、これをなんとか自分の手で完成させて売り出せば儲かるんじゃないかと思って、大原の山奥で実験していたんですが、失敗続きでしてぇ、そこに呉竹さんがやってきて、あたしの話を聞いてくださって、じゃあ、梁山泊で研究を続けろとおっしゃっていただいたんで、ここでこうやって実験してるんですよ〜♪」
「研究を続けるということは、毎日夕方になると、この爆発音を聞かなきゃならないって事ですか?」
大箱が青い顔で問うと、打出という少女は、ますます胸を張り、
「大丈夫! 今度は成功させます!」
「え、えええええ!」
大箱が眼を白黒させていると、節柴が走ってきました。
「大箱さん、すぐに来てください」
「なんです?」
「鎌倉勢が梁山泊に向けて進撃を開始したと、都の友代さんから報せがありました」
人寄せの友代は、地獄耳と人脈造りのうまさを買われて、都で情報収集にあたっているのです。節柴は続けました。
「総勢五千、とのことです」
「五千といっても、きんたまついてる連中でしょ」
軍議の席で、青嵐の青柳がそう言って、みなを笑わせました。
「猪武者どもをこの要害に引き入れて、皆殺しにしてやりますよ」
「ただ、気になる事が一つあります」
と呉竹が言いました。
「友代さんによると、五千の兵は確かに男武者ばかりですが、どうもなかに一人、女が混じっているかもしれないというのです」
「女が一人?」
「見間違いかもしれませんが、もしそれが、あの芍薬だとしたら侮れませんね」
とりあえず、梁山泊軍は兵二百を出して、都と近江の境を流れる瀬田川で鎌倉勢を迎撃することになりました。編成は以下の通りです。
総大将 春雨の大箱
軍 師 智慧海の呉竹
先 陣 水慣棹の二網 気違水の五井 鬼子母神の七曲
中 陣 虎尾の桜戸 青嵐の青柳
後 詰 浮潜龍の衣手 花殻の妙達
大河を挟んでの戦いです。渡河中の相手を少しでも減らすため、先陣には唐崎三姉妹ほか水練の得意な者が選ばれました。渡河に成功した相手と戦う中陣に、血気盛んな衣手や妙達ではなく、冷静な知将である桜戸、青柳を宛てたのは、勢いよりも相手の出方を読むことを重視したからです。また、後詰には、芍薬と戦った事のある妙達が控えました。
瀬田川に着くと、まだ鎌倉勢は到着していませんでした。布陣を整えるとともに、瀬田川に架かっている唐橋の橋板を外して通れなくしました。
やがて、鎌倉勢も姿を現しました。五千の大軍で幅三町(約三百メートル)の川の向こう岸は、陣幕や旗指物が林のように並び、馬が盛んにいなないております。
「かかれ!」
総大将、北条泰時の合図で、鎌倉勢の先陣約二千が、一斉に川を渡りはじめ、馬を泳がせる者、筏(いかだ)に乗った者などで、瀬田川は埋め尽くされました。
梁山泊軍は盛んに矢を射かけ、さらに唐崎の三姉妹に率いられた水練に達者な女たちが、縦横に泳ぎ回って敵を攪乱しました。水中で相手の馬を刺し、振り落とされた武者の睾丸を掴んで潰したり、筏をひっくり返したりしたので、鎌倉勢は混乱に陥りましたが、それでも千人以上の武者が向こう岸に辿り着き、梁山泊軍に向かって突進しました。これを迎え撃つのは、桜戸と青柳率いる騎馬隊です。
「これは、いけないわ」
戦況を観察するために立てた櫓から戦況を見守っていた呉竹は、呻くように言いました。
桜戸、青柳の二将の奮戦で多くの板東武者が倒れましたが、鎌倉勢の動きはこれまでとまったく違っていました。五騎が一組になり、後方から鳴らされる太鼓の合図で縦横に動き、次第に梁山泊軍は劣勢になりつつあったのです。
「あれだ!」
呉竹の隣で見ていた妙達が叫びました。
「あの五騎一組の動きに翻弄されたのよ」
「やはり、芍薬ですか」
呉竹が問うと、妙達は頷きました。
「金剛山で戦った時ほど訓練されてはいないけれど、基本的には同じです」
「では、ここは一旦退きましょう」
呉竹は、初めての戦場にあって緊張した面差しで震えながら立ちつくしている大箱に建言しました。
「妙達さんに敵の脇腹を突いてもらい、その間に退却するのです」
「あ……そうですね……」
大箱は、唾を飲み込んで言いました。
「そうしてください」
妙達が数十騎を率いて敵に襲いかかり、一瞬相手が怯んだ隙に、退却の太鼓が鳴らされ、梁山泊軍は、敵に背を向けて逃げ出しました。
「今だ」
鎌倉勢の総大将、北条泰時が叫びました。
「一気に総攻めだ!」
「いけません!」
その隣で芍薬が止めました。
「深追いは危険です。すぐに兵を退かせてください!」
泰時は聞き入れ、退却の太鼓が鳴らされました。しかし、勢いに乗った鎌倉勢数百が命に背いて追撃し、川岸から十町(約一キロ)のあたりまで駆けた時、
「うわっ!」
「なんだっ!」
そこかしこで武者たちの悲鳴と馬のいななきが聞こえました。そこらじゅうに落とし穴が仕掛けられ、仕込んだ竹槍で多くの武者が串刺しになったのです。混乱のさなか、後詰の妙達と衣手の一隊が襲いかかり、追撃した数百は全滅してしまいました。
鎌倉勢は、千に近い兵を失いました。
一方の梁山泊軍は、死者は出しませんでしたが、多くが傷を負って梁山泊の砦まで退却したのです。
梁山泊に戻った大箱は、幹部を集めてさっそく軍議を召集しました。
「相手は自信を得たはずです」
呉竹は言いました。
「退却の合図を無視して追撃してきた連中を全滅させた妙達さん、衣手さんは見事でしたが、これで鎌倉勢は、芍薬の指図に背くことはなくなるでしょう。次はもっと手強い相手になると思った方がいいですね」
「では、どうします?」
節柴が問いました。呉竹は答えました。
「わたくしが芍薬ならば、この梁山泊を大軍で包囲して兵糧攻めにしつつ、小勢を繰り出して、こちらを消耗させるでしょう。相手は、いくらでも援軍を呼ぶことができる。わたくしたちは不利です」
「じゃあ、撃って出て一気に勝負をつけましょうよ」
と気短な力寿が叫ぶように言いました。妙達も賛同します。
「あたいもそれがいいな。根比べってのは、どうもしょうにあわないよ」
「いけません!」
呉竹は言い放ちました。
「わたくしたちに勝機があるとしたら、敵がこの梁山泊に攻め入った時です。勝って知った天然の要害を利用して勝つ。それしかありません。でも、そのことは芍薬は分かっているはずです」
「では……」
大箱がぼそりと呟きました。
「芍薬さんが、いなくなってくれれば、いちばん、いいんですよね」
全員の眼が一斉に大箱に注がれました。大箱は顔を真っ赤にして、慌てて手をひらひら振って言いました。
「あ、すみません。そんな都合のいいこと、あるわけないですよね」
「いえ、そうでもありませんよ」
呉竹が目を輝かせて言いました。
「確かに、いなくなってくれるのが、いちばん良いことです」
九編之参
里で略奪強姦を働く鎌倉勢に、
夕轟の打出の新兵器が火を噴く
翌日の夜。
鎌倉勢は、梁山泊まであと五里(約二十キロメートル)の場所まで進撃し、陣を布きました。瀬田川での合戦以来、鎌倉勢の武者どもは勝利の祝杯を挙げ、近くの民家に押し入って略奪したり、女性に暴行を働いたり、大変な騒ぎです。千の兵を失ったとはいえ、一応、梁山泊軍を追い払った形になりましたから、御家人も兵も一気に沸き立ち、それが乱暴狼藉となったわけです。
「これは、よくありません」
芍薬は、総大将の泰時に建言しました。
「梁山泊軍とは、時間をかけた消耗戦になります。近隣住民の恨みを買っては、不利になるばかりです」
「いや、しかし……」
泰時は、優柔不断でした。
「武者どもも、女相手に連戦連敗で苛立ちが募っていたのだ。初めての勝ち戦で多少、発散するのは仕方ないではないか。制止すれば、かえって不満を爆発させかねない」
芍薬は驚き呆れ、自分の陣幕に戻りました。
「芍薬さん!」
陣幕で芍薬を待っていたのは、韓藍(からあい)という、ただ一人従軍を許された女武者所の女武芸者でした。芍薬が常陸で暴れまわっていた頃からの同志です。
「あたし、もう我慢できない。なに、あの坂東武者ども、やりたい放題じゃないか!」
「分かっているわ。今も、総大将にも申し上げたばかりよ」
「それで総大将は、あの武者どもを止めてくれるわけ?」
「………」
「やっぱり!」
無言で俯く芍薬に、韓藍は唇を噛みしめながら言いました。
「知ってるでしょ、あたしの姉たちは、北条が比企を滅ぼした時、興奮した武者たちに犯され、殺された。だからあたしは、坂東武者たちに復讐したくて、あんたの配下になった。それなのに、同じように坂東武者たちが里で狼藉をはたらくのを、指をくわえてみてなきゃならないなんて、信じられない!」
「あたしは、ここでしくじるわけにはいかないのよ!」
芍薬は声を振り絞りました。
「怒りにまかせて暴発して、もし女武者所が廃止させられるような事になったら、あたしは御台所さまの期待を裏切る事になっちゃうじゃないか!」
韓藍は口を噤みました。かつて芍薬が安蛇子と常陸で戦って和解し、鎌倉に帰った時、御台所が涙とともに、「あなたたちは、板東の女たちすべての、希望です」と出迎えてくれた事を、韓藍も忘れてはいません。
「わかった……」
韓藍は俯き、傍らに置いてあった酒を詰めた瓢箪(ひょうたん)を手に、陣幕を出て行きました。
「どこにいくの?」
「頭、冷やしてくる」
このとき、陣幕の背後に、人影が潜んでいた事に、韓藍も芍薬も気づいてはいませんでした。
琵琶湖のほとりに出て、月明かりの下で韓藍が独り酒をあおっておりますと、静かに近づいてきた者があります。
「だれ?」
気配に気づいた韓藍が、腰の刀の束に手をかけて立ち上がると、
「お助けください」
と小声を出したのは十八歳くらいの少女でした。見れば、裸足で着衣は破れています。
「どうしたの?」
韓藍が駆け寄ると、少女は俯いて涙を流しながら言いました。
「助けてください。妹たちが、武者に襲われているんです」
「なんですって?」
「あたしは何とか逃げてきましたけれど、幼い妹たちが、まだ取り残されて……」
「あなたの家はどこ?」
韓藍は、怒りの面差しで問いました。
「案内して、妹さんたち、助けてあげる」
少女は頷き、走り出しました。韓藍もともに走りました。近くの湖畔に粗末な苫屋があり、数人の雑兵たちが、酒杯を手にげたげた笑って騒いでおります。
「あそこです!」
と少女が指さしました。韓藍は、腰の剣を抜き、
「貴様ら、何してる!」
と苫屋に突進し、雑兵たちを突き飛ばしてなかに入ると、二人の武者が、少女二人をそれぞれ組み伏せ、にやにや笑いながら着衣を脱がそうとしていました。乱入してきた韓藍に驚いた武者の一人が立ち上がり、
「なにしに来た。来るな!」
と歩み寄ってくるのを、韓藍、足をあげて股間を蹴り上げました。一撃で睾丸が潰れ、俯せに倒れた武者の背後で、もう一人の武者が抜刀して飛びかかってきましたが、韓藍は、ひらりと切っ先をよけて背後に回り、後ろからつま先を股間に打ち込みました。韓藍と武者の尾てい骨の間で睾丸が破裂し、二人の武者は、断末魔の苦しみのなかで悶絶するばかりです。
「ああっ!」
苫屋の外にいた雑兵たちが悲鳴をあげました。こいつら順番を待っていたに違いない。そう思った韓藍は外に飛び出し、雑兵たちをことごとく斬り伏せたのです。
しばし肩で息をしていた韓藍が我に帰って、苫屋の内に悶絶する二人の武者や、外で屍となった雑兵たちが眼に入ってきました。
「しまった!」
韓藍は髪の毛が逆立つ思いでした。悶絶する一人は御家人の愛甲季経だったからです。先の模擬戦で、芍薬に大恥をかかされたと恨んでいた男です。その男を、芍薬の配下が去勢したとなれば、ただですむとは思えません。
「やってしまった……どうしよう……芍薬さんに相談しなきゃ……」
髪の毛をかきむしりながら韓藍が歩き去った後、苫屋の内で武者に組み敷かれていた二人の少女がむくりと起き上がりました。苫屋の外に出ると、さきほど韓藍を案内してきた少女が姿を現し、
「うまくいったね」
と二人の少女に言いました。二人は、
「うん、だけど、なんかかわいそう」
「あの人、ひどい目にあわなきゃいいけど……」
と、韓藍が去った方を見つめていました。
その三人は、言うまでもなく唐崎の三姉妹、二網、五井、七曲です。呉竹から策を授けられ、鎌倉勢の陣中に潜んできたのでした。
翌朝。
芍薬と韓藍は、北条泰時から「見つからぬように来い」と呼び出されました。泰時の陣幕に赴くと、泰時と安達景盛が二人で待っていました。
「困った事をしてくれたな……」
父親である執権泰時と異なり、温厚な泰時は言いました。
「やはり、おまえたちの仕業なのか?」
芍薬と韓藍が黙っておりますと、泰時は続けました。
「昨夜、琵琶湖畔の苫屋で愛甲季経が殺された。一緒にいた二階堂行良は虫の息だったが、韓藍の仕業だと証言して死んだ」
芍薬は唇を噛みしめ、韓藍は涙をこぼしました。景盛が口を開きました。
「御家人たちは、お前たちを殺すと息まいている。もはや、止める事はできない」
「悪いのはあたしです!」
韓藍が叫びました。
「あたしを殺してください! 芍薬さんには何の罪もありません!」
「そうはいかんのだ」
泰時が言いました。
「芍薬か、韓藍か、どちらの仕業であるかは、こうなってはもはや関係ない。女にやられた、というのが問題なんだ」
女に……。
芍薬と韓藍は押し黙りました。
女だから、こんな扱いを受けるわけ?
女だから、功をたてても、軽く扱われるわけ?
女だから、男に勝ったら憎まれるわけ?
「わかりました」
芍薬は静かに立ち上がりました。
「あたしたちは、鎌倉に帰って処分を待ちます」
ご健闘を祈ります、と頭を下げ、韓藍を促して立ち上がった。
「すまぬ」
と頭を下げる安達景盛に、軽く一礼し、二人は陣幕を出ました。
その日の昼。
梁山泊に戻ってきた二網、五井、七曲の報告を聞いた呉竹は、
「うまくいきました!」
と満面の笑みで、ともに報告を聞いた大箱に言いました。
「これで、勝てます」
そして呉竹は三姉妹に向かって、
「ご苦労でした。さがって休んでください」
とねぎらいました。三姉妹はなぜか堅い面差しで互いを見やり、
「はあ……」
「それじゃ……」
と口のなかでもごもご言って、背を向けました。それを見ていた大箱が、ふと気づいたように言いました。
「呉竹さん、ちょっといいですか?」
「はい?」
「えっとですね……その……」
何か言おうとしたけれど上手く言葉にできないでいるかのような面差しの大箱は、
「待ってください!」
と、まさに部屋から出て行こうとする三姉妹を呼び止めました。
三姉妹が足を止めて振り向くと、大箱は頭を下げて言いました。
「ごめんなさい。お疲れのところ、申し訳ないけれど、あなた方は戻ってください」
「戻る?」
「どこへ?」
きょとんとして問う三姉妹に、大箱は続けました。
「鎌倉勢のところにです。そして、芍薬さんと韓藍さんを、それとなく見張ってください。このお二人は、ぜひ、梁山泊にお迎えしたいのです」
どことなく浮かぬ顔をしていた三姉妹は、
「はい!」
と嬉しそうに声を揃え、勢いよく飛び出していきました。言うまでもなく、罠にかけた韓藍たちのことを気に懸けていたのです。
元気よく駆けていく三姉妹を見送った呉竹は、微笑みをうかべて大箱に顔を向け、
「大箱さん。わたくしが思ったとおりです」
と言いました。
「え?」
と大箱がぽかんとしていると、呉竹はますます嬉しそうに言いました。
「あなたって、生まれついての指導者ですよ」
その翌日。
四千の鎌倉勢は梁山泊の対岸に到着しました。夕方までに布陣を終えた鎌倉勢は、近くの漁師の家から舟を徴発しはじめています。明日には一気に舟で湖を渡り、梁山泊を攻めるつもりなのでしょう。
「見てください」
呉竹は、大箱ら幹部たちと櫓にのぼり、対岸の鎌倉勢の布陣を見下ろして言いました。
「敵はもはや、以前の烏合の衆に逆戻りです。勝てます」
その後、砦の広間に戻って軍議となりました。敵が湖を渡りきるまでは手を出さず、なるべく深いところまで誘い込んでから攻撃を開始する事が確認されました。
「それからもう一つ、今回新たな攻撃方法を使いたいのです」
と呉竹は、外に向かって「入ってきて」と言いました。入ってきた女を見て、大箱は「あ!」と驚き、思わず両手で耳を塞ぎました。
入ってきたのは、夕轟の打出でした。
「さあ、打出さん」
勢揃いした幹部たちを前にもじもじしている打出を、呉竹が促しました。
「てっほうという新兵器について、皆さんに説明してあげて」
そして翌朝。
夜明けとともに、鎌倉勢は四千のうち三千を出陣させました。兵馬を乗せた舟が琵琶湖にこぎ出します。鎌倉勢は、瀬田川で唐崎三姉妹に水中から攻撃された事をふまえて湖面に夥しい矢を打ち込みましたが、結果的に妨害されることなく上陸し、山道を馬で登り始めました。
道は一本しかありません。騎馬武者たちは二列縦隊の形で、うっそうとした林に挟まれた上り坂道を辿っていくうちに、いつしか三方を高い崖に挟まれた広い場所に出ました。そこで行き止まりです。
「おかしい……」
まるで吸い込まれるように、梁山泊の山道を進んでいく鎌倉勢を遠くから見つめながら呟いたのは芍薬でした。
彼女は韓藍とともに、戦場からやや離れた見晴らしの良い小高い丘に登って、戦況を見守っていたのです。
「袋小路に誘導されているみたいね」
韓藍が言いました。実際、谷間の広い場所では、大勢の騎馬が前に進むことも出来ず、後方から次々と押し寄せる自軍に引き返す事もままならず、押し合いへし合いの混乱状態に陥っていたのです。
ふと、芍薬は何かに気づいたようでした。
「危ない!」
「え?」
「行くわよ! 総大将に報せなきゃ!」
芍薬は、韓藍を促して丘を降りようとした時、梁山泊の方角から、
ずどーん!
ずどーん!
大きな爆発音が響きました。
見ると、坂東武者が密集する場所を挟んだ崖の上に、梁山泊軍が現れ、手に持った壺を、さかんに投げおろしています。
壺は着地すると爆発し、油をまき散らして燃え上がりました。武者たちは次々と吹き飛ばされ、あるいは炎に包まれ、我先に逃げ出そうとするも、味方にぶつかるばかり。
夕轟の打出が完成させた蒙古の「てっほう」です。驚くべき破壊力がもたらした阿鼻叫喚の地獄のなかで、三千の兵のうち、二千が命を失ったのです。
やっと山道を引き返しはじめた鎌倉勢に、林の間から梁山泊の女兵たちが現れ、襲いかかりました。坂東武者たちは、次々と馬から引きずり下ろされ、睾丸を潰されるという酷い末路を辿りました。
梁山泊の対岸で戦況を見ていた総大将はじめ後詰の鎌倉勢が見たのは、梁山泊軍に追い回され、山から逃げ下りて湖岸にたどり着き、舟に乗りこんで逃げようとしますが、すでに湖岸にも梁山泊軍が回り込んでおり、なすすべもなく、次々と倒されていく自軍の姿でした。
湖水を渡って梁山泊に上陸した三千の鎌倉勢は、悉(ことごと)く殺されたのです。
「な……なんということだ……」
瀬田川と合わせて、五千のうち四千を失った総大将泰時は、地面にへたりこみました。
「たった五百の女どものために、坂東の精鋭が……」
その時。周囲から甲高い鬨(とき)の声があがり、馬蹄が轟きました。何時の間に迂回してきたのか、桜戸、衣手が率いる梁山泊軍の騎馬隊二百余が、後詰の鎌倉勢に襲いかかったのです。
戦意を喪失した軍ほど脆(もろ)いものはありません。鎌倉勢の雑兵たちはひたすら逃げ回りました。立ち向かってくる武者もいましたが、桜戸や青柳、衣手らの敵ではありません。千の兵はやがて五百、三百、百と数を減らし、ついには、北条泰時と安達景盛そしてわずかな雑兵だけになりました。
「もはや、これまで……」
無傷の梁山泊軍に包囲され、もはや進退窮まった安達景盛は、北条泰時に言いました。
「ここは潔く敗北を認め、自決しましょうぞ」
泰時は頷き、二人が腹を切ろうと地面に座って帯をときはじめた時、騎馬武者が二騎、両軍の間に割って入りました。
「双鞭の芍薬!」
「その配下、天津火(あまづび)の韓藍!」
丘から駆け戻った二人が、名乗りをあげながら斬り込んできたのです。
「景盛殿、はやまってはなりません。お助けします!」
芍薬は、驚いて見上げる安達景盛にそう呼びかけました。
「芍薬か!」
桜戸、衣手は互いに顔を見合わせて喜びました。
「一度、太刀合わせしたかった!」
「行くわよ!」
桜戸は芍薬に、衣手は韓藍と激突しました。巧みに馬を操り、攻守に隙を見せない四人は、互角の腕で戦いを続けたのです。
衣手はと韓藍は、やがて組み討ちとなり、互いに馬を降りて戦いました。一人の坂東武者が、助太刀と斬りかかってきましたが、衣手は武者の股間を蹴り上げ、
「邪魔するな!」
と叫びました。武者は両手で股間を抑え、口から泡を噴いて倒れ、痙攣するばかり。それを見て韓藍は、にやりと笑い、
「お前も、きんたま潰しには慣れてるみたいだね」
「当たり前よ、今まで何個潰してきたと思ってるの!」
「いくつよ?」
「ええと、数えたことないわ」
「あたしもだよ!」
二人は笑みさせ見せて斬り結び続けました。
一方、
「やるわね!」
芍薬と戦っていた桜戸は楽しそうに叫びました。芍薬も嬉しそうに答えました。
「あんたこそ、かつては名ある武芸者だったんじゃないの?」
「院の御所の女武者所の武芸者だったの。悪女亀菊の隠謀で、濡れ衣を着せられ、梁山泊に身を寄せるしかなかったわけ」
「それは気の毒だったわね」
「あなたも来ない?」
桜戸がそう叫んで斬りかかりました。芍薬はその太刀を受け流しつつ、
「だめ。あたしは、約束したんだ」
「約束?」
「御台所と、坂東のすべての女たちの、希望になるって!」
「おおい!」
四人の女たちの戦いに割って入ったのは、二網、五井、七曲の唐崎三姉妹でした。
「もうやめなよ! これ以上戦う意味、ないよ」
二網の声に四人が見回すと、すでに鎌倉勢は一兵も残っていませんでした。泰時と景盛は、腹を切って自害していたのです。
芍薬は、韓藍に目配せし、手にした太刀を投げ捨て、地面にあぐらをかきました。
「殺せ」
芍薬は言い、桜戸や衣手を見回しました。
「お前たちに殺されるのなら、悔いはないわ」
「だめだよぅ!」
十五歳の七曲が、芍薬の肩を掴んでいいました。
「あたいは、首席幹部の大箱さんの命令で、あんたたちを無事梁山泊に連れて来いって言われてるんだ」
「大箱さんは、すてきないい人だよ」
十七歳の五井も口を揃えました。
「ただ、ちょっと頼りなくて……だからあたいたちががんばって守ってるんだ。あんたらが来てくれたら、言うことないんだけどな」
芍薬は、韓藍と顔を合わせて苦笑いして言いました。
「そこまで言うのなら、あんたたちの顔を立ててあげなきゃいけないわね」
そして、こう付け加えたのです。
「とりあえず、その大箱って人に会ってみるわ」
翌日。
新たに梁山泊幹部として、二鞭の芍薬、天津火の韓藍、夕轟の打出が迎えられたことが発表されました。
首 席 春雨の大箱
次 席 折滝の節柴
三 席 智慧海呉竹
四 席 雲間隠の龍子
五 席 虎尾の桜戸
六 席 二鞭の芍薬
七 席 花殻の妙達
八 席 青嵐の青柳
九 席 赤頭の味鴨
十 席 旋風の力寿
十一席 浮潜龍の衣手
十二席 水慣棹の二網
十三席 気違水の五井
十四席 鬼子母神の七曲
十五席 野干玉の黒姫
十六席 天津火の韓藍
十七席 夕轟の打出
十八席 戸隠の女鬼
十九席 越路の今板額
二十席 女仁王の杣木
二十一席 天津雁の真弓
二十二席 人寄せの友代
二十三席 荒磯神の朱西
(九編・了)