金蹴り超訳・傾城水滸伝
十編 鎌倉大乱の巻



十編之壱
億乾通のお犬は釈放され、
公暁禅師の稚児と喧嘩騒ぎを起こす


 五千の鎌倉勢が一兵も残さず全滅し、総大将泰時までが自害して果てたという報せは、日本中を震撼させました。
「女五百を相手に、五千の兵が全滅するとは……」
 人々が梁山泊軍の強さに感嘆する一方で、鎌倉幕府の武威は地に落ちたのです。
 執権・北条義時(ほうじょうよしとき)は、跡取り息子の泰時(やすとき)を失い、悲しみのあまり病床に伏し、幕府の差配は、尼将軍政子(まさこ)に委ねられた形となりました。
「今度は万余の兵をもって梁山泊を攻めよ」
 という勇ましい声もありましたが、ほとんどの御家人は尻込みするばかりです。華やかな鎧に身を固め、互いに名乗り合って戦った源平合戦の伝説を聞かされていた坂東武者の間には、女相手に、睾丸を潰されたり、不思議な武器で火に焼かれて死ぬのはごめんだ、という厭戦気分が広がっていたのです。
 尼将軍政子の施政は、画期的なものでした。女性でも力や才ある者は登用され、御家人の座に連なることができるようになりました。多くの女たちは才能を発揮する道が開けたと大喜びでした。
 また、東慶寺(とうけいじ)をはじめ、多くの寺社を、男に虐げられた女たちのための「駆け込み寺」として解放しました。たとえ夫や父が追いかけてきても、絶対に引き渡しません。そして女たちには手に職をつけさせ、武芸に秀でた者を女武者所に抜擢するなどしました。これも、男尊女卑に悩まされていた女たちに歓迎されましたが、むろん、快く思わない男たちも少なくありません。
 木枯らしが冬の訪れを告げる頃、女武者所では、いつもの通り、調練が行われていました。広い練習場が与えられ、今や千を数えるまでになった女武芸者たちが、太鼓の音に合わせて、縦横矛盾に動くのです。双鞭(ふたつむち)の芍薬(しゃくやく)は梁山泊に去りましたが、彼女が残した組織的戦術は継承していこうというのが合い言葉で、日々訓練は怠りません。
「みごとなものですね」
 広場に組まれた櫓(やぐら)の上で、調練の模様を眺めていた御台所(みだいどころ)が感嘆の声を上げました。
「ありがとうございます」
 並んで観覧していた安蛇子(あだこ)は頭を下げました。傍らから女武者所別当の阿波局(あわのつぼね)が口を添えます。
「もはや、鎌倉の女武者所に匹敵する集団は、日本にはおりません。あの梁山泊にも劣らぬものと自負しております」
 梁山泊、という言葉に安蛇子の頬がかすかに動きました。
「梁山泊といえば……」
 御台所が、安蛇子に向かって言いました。
「金剛山で芍薬が捕虜にした女賊がいましたね。ただ一人、女武者所への参加を拒んでいるという」
「お犬のことですか?」
「そうそう」
 億乾通(おけんつう)のお犬です。「二編之参」で書きましたとおり、奇妙な縁で花殻(はながら)の妙達(みょうたつ)と知り合い、その配下となって金剛山に籠もっていたお犬は、芍薬の捕虜になり、鎌倉女武者所入りを勧められましたが、頑として聞かず、安蛇子が預かって幽閉していました。
 お犬はもともと、鎌倉幕府に滅ぼされた奥州藤原氏の家臣の一族です。説得しても「仇の世話にはならねえ、さっさと殺せ」と言い張るばかりなのです。
 御台所はにこにこして続けました。
「あのお犬さん、返してあげましょう」
「は?」
 驚く安蛇子に、御台所は続けました。
「そこまでわたくしたちを恨んでいる者を、ただ抱えておいても、安蛇子さんも大変でしょう。聞けば、金剛山の女賊たちは皆、梁山泊に入ったとか。であれば、お犬さんも梁山泊のお仲間のところにやるのが、よろしいのではないですか」
「それは……」
 安蛇子は問いました。
「尼将軍さまも、ご承知なのですか」
「はい」
 御台所は、涼やかな眼で言いました。
「わたくしがそう申し上げましたら、大賛成だとおっしゃっていただきました」
 安蛇子は、承知しました、と答えながら、どこか心が晴れませんでした。
 お犬を釈放し、梁山泊に遣わす。その裏にある政治的意味を読み取れぬ安蛇子ではありません。
 尼将軍さまは、梁山泊と手を結びたいのだ……。
 梁山泊は、都の院の御所からは犯罪者集団扱いされています。これを公然と支持すれば、幕府と院の御所は対立関係になってしまう。おおっぴらに同盟関係を結ぶことは憚られました。
 しかし、お犬を返すことで、梁山泊とは少なくとも敵対関係にはならないという、幕府の意志を密かに伝える事ができるわけです。
 確かに、男尊女卑の弊風を鎌倉から一掃しようとされている尼将軍さまの政策は、「不幸な女たちだけの新天地」建設に邁進する梁山泊と敵対するものではない。
 でも……。
 いくらそう言い聞かせても、安蛇子はわだかまりを捨てきれません。
 そう、梁山泊の首席幹部である大箱の存在があるからです。
 高位高官の姫君でありながら実家の没落で遊女となった安蛇子を救ってくれたのは、少女時代、肌を合わせあった仲だった大箱でした。それを逆恨みした安蛇子は、大箱が梁山泊と通じていると密告したのです。その後、数奇な運命を辿って、安蛇子は鎌倉女武者所の教頭(おしえがしら)となり、大箱は梁山泊の首席幹部となりました。
 おかしなもの……。
 安蛇子は、今でも大箱には複雑な思いを抱いています。
 佐渡で、大箱は安蛇子の計略にかかり、処刑されそうになりました。大箱が、死ぬ前に一度、安蛇子に会いたいと嘆願したことは、安蛇子の耳にも入っています。でも、二人が言葉をかわすことはありませんでした。
 わたくしは今、大箱のことをどう思っているのだろう……。
 自分でもよく分かりません。
 安蛇子は優しい御台所や、陽気な別当の阿波局の下、女武者所教頭として働く現在の自分に、基本的には満足しています。
 ところが、「梁山泊」という言葉を聞く度に、自分が小女として大箱の屋敷に仕えていた事を思い出し、屈辱が蘇(よみがえ)ってはらわたが煮えくりかえりそうになるのです。
 一方で、大箱とむつみ合う夢を見て、目を覚ますと、いつしか指で己の陰部をなぞっていたことに気付いて、赤面することもある。
 確かに言えることはただひとつ。
 まだ決着はついていない。
 それだけです。

「いやぁ、びっくりしたなあ」
 突如釈放され、路銀や着衣、薬などを与えられた億乾通(おけんつう)のお犬は、首を傾げながら、街道を西へと向っておりました。
「ずーっと監禁されていたのに、突然釈放だなんて、どういう風の吹き回しだろ?」
 安蛇子は何も言わず、ただ「行きなさい」というばかりだったのです。
「ま、深く考えるのはよそう。とにかく、なんとか梁山泊までたどり着いて、妙達の姉貴や友代ちゃんと再会するんだ!」
 と足取りも軽く歩いていくうちに、ふと、遠くから悲鳴が聞こえて来ました。見ると、十歳くらいの美しい男の子が、必死にこちらに向かって走ってきます。誰かに追われているようでした。
「どうしたの?」
 美少年好きのお犬(「二編之参」参照)、考えるより動くのが早く、男の子を抱き留めていました。
「誰かに追われてるの? お姉さんに話してごらん」
 男の子はびっくりしてまじまじとお犬を見つめ、やがて泣きそうな声になりました。
「おばちゃん、助けて!」
 おばちゃん? お犬が「おばちゃんじゃなく、お姉ちゃんでしょ!」と言うより早く、
「おう、おばさん、そいつを寄越しな!」
 と声変わり中らしい少年の声が響きました。
 見れば、髪の毛を稚児髷に結って後ろに垂らし、水色の水干に膝までの袴で白い脛(すね)を見せつける、十代半ばくらいの少年が三人、ふんぞりかえって歩いて来ます。
「おばさん、聞こえないのか? その子は俺たちのもんだ。返してくれよ」
「いい年して、そんな餓鬼にご執心とは、みっともないぜ」
「早くよこせ。さもないと腕ずくだぞ」
 と言って一人の稚児が歩み寄ってきたのを、お犬はいきなり股間を蹴り上げました。
「ぐ……」
 稚児は呻き、股間を両手で抑えてしゃがみこみます。残る二人は仰天し、
「おい、ばばあ、何するんだ!」
 と、腰の刀に手をかけてわめきました。
「さっきから聞いてりゃ、おばさんの、ばばあのと、ふざけやがって!」
 お犬は怒り心頭の態で怒鳴りました。
「どこのお稚児さんか知らねえが、まだ小さい男の子を三人がかりで追い回して、いったい何の真似だよ! 事と次第によっちゃ、お前らのきんたま全部、ぶっ潰してやるぜ!」
「き、きんたま潰すだと?」
 二人は青ざめて、地面で悶える仲間を見やりました。股間の袴が血の色に染まっています。一蹴りで睾丸が破裂したようなのです。
 一人の稚児が、虚勢を張るように、肩肘はって胸をそらせつつ叫びました。
「おい、俺を誰だと思ってるんだ? 俺は、幕府の御家人、三浦義村(みうらよしむら)の子、駒若丸(こまわかまる)だ!」
 三浦義村は、源氏旗挙げ以来の幕府功臣ですが、お犬はその名を知りません。首を傾げるお犬に、駒若丸はますます居丈高になり、
「しかも俺さまは、おそれおおくも鶴岡八幡宮の別当、亡き二代将軍頼家公の御息男、公暁禅師どののお世話をしてるんだぞ」
「くぎょう? 誰だよ、それ?」
「知らないのか? 」
 駒若丸は苛立って怒鳴りました。
「公暁禅師どのはな、二代将軍頼家公の忘れ形見だ」
「その、よりいえって誰だよ?」
「だから、鎌倉幕府を開いた頼朝公の御長男なんだよ!」
 言葉足らずなお稚児さんたちにかわって解説しますと、公暁禅師とは、北条義時の策謀によって殺された二代将軍頼家の遺児です。都の寺で出家することを条件に命を許されましたが、その運命を哀れんで、尼将軍政子が鎌倉に呼び寄せ、幕府の宗教的権威である鶴岡八幡宮の別当に就けたのです。
 この当時、神社や寺といった女人禁制の宗教施設では、男色は当たり前のように行われていました。稚児は、お寺の坊さんの身の回りの世話をする少年たちですが、坊さんたちの男色の相手をしていることは、公然の秘密でした。
「なるほどねえ」
 お犬は言いました。
「要するにお前ら、お偉い坊さんにケツの穴掘られた、お偉いお稚児さんなわけだ。そんなお偉いお稚児さんが、なんでこんな子どもを追い回してるのさ? どうせ、さだめし、三人がかりで強姦しようって腹だったんだろ?」
 図星でした。
 駒若丸らが言い返せず口ごもっていると、
「やっぱりそうか。この色気違いの餓鬼どもめ、覚悟しやがれ!」
 と、お犬、いきなり駒若丸の胸ぐらをつかんで近くの木の幹に押しつけ、ぎゅっと股間を握りしめ、そのままひねりあげました。お犬の手のなかで、二つの肉塊が破裂し、駒若丸はのけぞって白眼を剥き、くずおれました。
 残る一人は悲鳴をあげて逃げようとして転び、四つん這いになったところを、背後から睾丸を蹴り上げられ、仰向けになって悶絶するのを、踵を打ち込まれ、睾丸を踏み潰されたのです。
 お犬は満足そうに、断末魔の苦しみに悶絶する三人を見下ろしながら、ざまぁみろ、と呟いて、
「坊や、もう大丈夫だよ」
 と声をかけましたが、さきほどの男の子は、すでに逃げ去ったらしく、影も形もありません。
「お礼くらい、言ってほしかったなぁ」
 お犬は肩をすくめ、鼻歌をうたいながら、その場を去っていったのでありました。
 その後、お犬はぶじ梁山泊に着き、妙達や友代、青柳、衣手らと感動の再会を果たします。彼女も幹部に取り立てられ、従って梁山泊の幹部席次は以下のようになりました。
  首 席  春雨の大箱
  次 席  折滝の節柴
  三 席  智慧海呉竹
  四 席  雲間隠の龍子
  五 席  虎尾の桜戸
  六 席  二鞭の芍薬
  七 席  花殻の妙達
  八 席  青嵐の青柳
  九 席  赤頭の味鴨
  十 席  旋風の力寿
  十一席  浮潜龍の衣手
  十二席  水慣棹の二網
  十三席  気違水の五井
  十四席  鬼子母神の七曲
  十五席  野干玉の黒姫
  十六席  天津火の韓藍
  十七席  夕轟の打出
  十八席  戸隠の女鬼
  十九席  越路の今板額
  二十席  女仁王の杣木
  二十一席 天津雁の真弓
  二十二席 人寄せの友代
  二十三席 億乾通のお犬
  二十四席 荒磯神の朱西
 しかしながら、お犬が三人の稚児を去勢した事は、思わぬ事態を引き起こしたのです。

「まずいことになったわ」
 数日後、女武者所別当である阿波局は、自室に安蛇子を呼び寄せて言いました。
「先日、扇ガ谷(おうぎがやつ)の切り通しで、三浦駒若丸ほか鶴岡八幡宮に仕えるお稚児さん三人が殺された件だけれど、目撃者が現れて、一人の女が、三人のきんたまを潰して殺したって証言したのよ」
「では……」
 安蛇子は眉をひそめて問いました。
「やはり、梁山泊に返したお犬のしでかした事なのですか?」
 阿波局は頷いて言いました。
「そうとしか思えないわ。今のところ、誰も気づいてないけれど……」
 お犬を釈放したことを知っているのは、尼将軍政子、御台所、阿波局、安蛇子の四人だけだったのです。阿波局は続けました。
「悪いことに、犯人は女武者所の女武芸者に違いないって言い出した連中がいるのよ」
「そうなんですか?」
「女武芸所では、男のきんたまを潰して倒す術を教えているでしょう? 悪い事に、その噂が鶴岡八幡宮の公暁さまの耳にも入って、犯人を差し出すようにと強硬な申し入れがあったらしいのよね」
 それから声を低めて、殺された三人は、公暁さまのご寵愛を受けていたらしいから、と告げました。しかも、三人とも幕府の有力御家人の子弟なのです。
「困ったことになりましたわね」
 安蛇子は溜息をつきました。
「これを機会に、女武者所を解散させよという声も高まっているわ」
 阿波局は言いました。
「それだけじゃないの。今の御所(将軍)さまを廃して、公暁さまを還俗させて将軍の位につけようとしている連中がいるみたい」
「え……!」
 安蛇子は驚きました。阿波局が言うには、三代将軍実朝が御台所を迎えてから何年もたつのに、ご懐妊の兆しがない。周囲が他に側室を迎えるよう説得しても、実朝は首を縦に振りません。
 そもそも実朝は、子孫を残せない体質なのではないか。その事は前々から囁かれてきましたが、いまや公然たる声になっていると言うのです。
「そんなばかな!」
 安蛇子はつい大声を出しました。
「それじゃ、御台所さまが、あまりにもおかわいそうじゃありませんか!」
「そうなのよ……」
 阿波局は、額を手で抑えて言いました。
「御所さまは、尼将軍が進めてらっしゃる男女平等政策に反対なさっていない。むしろ理解を示してらっしゃる。それが気に食わない御家人たちが、これを機会に、公暁さまを担いで御所さまを廃し、元の男尊女卑の世に戻そうとしているらしいのよ」
「そんなの、だめです!」
 安蛇子は、阿波局が呆気にとられるほど、逆上していました。
「阿波局さま、わたくし、御所さまと御台所さまをお守りするためなら、なんでもします。なんでもお言いつけください!」

 その頃。
 十九歳にして鶴岡八幡宮別当であり、鎌倉の宗教的権威の頂点に位置する公暁は、御堂の神前に並べられた三つの屍(しかばね)を前に、経文を唱えていました。お犬に睾丸を潰されて悶死した三人の稚児たちです。
 公暁の背後に、十代の美々しい稚児たちが、無念の表情で、声を揃えて祈っていました。
「お前たちの恨みは、必ずはらす」
 経文を唱え終えた公暁は、眼を開けて呟きました。
「はい……」
 眼頭をおさえて涙をこぼす背後の稚児たちに向き直り、公暁は言いました。
「さきほど、幕府から公式の回答が来た。引き続き事件の捜査はするが、女武者所が関わっている証拠はないとして、責任は問わぬことになった」
 稚児たちは、怒りのどよめきを漏らしました。公暁は続けました。
「今の腐りきった幕府の体制を改めぬかぎり、この者たちの恨みは晴れまい。わたしは決意した。必ず幕府を転覆する」
 それから、二枚の紙を床に起きました。一枚は、将軍実朝の公式行事の予定表、もう一枚は、鶴岡八幡宮の絵図面です。
「これをもとに、作戦を練るのだ」
 そう言われて稚児たち、「はい!」と声を揃えて返事し、予定表と絵図面を囲みました。そして公暁は、「少し休む」と告げて御堂を出たのです。庭を横切って自室のある本堂に戻った公暁は、「白菊丸」と壁に向かって声をかけました。
「はい」
 と声がして壁を四角くくりぬいた扉が開き、現れたのは、小柄で丸顔、女のように美しい稚児でした。
「亀菊さまから、報せはあったか?」
 そう公暁に問われ、白菊丸と呼ばれた稚児は、
「ございました」
 と、公暁に寄り添うように近づき、耳元で囁きました。
「都では、今の御所に何かあった時、あなた様を新しい将軍に就けるための根回しが、すべて終わったとのことです」
「そうか……」
 と公暁はほくそ笑み、それから、白菊丸の胸元に手を差し入れました。
「してくれ」
 そう言われて白菊丸は、胸をはだけました。そこには、大きなまるい乳房が二つ、若々しい張りを見せています。
 白菊丸は女だったのです、
 彼女は、公暁の僧衣をめくり、男根を剥き出しにすると、二つの乳房に挟んで上下に刺激しはじめました。
「女とするのも、よいものだな……」
 公暁はのけぞって呻き声をあげ、喘ぎながら続けました。
「亀菊さまのおかげで知ったこの道……感謝してもしきれぬ」
 幼い頃、助命と引き替えに都の寺に送られ、衆道を叩き込まれた公暁に、女との交わりを教えたのは、かの亀菊だったのです。
「亀菊さまにそうお伝えします」
 そう言いつつ、激しく己が乳房を上下させた白菊丸は、やがて精を迸らせ、力尽き果てて眠ってしまった公暁を見下ろし、
「相変わらず、たわいもない」
 と嘲笑うような面差しで呟きました。
「この坊主、もはやあたしの言うなりね」
 このふっくらした唇と大きな眼をし、稚児ふうに装った美少女は、「八編之参」で登場した、かの亀菊が寵愛する玉桐(たまぎり)だったのです。

 年があけた一月二十七日。
 その日、鎌倉は前夜から降り積もった雪に覆われていました。
 酉の刻(午後六時)、三代将軍源実朝は、右大臣就任を記念した拝賀の式典に出席するため、都から派遣された公卿とともに、三浦義村ら御家人が率いる随兵千騎のお供を連れて御所を出立し、式典の場所である鶴岡八幡宮に赴きました。
 鶴岡八幡宮の本宮には、長い石段を登らなければなりません。千騎の随兵は、石段外の楼門の前に止め置かれ、実朝は、剣持ち役の源仲章(みなもとのなかあきら)ほか、公卿十名ばかりのみを従え、石段を登っていきました。
 その時。
「親の敵、覚悟!」
 奇声をあげて石段脇の銀杏(いちょう)の木陰から飛び出した者がいました。黒い僧衣に胴巻きをつけた僧です。
 僧は太刀をふりかぶり、実朝に斬りつけました。実朝は危うく刃を避けましたが、雪に足をとられて石段に転がりました。僧侶がさらに太刀を振りかぶると、
「何者!」
 と、傍らで剣持ち役をつとめていた源仲章が、抜剣して僧の前に立ちはだかります。
「邪魔するな!」
 と叫んだ僧を見やって、実朝は愕然となりました。
「そなたは……!」
 僧は、実朝にとっては甥にあたる八幡宮別当の公暁でした。背後に、武装した数名の稚児を従えています。
「公暁、何故だ!」
 と悲痛な叫びをあげる実朝に、公暁は、
「かかれ!」
 と背後の稚児たちを促して襲いかかりましたが、仲章は太刀をふるって稚児たちを払いのけ、
「御所、こちらへ!」
 と実朝の袖を引き、石段を駆け上ろうとした時、不意に現れた小柄な稚児が、二人の前に立ちはだかりました。
「どけ!」
 仲章が、稚児を突き飛ばそうとした時、稚児の膝が、仲章の股間に打ち込まれました。
「ぐ……!」
 総身を強張らせた仲章の両目に、稚児は指を突き立てました。
「ぎゃあああああ!!!!!」
 仲章は、両目を手で覆って石段を転げ落ちます。
 さらに稚児は、階段を駆け下りると、太刀を抜いて、怯えて震える公卿どもを片っ端から斬殺したのです。
 残るは、将軍実朝のみ……。
「白菊か!」
 公暁は、稚児に向かって叫びました。
「公暁どの!」
 白菊と呼ばれた稚児、即ち玉桐は笑みを見せて言いました。
「早く、仇を討て。わたしは、三浦の屋敷で待っている」
 そのまま踵を返して、闇の中に走り去ったのです。公暁は頷いて太刀を構え、うずくまる実朝に歩み寄りました。実朝はすでに観念したらしく、目を閉じて口のなかで経文を唱えております。
 しばし後。
 楼門が開いて現れた公暁と稚児どもの姿に、外で待っていた随兵たちは息を呑みました。
「俺は八幡宮別当にして、二大将軍頼家公の遺児、公暁だ。源実朝の首は、俺がいただいた!」
 と、打ち落としたばかりの実朝の首をたかだかと掲げたのです。
 どよめく随兵たちに、公暁はさらに言いました。
「この実朝は、俺にとっては親の仇だ! 親の仇はこのように討ち果たした! これからは、俺が将軍として世の中を変える! 女どもが威張り散らす今の鎌倉幕府のありようを、従来の男らしい武張ったものに戻すのだ! 俺に同意するものは、ついてこい!」
「公暁さま!」
 進み出たのは、御家人の三浦義村。公暁の寵童で、お犬に去勢されて無惨な死を遂げた駒若丸の父親です。
「わしは、公暁さまに従います! 方々、これ以上、女どもに鎌倉を壟断されてなるものですか!」
 言うまでもなく、すべて予定の行動でした。御家人たちは一斉に「応(おう)!」と拳を振り上げ、実朝を守るために動員されたはずの千余の随兵は、そのまま鶴岡八幡宮に籠もって公暁を奉じる反乱軍となり、さらに多くの御家人たちが兵力を率いて八幡宮に駆けつけました。その数は一万近くにふくれあがったのです。
 一方。
 実朝が命を落としたとの報せに、御台所は衝撃のあまり倒れ、尼将軍政子も悲歎の涙を流しておりましたが、やがて、三浦義村ら蜂起した反乱軍一万が鶴岡八幡宮に籠もったとの報がもたらされ、御所は騒然となりました。
 反乱軍に対抗すべく、女武者所の千余の女武芸者が御所に召集されました。やがて押し寄せてきた反乱軍に対して、十分の一以下の女武芸者はよく持ちこたえ、やがて逆襲に転じました。
 反乱軍は大敗を喫し、多くの御家人たちが討たれ、公暁は、敗残兵数千とともに鶴岡八幡宮に籠もりました。
 一方の女武芸者たちは、反乱軍を押し返す事には成功したものの、死にものぐるいでかかってくる敵に、命を落とした者も少なくありませんでした。また、鎌倉の街は戦火に包まれ多くの家が焼尽し、頼朝以来築き上げてきた繁栄は、危機に瀕したのです。
「このままでは、鎌倉は危うい」
 尼将軍政子は安蛇子を呼び、悲痛な面差しで告げました。
「公暁や、それに従う御家人たちは、あくまでも抗戦の構えを崩さない。そして、今のわれらには、力押しで鶴岡八幡宮を攻め落とすだけの余力はない」
「はい……」
 安蛇子は頷きました。反乱軍は命がけです。これまでのように、女武芸者を侮ってかかるような事はありません。陣頭で戦った安蛇子は、そのことを痛感していました。
「安蛇子よ」
 尼将軍政子は声をひそめました。
「この事態を打開するには、どうすればよいと思う?」
 そう問われ、安蛇子はしばし黙しました。彼女はその答えを知っています。そして政子も、彼女の左右に並ぶ御台所や阿波局も、恐らく知っている。
 どう考えても、それしかないのです。
「恐れながら……」
 安蛇子は口を開きました。
「公暁さまを亡き者にし、源氏の血筋を絶やすしかないか、と」
 安蛇子が思ったとおり、政子も御台所も阿波局も、とりたてて驚いたふうもありませんでした。
「そうであろうな。源氏の血を引く男がいるかぎり、彼らはそれを奉じて抵抗してくる。謀反の根を断つには、血筋そのものを断ち切るしかない……」
 政子は、言いました。
「死んだ頼家も、実朝も、わたくしの子。公暁は、わたくしの孫……」
 尼将軍政子は、張り裂けそうな思いを胸の裡に押し込めようとするかのように、能面のような面差しを崩さずに言い、傍らで妹の阿波局がそっと涙を拭いました。
 彼女は、十年前の内紛で、夫であり頼朝の実弟だった全成を失っていたのです。全成の兄弟で源平合戦に大功のあった義経や範頼も、謀反の嫌疑をかけられ非業の死を遂げていました。源氏の男たちは、呪われていたとしか思えません。
「男たちにまかせていては、鎌倉は滅びるばかり」
 政子は、安蛇子に言い放ちました。
「公暁の命、お前が奪っておくれ。策は、まかせる」
 安蛇子は、そっと御台所を見やりました。御台所は、俯いて涙を堪えているようでしたが、安蛇子の眼差しに気づくと、唇を堅く結んで小さく頷きました。
「わかりました」
 安蛇子は、意を決して退出したのでした。

十編之弐
安蛇子は遣り手婆の虎魚と再会し、
黄昏、夕映姉妹は反乱軍陣地に潜入す


 公暁の命を奪え。
 策は、まかせる。
 その言葉の裏には、これ以上の犠牲者を出したくないという政子の思いがあることは、安蛇子にも分かっています。八幡宮に忍び込み、数少ない犠牲で確実に公暁を暗殺せよ、ということです。
 今回の内戦では、和田義盛の反乱時の十倍以上、数千に及ぶ死者が出ています。たとえ反乱を鎮圧できても、鎌倉幕府の戦力は大きく低下するに違いない。そうなったら、これまで鳴りを潜めていた各地の武装勢力が反旗を翻(ひるがえ)し、再び戦乱の時代に逆戻りです。
 とはいえ、数千の兵が籠もる鶴岡八幡宮に潜入する事は困難です。
 どうしよう……。
 御所の女武者所に籠もって思い悩んでいると、小女がやってきて「教頭(おしえがしら)に会いたいという方がいらしてます」と告げました。「むかし、都でお世話になったという女の人だとか」
 そう言われて女武者所の門まで来て、そこに佇んでいる四十女を見るなり、
「あーーーー!!!!」
 安蛇子は叫んで、踵を返して立ち去ろうとしました。
「ちょ、ちょっと安蛇子ちゃん、待っておくれよお!」
 派手な色の衣服にごてごてと厚化粧した四十女は、安蛇子の背中に追いすがりながら叫びました。
「あたしとあんたの仲じゃないか、冷たい仕打ちは、無しだよ!」
「何が、あたしとあんたの仲だよ!」
 安蛇子は、足を止めると四十女の顔に平手打ちを食わせ、口汚く罵りました。
「虎魚(おこぜ)のばばあ、どの面さげて会いにきたんだい!」
 虎魚と呼ばれた老女は、一瞬、面差しを凍らせましたが、すぐに泣き顔をつくり、安蛇子に抱き付きました。
「懐かしいねえ、安蛇子ちゃん!」
「なんて図々しい!」
 安蛇子は叫んで、虎魚の股間を蹴り上げました。虎魚は、「痛い!」と叫び、両手で股間を抑えてしゃがみこみます。
「おまえが、あたしを酷使して、さんざん稼いでおきながら、実入りをほとんどピンはねしてたのを、あたしが知らなかったとでも思ってるの?」
 歯を食いしばり、涙を流して恥骨の痛みをこらえる虎魚の顔に、再び平手打ちを食わせながら、安蛇子は叫びました。
「くそばばあ! 恨みを晴らしてやる!」
 そう叫んで、再び蹴りつけようとして、安蛇子は、はっと気づきました。女武者所の女たちが、呆気にとられて安蛇子と虎魚を見ています。
「こっち来い!」
 安蛇子は、虎魚の襟首をつかんで無理矢理立たせ、自室へと引っ張っていきました。
 この虎魚という女は、遊女の元締めでした。かつて安蛇子の一族が謀反に加担した罪に問われ、遊女に身を落とす羽目になった時、虎魚が買い取ったのです。
 公卿のお姫様であり、絶世の美女である安蛇子には、高い値で客がつきました。
 しかし、稼いだお金のほとんどを虎魚は自分の懐に入れてしまい、安蛇子には涙銭しか与えませんでした。世間知らずだった安蛇子が、その実態を知って逃げだそうとした時、虎魚は街のごろつきを雇って折檻(せっかん)させ、さらに酷使しました。一日に十人も客を取らされた事さえあったほどです。
 大箱に救われなければ、あの苦界に堕ちたまま生命が尽きていたかも知れない。安蛇子にとっていちばん思い出したくない時期を象徴する存在が、この虎魚なのです。
「いったい、何しに鎌倉までやってきたのさ!」
 安蛇子は、いつの間にか遊女だった頃の、庶民的な言葉遣いになっていました。
「あたしが喜んで、お懐かしい、なんて言うとでも思ったの?」
「いやま……そりゃ、あんたが怒るのももっともだけどさあ……」
 虎魚は頭を掻きながら言いました。
「あたしだって、もう年だしね。ここらで一稼ぎして、今の商売から足を洗いたいのさ。それであんたを頼ってきたわけなんだよ」
「一稼ぎって、どうやって?」
「とぼけちゃだめだよ。いま、鎌倉は大戦(おおいくさ)のさなかなんだろ?」
 虎魚は身を乗り出して言いました。
 この当時、合戦場に遊女はつきものでした。戦の陣が張られると、遊女たちが集まってきて、武者たちの相手をするわけです。生死をかけた戦を前に、男たちは何時にもまして性欲が高ぶるらしく、遊女の元締めにとっては、かっこうの稼ぎ時なのでした。
「実は二人ばかり、かわいい娘を連れてきた。なんでも、鶴岡八幡宮とやらに、数千の兵が立てこもっていて、大勢の遊女が入り込んでるじゃないか。ところが、地元の元締めの力が強くて、都から来たあたしは弾かれちまって、八幡宮に入れてくれない。だから、あんたに頼めばなんとかなるんじゃないかと思って、こうしてやってきたわけさ。どうか、あたしにも稼がせておくれよ。昔の縁じゃないか、頼むよ」
 虎魚を凝視して聞いていた安蛇子、急に何かを思い付いたように膝を叩きました。
「おい、ばばあ」
 声をひそめて、虎魚の肩を掴んで、安蛇子は言いました。
「もっと儲けさせてあげる」
「え、ほんとう?」
「ああ」
 そう言って安蛇子は、いきなり虎魚の胸乳を掴んでぎゅっとひねりあげました。虎魚は悲鳴をあげ、胸を両手で抑えて床に突っ伏しました。その背中を踏みつけて、安蛇子は冷たく言いはなちました。
「あたしの言うことを聞いたら、死ぬまで食べていけるだけのお金をあげる。そのかわり裏切ったら、お前を殺す。乳を引き裂き、股ぐらを噛みちぎり、さんざん苦しめた挙げ句に息の根をとめてやる。どう?」
「……わかりました」
 虎魚は激痛に喘ぎながらやっと答えました。
「なんでも、言うこと、聞きますから……助けて……」

 その日の夕方。
 安蛇子の部屋に、二人の女武芸者が呼ばれました。
 黄昏(たそがれ)、夕映(ゆうばえ)という、二十歳前の姉妹です。二人はもともと、遊女でした。悲惨な待遇に耐えかねて逃げ出して鎌倉まで流れ着き、女武者所に応募したのです。
 女武者所に入ってまだ半年足らずですが、めきめきと腕をあげていました。
「お前たちに、頼みがある」
 頭をさげる安蛇子に、姉妹は顔を見合わせ、
「なんでしょう」
 と問いました。安蛇子は、辛そうに言いました。
「お前たちに、元の遊女に戻ってほしいの」
 姉妹は驚き、しばし安蛇子を凝視していましたが、妹の夕映が口を開きました。
「いやです!」
 涙をこぼしながら、夕映は続けました。
「あたしが、どんな辛い目にあったか、ご存じでしょう。今でも時々、嫌な男に抱かれる夢を見て、夜中に目が覚める事だってあるんです。それなのに……」
「わかっているわ」
 安蛇子は言いました。
「わたくしも、かつては同じ身の上だったから」
 え……。
 姉妹は眼を見開きました。姉の黄昏が問いました。
「教頭も、元は……」
「そう、遊女だったの」
 安蛇子は遠くを見つめる眼差しで言いました。
「一族が謀反に加担して、わたくしは遊女に身を落とした。ある人に助けられたけれど、わたくしはかえってその人を逆恨みし、殺そうとまでしたわ。その報いで、わたくしは左の手を失ったの」
 大箱を逆恨みしていた事を、すらすらと口にした自分に驚きながら、安蛇子は、切断された左腕を姉妹に見せました。
「片腕となったわたくしは、各地を放浪した。生きるために男に身を売り、あるいは誘惑しておいて油断させ、金品を奪って生き延びた。わたくしもあなたたち同様、あの頃を思い出して、叫び出しそうになる事があるわ……」
 いつしか、安蛇子の眼から涙が頬をつたっていました。
「だからわたくしは、この鎌倉で女武者所に入った。虐げられた女たちの希望になってほしいという御台所さまの願いをかなえてさしあげたくて、今日までがんばってきた。そして今、そういうわたくしたちの願いを、大勢の男たちが踏みつぶそうとしている。絶対に負けてはいけない時なの」
「分かりました」
 姉の黄昏が頷きました。
「あたしたちが遊女になれば、八幡宮に籠もった反乱軍を倒すことができるのですね」
「命がけの仕事よ」
 安蛇子は、面差しを引き締めて問いました。
「やってくれる?」
「やります」
 答えたのは、妹の夕映です。
「何をすればいいか、教えてください」

 その日の夜。
 鶴岡八幡宮の周囲は急拵えの柵に囲まれ、具足をつけた武者たちが厳しく警護に当たっていました。
 松明(たいまつ)に照らされ、陣幕(テント)が夥(おびただ)しく張られた境内を殺気だった男たちが右往左往するなか、一つのお堂に大勢の武者が行列を作っています。一人ずつ興奮した面持ちで入っていったかと思うと、別の者が満足げな面差しで出て行きます。
 そのお堂には、各地からやってきた遊女たちが集められ、武者たちがお金を払って性欲を発散させていたのです。
「よいところに来たな」
 柵の門を守っていたのは、白い髭の老武者でした。商売をさせてほしいと遊女を連れてやってきた虎魚に、老武者は、
「決戦が近いという噂が流れて、この世の名残に女を抱きたいという武者が多く、女たちが悲鳴をあげている。少しでも、遊女が増えてくれるのはありがたい」
「そりゃあ、よかったですわ」
 虎魚はもみ手をしながら、彼女の背後で、笠をかぶって俯いている二人の女を指さして言いました。
「若くてぴちぴち、すごい美人で床上手、言うことのない娘たちですわよ」
 それから、前金の交渉が始まり、しばしやりあった後で合意成立、
「では、こちらへ」
 と老武者が二人を連れてゆこうとした時、
「おい」
 と声をかけてきた武者がいました。身なりを見るに、そうとう高位にある御家人のようです。
「これは、三浦さま」
 老武者が頭をさげました。御家人は、反乱軍の総大将格の三浦義村でした。
「その女たちは、新しく来た遊女か?」
 そう問う三浦に老武者が頷くと、虎魚がしゃしゃり出て、
「ええ、さようでございます。都育ちの美人姉妹でございますよ」
 と言葉を添えると、三浦は「ほう」とにわかに興味を示し、二人に近づいて笠の裡をのぞき込み、
「なるほど、似ている。二人とも美しい」
 と溜息をついて、
「この二人、もらっていくぞ」
 と、懐から巾着を取り出し、虎魚の足下に銀の粒を放り投げました。法外な金額に歓喜する虎魚と対照的に、老武者は、
「あの、若い者が大勢、ああやって行列を作っておりまして、少しでも遊女を増やしたいところでして……」
 と言い募るのを、三浦義村は突き飛ばし、
「すっこんでろ、じじい!」
 と、左右の手で一人ずつ、女を連れて宿所にしている御堂へと連れていきます。
「やれやれ」
 と立ち上がって肩をすくめる老武者に「ではこれにて」とお辞儀をし、虎魚は、逃げるようにその場を立ち去ったのでした。

 さて、己が陣幕に遊女二人を引き入れ、地面に敷いた獣皮に坐らせた三浦義村、もどかしそうに袴を脱ぎ捨て、下帯も取ってしまいました。
「同時に姉妹を味わえるとは、とんだ果報である」
 とにたにた笑いながら、すでに屹立した己が男根を二人に突きつけるようにしながら、
「さあ、お前らにこれをくれてやろう。ありがたく味わえ」
 と言いました。二人の遊女は顔を見合わせて微笑み、年下らしいほうが、男根に顔を寄せ、唇で先端を刺激し始めました。
「おお、上手いな」
 早くも息荒く喘ぎはじめた三浦の背後に、年上らしい遊女が身を寄せ、上衣を脱がせて彼の乳首を口に含み、右手で敏感な部分を愛撫しはじめました。
 前には跪いて男根を唇と舌で慰める女、後ろには乳首を舐める女。二人に挟まれ極楽浄土にいる心地の義村、
「これは、一人で味わうはもったいない上玉ぞろいだ。公暁さまもお呼びするか」
 と眼を閉じて呻くように言いますと、背後から愛撫していた年上の遊女が、
「公暁禅師さまが、ここにいらっしゃるのですか?」
 と耳元で囁くように問いました。義村は頷き、
「とはいえ、お気に入りの稚児とご一緒だ。邪魔しては悪い。今宵はわし一人で楽しむとしよう」
「それはずるいわ」
 男根から唇を離し、年下の遊女がすねてみせました。
「あなた様はあたしたち二人を楽しめるのに、あたしたちはあなた様お一人を、二人で分け合わねばならないなんて、不公平よ」
「そう言うな」
 義村は、年下の遊女の頭を撫でつつ言いました。
「公暁さまは、あの石段をあがりきった本堂にいらっしゃる」
 急に、遊女たちの眼が光りました。それに気づかず、義村はうっとりと続けます。
「まさか公暁さまをここにお呼びするわけにはいかないし、こちらから出向くのも面倒だ。まずは、わしだけを楽しませてくれ。そうすれば、後で公暁さまのところに連れていってやるから」
「その必要はありません」
 背後の冷たい声に、義村が眼を見開いた次の瞬間、背後にいた遊女は義村の口を手で塞ぎ、跪いていた遊女は、彼の男根にかみつき、歯を食い込ませたのです。
「ぐ……ぐふ!」
 義村の悲鳴は、年上の遊女の手のなかでくぐもり、立ち上がった年下の遊女は、血を噴く男根の下にぶら下がった睾丸を膝で蹴り上げたのです。義村の体は紙のように力が抜けてへなへなとくずおれました。
「ちくしょう……汚いものをくわえさせやがって……」
 年下の遊女、すなわち夕映は、仰向けに倒れて失神した義村の背中を踏みつけ、しきりと口を腕でぬぐい、唾をはきかけました。
「急いで!」
 姉の黄昏に促され、二人は倒れた義村を仰向けにし、口の中に布をつめこんで猿ぐつわをはめ、さらに手足を縛り上げました。そうしておいて、夕映に蹴られて腫れあがった睾丸を、姉妹二人で一つずつ握りしめ、一気にひねり潰したのです。
 義村の身体は大きく海老ぞりになり、そのまま動かなくなりました。まだ息はあるらしく、細かく痙攣しております。
 二人は、遊女の服を脱ぎ捨てると、用意していた稚児装束をまとい、そっと陣幕を出ました。外で番をしていた雑兵に背後から忍び寄って喉を掻き切り、その死体を陣幕の中に隠した二人は、柵の方へと歩き出しました。途中、
「どこへ行く?」
 と雑兵に見咎められましたが、
「公暁禅師さまの使いです」
 と低い声で告げ、無事切り抜けました。
 人けのない柵に近づくと、黄昏は懐から小弓と矢を取り出し、何か書き付けた紙を矢じりに巻いて、ひょうと放ちました。矢は柵の外の闇へと飛び去っていき、近くの林の梢に突き刺さりました。その梢に近づいて引き抜いたのは、安蛇子でした。
 矢じりの紙をほどいて拡げた安蛇子は、
「石段をのぼった本堂か……」
 と呟き、身を翻して柵へ向かって走り出しました。その時、
「火事だ!」
「火事だ!」
 と八幡宮の方から声がし、濛々と黒煙が立ちのぼりました。
「黄昏に夕映ね!」
 黒煙につづいて吹き上がった炎を見て、安蛇子は笑みを浮かべました。
「二人とも……よくやってくれたわ!」
 虎魚が鎌倉へ連れてきた二人の遊女を、女武者所の小女として引き取った安蛇子は、かわりに黄昏と夕映の姉妹を八幡宮に送り込んで、公暁禅師の居場所を突き止めさせるとともに、火を放って反乱軍を混乱に陥れるよう指示したのです。
「行くわよ!」
 安蛇子が合図すると、潜んでいた数十の女武者たちが木陰から姿を現し、八幡宮へ向かって駆け出しました。
 柵の裡は、怒号をあげながら右往左往する武者や、悲鳴をあげて逃げまどう遊女で、阿鼻叫喚に満ちあふれていました。
「裏切り者だ!」
「裏切り者が出たらしいぞ!」
 と叫び声が響き、闇のなかで疑心暗鬼に包まれた反乱軍の武者たちが同士討ちを始めています。
 柵を守っていた雑兵を斬り倒して八幡宮の裡になだれ込んだ安蛇子たちは、一気に石段を駆け上がりました。追いすがる武者たちはたちまち屍となって石段から転げ落ちました。本道を守る楼門にたどり着くと、警護していた雑兵はことごとく倒れており、手に太刀を提げ、浴びた返り血で真っ赤に染まった黄昏と夕映が、笑みを浮かべて安蛇子たちを迎えました。
「見事だったわ!」
 安蛇子は、姉の黄昏をまず抱擁し、続いて妹の夕映に
「むごいことをさせてしまったわね……」
 と言って抱きしめました。夕映は涙を拭いながら、
「絶対に、公暁の息の根を止めてくださいね」
 と訴えます。
「わかったわ」
 そう言うと安蛇子は、楼門を固めて誰も入れぬよう女武芸者たちに指示し、公暁がいるはずの本堂へ向かって駆けました。本堂を守る美しい稚児たちが刃を揃えて立ち向かってきましたが、たちまち血を噴く屍となって転がりました。
 本堂に突入した安蛇子は、さらに稚児を切り伏せながら奥の部屋に突入し、そこを守っていた四人のうち二人を斬殺すると、残る二人は悲鳴をあげ、背中を向けて逃げ出しました。奥の壁を押すと、そこは隠し扉になっていて、外へ通じていたのです。
 隠し扉をくぐり、逃げた稚児を追うと、彼らは本堂の裏手にある小さな持仏堂に殺到し、扉を叩いて叫びました。
「白菊!」
「助けてくれ、白菊!」
 扉が開きました。同時に、二人の稚児は棒立ちになり、体を強ばらせました。
 開いた扉のところに、小柄で少女のような面差しの稚児が立っていました。左右の手を、二人の稚児それぞれの股間に差し入れ、ぎゅっと掴んでいます。
「あんたら、邪魔よ」
 白菊と呼ばれた稚児、すなわち男装の少女・玉桐は、のけぞって苦悶の表情を浮かべる二人の稚児に冷たくそう言い、ぐいと腕に力を入れました。
 稚児たちの睾丸が、玉桐の掌のなかで破裂しました。稚児たちは呻き声を残し、くずおれたのです。
「お久しぶりね、安蛇子ちゃん」
 地面にうつぶせになって悶絶する稚児たちに目もくれず、玉桐は腰の剣を抜きながら、持仏堂を出て、安蛇子にゆっくりと迫ってきました。
「玉桐か……」
 院の御所の女武者所では、安蛇子にも劣らぬ使い手として有名だった女です。また、女子どもでも手をかける冷酷な娘として、恐れられていました。亀菊に命ぜられるまま、敵対する者たちを大勢、情け容赦なく暗殺してきたのです。
 安蛇子は、油断なく身構えしながら、持仏堂のなかをうかがいました。壁に背をつけるようにして、怯えている僧形の少年がいます。
 公暁でした。
「玉桐、お前がここにいるということは……」
 安蛇子は問いました。
「御所の暗殺、そして公暁の反乱……これらはすべて、鎌倉を内紛で弱体化させようという、亀菊の差し金ということなの?」
「そういうことになるのかなあ」
 玉桐は澄まし顔で答えます。
「あたしは、そういう政治的な事は関心ないけれど、面白かったな。大勢殺せたし……」
 背後の公暁や、断末魔の稚児たちを見下ろして、玉桐は続けました。
「こいつらとも、さんざん遊んだし……」
 玉桐の荒淫ぶりは、女武者所でも有名で、西面や北面の武者たちのなかで眉目秀麗なものは、ほとんど玉桐と関係を持っていたと言われるほどだったのです。
「許せない……」
 安蛇子は呻くように言いました。
「楽しみのため人を殺す? お前にとっては、人殺しも、色事と同じだっていうわけ?」
「なに、模範生ぶってんのよ?」
 玉桐は嘲笑いました。
「亀菊さまに、女同士のまぐわいを教えたのは、安蛇子ちゃんだって言うじゃないの。夜中に武芸者を誘惑し、そいつらを殺して腕を鍛えたって話も聞いたよ。そんな安蛇子ちゃんが、なんであたしのこと、そんなふうに非難できるのさ?」
「確かにそうだったわ……」
 安蛇子は、息づかいを荒くしながら言いました。
「でも、今のわたくしは違う。今のわたくしに、希望を持つ女たちが大勢いる。わたくしは、そういうひとたちのために戦う。楽しみのために人を殺すお前とは違うんだ!」
 言うなり斬りつけた安蛇子の剣を、玉桐はしっかと受け止め、それからしばし、激しい剣戟が続きました。
 激しく火花を散らして互いに譲らず戦ううち、次第に追い詰められた安蛇子は、いつしか持仏堂を背に、防戦一方となっていました。
「今だ!」
 いきなり背後から抱き付いてきた者がいました。公暁です。持仏堂から飛び出して安蛇子を羽交い締めにし、
「玉桐、こいつを斬れ!」
 と叫んだとたん、喉の奥で呻いて白眼を向きました。
 後ろにはねあげられた安蛇子の踵が、公暁の股間を直撃したのです。安蛇子は、するりと羽交い締めを抜け出し、公暁の背後に回って、大上段に斬りかかってきた玉桐の楯としました。
 振り下ろされた玉桐の太刀は、公暁の脳天を唐竹割りにし、ふかぶかと埋め込まれたのです。
「この馬鹿!」
 玉桐は、公暁の股間に思い切り踵を打ち込み、持仏堂に蹴り入れました。
「なんでお前は、こういう時に邪魔すんだよ!」
 持仏堂の床に仰向けに倒れた公暁の脳天から太刀を引き抜こうとした玉桐の背中に、立ち上がった安蛇子が駆け寄り、太刀を突き刺したのです。
「う……!」
 太刀は深々と、玉桐の背中から腹部に突き抜けました。しかし玉桐は怯まず、くるりと踵を返すと、安蛇子の股間をつま先で蹴り上げました。恥骨を直撃され、安蛇子は悲鳴をあげて仰向けに倒れます。
「殺す……殺してやる……」
 玉桐は激痛に顔を歪め、胴を貫通した太刀が刺さったまま、よたよたと倒れた安蛇子に寄ってきました。安蛇子は左右を見回し、玉桐に睾丸を握り潰された稚児の手に握られた太刀を掴むと、思い切り前に突き出しました。
 太刀の切っ先は、玉桐の股間に突き刺さり、そのまま陰部をえぐったのです。
 玉桐は絶叫し、地面に倒れました。二本の太刀を打ち込まれた背中や腹部や陰部から血を噴き出して悶絶していましたが、やがて絶命しました。
「お前は、男二人を同時に相手するのが好きだったわね」
 安蛇子は、地面に座り込んで喘ぎながら呟きました。
「硬くて長いものを二本体に入れて……本望でしょ」

 公暁が討たれたことで、反乱は鎮圧されました。尼将軍政子は、一部の首謀者をのぞいて寛大な処分をくだし、鎌倉幕府始まって以来の内紛は、最小限の犠牲で終わったのです。
 幕政は、次の将軍が決まるまで尼将軍政子の手に委ねられる事となりましたが、後継者を誰にするかが問題でした。なにせ、頼朝公の血筋は、公暁の死ですべて絶えてしまったのですから。
 朝廷から皇族を迎えるという案も出されましたが、政子は拒絶しました。
「では、どうするというのです」
 尼将軍政子の部屋に、御台所や阿波局が集まり、話し合いがもたれました。阿波局は心配げにそう問うと、政子は笑みを浮かべていいました。
「頼朝公の血筋なら、まだ一人残っているではないか」
「え、そうでしたっけ?」
 目を丸くした阿波局に、御台所が、合点がいったふうに頷きました。
「確かにいらっしゃいました!」
 しばし後、部屋に安蛇子が呼ばれました。
「西に行ってもらいたい」
 そう政子に言われ、安蛇子は「承知しました」と頷き、
「西で、何をすればよろしいのですか」
 と問いますと、政子は答えました。
「梁山泊を訪ねるのです」
 梁山泊……。面差しを強張らせた安蛇子に、政子は続けました。
「お前は、その左手を、梁山泊の者に切られたのだったわね」
「はい……」
 俯いて答える安蛇子に、政子は問いました。
「そのことをお前は、恨んでいるの?」
「正直申しまして……心穏やかではいられません」
 大箱の事を思い浮かべながら(その件については、安蛇子は鎌倉の誰にも語っていません)、正直に答える安蛇子に、政子は頷きました。
「お前が梁山泊に恨みを抱いているように、梁山泊にも、この鎌倉に恨みを抱いている者も少なくあるまい」
 政子は短く息をついで、こう続けました。
「であるからこそ、お前が行くべきなのです」
 息を呑んで顔をあげた安蛇子に、政子はさらに言いました。
「梁山泊に恨みのあるお前が、あえて和解を呼びかけるのです。そのしるしとして、三世姫をわたくしたちがお迎したいのだ、と伝えるのです」
 三世姫。
 そう、なき二代将軍頼家の遺児で、十歳ながら梁山泊の首領となっている三世姫を、政子は鎌倉将軍として迎えようというのが、政子の腹でした。
 その説得を、安蛇子に任せようというわけです。
「わたくしに……」
 安蛇子は、ふと頬に涙がつたっているのを覚えて狼狽え、そっと袖で拭いながら、尼将軍政子に問いました。
「できるでしょうか?」
「お前なら、できます」
 政子は言い切りました。
「できると見込まなければ、頼みはしません」
 傍らで、御台所が優しく微笑んでいるのを見て、安蛇子は「わかりました」と深々と頭を下げたのでした。

十編之参
安蛇子は梁山泊に赴いて連合を訴え、
後鳥羽院は大軍を鎌倉に遣わす


「玉桐が死んだ……」
 院の御所。椋橋(むくはし)の局(つぼね)。
 東から届いた書状を手に、後鳥羽上皇の寵姫・亀菊は、血の気の引いた顔で、座り込みました。
「玉桐を……あの安蛇子が殺したのか……」
 しばし虚空を凝視していた亀菊は、やがてゆっくりと立ち上がり、
「綾重(あやしげ)!」
 と叫びました。
「はい」
 と答えて現れたのは、年の頃三十前か、艶っぽい美女でした。
「武者を集めておくれ」
 そう言いながら亀菊は、綾重に身を寄せて坐り、その胸乳をまさぐりました。
「なるべく多く、一万でも二万でも、なるべく多くの武者を」
「はい」
 喘ぎながら答える綾重に、亀菊は言いました。
「鎌倉を攻め滅ぼす」
「……はい」
「安蛇子は、八つ裂きにして、その首を都大路にさらしてやる」
「……あ……はい……」
「そして、天下は私のものになる」

 さて一方、梁山泊。
 五日に一度、夜中に首脳陣が食事をしながら、情報交換や打ち合わせを行うのが慣わしでした。その日も、首席幹部である大箱を中心に、次席の節柴(ふししば)、第三席の呉竹(くれたけ)、第四席の桜戸(さくらど)の四人が集まっております。
「院の御所周辺で怪しい動きがあるようですね」
 と言ったのは節柴でした。都や鎌倉の情報は、いったん節柴のもとに集められ、それを分析・整理して伝えられることになっていました。
「都にいる友代(ともよ)さんからの報せです。北面・西面の武者所が大幅に拡張され、山陰山陽や四国、九州から数千の武者が都にのぼっているそうです」
「そんなに?」
 大箱は眼を丸くしました。節柴は頷いて言いました。
「武者たちの宿所が足らず、乱暴狼藉も頻発しているそうです。都の人々が窮状を訴えても院の御所は耳も貸さず、さらに武者を募っているため怨嗟(えんさ)の声が満ち満ちているとか」
「それだけの武者を集めて、いったいどこを攻めるというのでしょう」
 そう大箱が呟くと、呉竹が口を開きました。
「おそらく標的は、鎌倉でしょう」
「鎌倉?」
「ええ。先の異変により、鎌倉幕府は将軍実朝、その甥の公暁がともに討たれ、それに伴う内戦で数千の兵力を失いました。これを機会に院の御所が、朝権回復を狙って鎌倉と一戦交えるとしても、不思議はないでしょうね」
「もし、そうだとすると……」
 梁山泊の軍事を統括する桜戸が問いました。
「わたくしたちは、どうすべきでしょうか」
「逆に、桜戸さん。あなたなら、どうします?」
 呉竹は問い返しました。
「院の御所につくか、幕府につくか……いずれかを選ばなければならぬとなったら、どうしますか?」
「院の御所の亀菊につきたい、という者は、この梁山泊にはいないはずです。少なくとも、わたくしは絶対に嫌です」
 桜戸は即答しました。彼女にはかつて、夫の軟清に懸想した亀菊の隠謀で流罪になったという因縁があったのです。
 桜戸は続けました。
「とはいえ、幕府につくのも難しいでしょう。梁山泊は幕府軍と戦って、五千の兵を全滅させました。わたくしたちを恨む者は多いはず。梁山泊でも、お犬さんや黒姫さんのように、幕府に滅ぼされた一族の縁者も少なくありません」
「では、おのずと答えは決まりじゃありませんか」
 呉竹はそう言い、大箱に顔を向けました。
「わたくしは、局外中立であるべきだと思います。しっかりと守りを固めて、院の御所にも鎌倉の幕府にも味方しない。そして、もしいずれかが梁山泊を攻めてきたら、断乎として追い返すのです」
「そうですね」
 大箱は頷きました。
「そうしましょう。この方針に従って、皆さん、備えを万全にお願いしますよ」
 打ち合わせは散会となり、それぞれ寝所へと戻っていきました。
 大箱は、寝る前に寝酒を少したしなむのが習慣です。その夜も、寝台に腰をおろして、独り手酌を愉しみながら窓の月を眺めておりましたが、やがて心地よく酔いが回ってきて、両手を天に差し上げて欠伸をすると、布団にもぐってすやすやと寝入ってしまいました。
 そのまましばし時が過ぎ、ふと、目を覚ました大箱は、「あ」と小さく叫びました。
 彼女の部屋の窓の下に、ひとり坐っている者がいます。月明かりに照らされて浮かび上がったのは、一糸まとわぬ女の裸身。
「安蛇子さん……」
 大箱は息を呑んで、呻くように言いました。
 その裸身を、大箱は忘れたことはありません。すらりと背が高く、手足が長く、ほっそりとして、小さいけれどきれいなかたちをした乳房。
 そして、美しい四肢のなかで、左の手首から先がない。
「やっと……会うことができたわ」
 安蛇子は、大箱を見やって微笑もうとして、みるみるその面差しは悲しみに崩れました。
「辛かった……会いたいけれど、会いたくなくて……会うのが怖くて……」
 そういって硬い面差しで俯いた安蛇子を、大箱はしばし凝視していましたが、やがて静かに問いました。
「安蛇子さん」
「……なに?」
「えと、あのう、そのう……」
 大箱は、当惑した面差しで、言葉を探しました。
 なぜ、今ここに安蛇子がいるのか。
 なぜ、厳しい警戒の目をくぐり抜けてこの部屋に潜んできたのか。
 様々な疑問が次々と脳裡に浮かんできて、そうした疑問を整理できないまま、大箱の口から漏れた問いは、まるで子どもの質問でした。
「なぜ、裸なの?」
 安蛇子は愕然として顔をあげ、まじまじと大箱を見つめました。
「だって、わたくし、あなたの敵だから……」
「敵?」
「だって、そうでしょう? わたくし、佐渡で、あなたを殺そうとしたわ」
「うん……そうだったわね」
「わたくし、鎌倉の幕府の代表としてここにやってきたの。梁山泊と鎌倉幕府は、敵対関係といってもいいくらいだわ」
「それも、そうね……」
 大箱は、俯いて言いました。
「法律的には、鎌倉幕府は一応、征夷大将軍という地位でもって、関東の武者を束ねる権利を与えられている合法的な存在で、わたくしたち梁山泊は非合法的な存在だから、敵対してるって言ってもいいでしょうね」
「だからわたくし、こうやってあなたの前に裸で出てきたんだけど……」
「え、そうなの?」
 きょとんとする大箱に、安蛇子は苛立ったように説明しました。
「だからぁ、武器を隠し持っていないって証明するために、あえて裸でやってきたんだけれど……、気づかなかった?」
「あ、そうか」
 大箱は照れ笑いを浮かべて頭をかきました。
「気づかなかったわ。だいいち、わたくしは安蛇子さんと違って武芸はさっぱりだから、たとえあなたが裸でも、襲いかかられたら絶対にかなわないし」
 安蛇子はくすくす笑い、それからわっと泣き出しました。
「ど、どうしたの?」
 驚いて駆け寄った大箱に、安蛇子は涙ながらに問いました。
「どうして、あなたって、そんななの?」
「そんな……って?」
 当惑して問い返す大箱の肩を掴んでゆすぶりながら、安蛇子は言いました。
「あなたは、いつもそう。わたくしがあなたを逆恨みしても、あなたはわたくしの事を、昔と同じように、友だちだと思ってる。佐渡で、わたくしがあなたを殺そうとした時も、わたくしと話したいって最後までわたくしを恨まなかった。わたくしは、あなたに会いたくて、でも、会えばあなたに恨み言を言われそうで、すごく悩んでいたのに、いざ会ったら、あなたは昔とおんなじ!」
 そう言って、大箱の胸に顔を埋め、呻くように言いました。
「大嫌い。だけど……」
 小さな声で言いました。
「大好き」

 翌朝。
 梁山泊の大広間に、大箱以下、主立った幹部たちが勢揃いするなか、礼装に身を包んだ安蛇子がしずしずと現れ、中央の席に座る大箱の前で膝を折り、地面に額ずいて礼をしました。
「鎌倉からいらしゃった御使者だそうですね」
 大箱が声をかけました。
「どうか、面(おもて)をおあげください」
 その声に、安蛇子が顔をあげた時、
「あーーーーーーっ!!!!!!!!」
 と声をあげたのは、双鞭の芍薬、伏潜龍の衣手、野干玉の黒姫、戸隠の女鬼、越路の今板額の五人でした。続いて、
「安蛇子さぁん! お久しぶり!」
 と叫んだのは、かつて鎌倉の女武者所で同僚だった芍薬で、
「お前は、あのときの!」
「大箱さんを殺そうとした、あの女じゃないか!」
「どの面さげてやってきた!」
「喧嘩売りにきたのか、上等だぁ!」 
 と口々に叫んだのは、かつて「七編之弐」で描きましたとおり、佐渡で大箱を救うため安蛇子と戦った、衣手、黒姫、女鬼、今板額です。
「お静かに!」
 叫んだのは、第二席の折滝の節柴でした。
「この方は、鎌倉幕府の尼将軍、北条政子さまのご名代として、はるばる梁山泊にいらしたのです。失礼があってはなりません!」
 節柴もまた、安蛇子の謀略で処刑されそうになったのです。その節柴の叱責に、四人も黙るしかありませんでした。芍薬は不思議そうな面差しで、
「え、何かあったの?」
 と隣に坐る桜戸に小声で訊ね、桜戸は手短に説明しました。
「そんな因縁があったなんて……」
 芍薬はそう呟いて、俯き加減に坐る安蛇子を見つめました。
「では、まず……」
 ざわめきが収まったのを見計らって、呉竹が口を開きました。
「御使者の趣きを、述べていただきましょうか」
 大箱は頷き、安蛇子は、手にした木箱から書状を取り出して拡げ、読み上げました。
「一つ、鎌倉幕府と梁山泊は、同盟関係を結び、男尊女卑の撲滅のために尽力すること」
 再び幹部たちがどよめきました。
「同盟ですって?」
「男尊女卑の撲滅?」
「鎌倉がいつ、そんな方針を打ち出したの?」
 囁きが流れるなか、安蛇子は続けました。
「一つ、梁山泊が奉じる三世姫を鎌倉に赴かしめ、征夷大将軍の地位に就かしめること」
「な、なんですって?」
 叫んだのは青嵐の青柳。太宰府探題が世話していた三世姫を、北条家の要請で鎌倉へ送る道中、青柳は姫の母親に扮して護衛した事で情が移り、梁山泊に合流した後も、姫の護衛とお守り役を買って出ていたのです。
「なぜ、姫を鎌倉へ? そりゃあ、源氏の血筋を引く唯一の生き残りの姫だけれど、あんまり勝手すぎるわ!」
「青柳さん」
 大箱が、たしなめました。
「お気持ちはわかりますが、今はひとまず、鎌倉幕府の要請を聞きましょう」
 安蛇子は、大箱に目配せされ、再び書状に目を落とし、咳払いをして口を開きました。
「一つ、見返りとして、幕府は毎年、馬五十頭及び、馬の飼育に必要な人材を派遣する」
 幹部たちの間から溜息が漏れました。当時の東国の馬は、西国の武者には垂涎の的であり、武芸者ならば誰でも、喉から手が出るほど欲しいものだったのです。
「そして最後に……」
 安蛇子は言いました。
「幕府は、三世姫の代わりとして、いま、亡き実朝公の御台所が懐妊された遺児を遣わすものとする」
 幹部たちは息を呑みました。
 暗殺された実朝は、御台所のお腹に跡継ぎを遺していたのです。その大事な跡継ぎを、梁山泊に遣わすということは、すなわち、幕府と梁山泊が姻戚関係となり、より強い同盟関係で結ばれるという事に他なりません。
 坂東八カ国と奥州を支配下におさめる鎌倉幕府が、梁山泊を対等の同盟者として認めたということなのです。
 しばし沈黙が続く中、衣手が立ち上がりました。
「大箱さん、果たしてこの女が持ってきた書状は、本物なんですか?」
 一同がどよめきました。
「そういえばそうね」
 黒姫が言いました。
「そもそも、その女、大箱さまを殺そうとしたのでしょう? 信用していいんですか?」
 そりゃ、信用できないわ……。
 ねえ……。
 幾人かの幹部が囁きあうなか、安蛇子は眼差しを落とし気味に黙したままです。
「そうですね……」
 大箱は立ち上がり、安蛇子に歩み寄りました。それから、
「衣手さん、黒姫さん、女鬼さん、今板額さん」
 佐渡で、安蛇子と斬りあった四人を名指しして、言いました。
「今から、この安蛇子さんと五人で、別室に籠もってください。そして疑問をすべて、この安蛇子さんにぶつけるのです」
 幹部たちの眼差しが一斉に大箱と安蛇子に注がれ、安蛇子は眼を見開いて大箱を凝視しました。大箱は続けました。
「安蛇子さんは、その疑問にきちんと答え、この四人の方を説得なさってください。わたくしたちの答えは、その後で出します」
「大箱さん……」
 衣手が問いました。
「もし、その女があたしたちの疑問に答えられなかった時は、この女をその場で斬り捨ててもよろしいですか」
 大箱は即答しました。
「はい、そうなさってください」
 そう言って大箱は、瞬きもせずに見つめてくる安蛇子に、かすかな微笑みを送りました。
 ……安蛇子さんなら、できるわ。
 ……できるかしら。
 安蛇子が目を伏せ、口のなかで呟いてから再び顔をあげると、そこにはさらに柔らかな笑みを浮かべる大箱がいました。
 ……できるわ。だって安蛇子さんだもの。
 安蛇子は頷いて立ち上がりました。安蛇子は丸腰のまま、衣手たち四人はそれぞれ武器を携え、別室へと導かれました。広間を出る時に振り向いて、大箱を一瞥した安蛇子は、微笑んでいました。
「完璧なご指示です」
 隣の呉竹が、そっと大箱に耳打ちしました。
 そして……。
 梁山泊は、尼将軍政子の要請に応え、同盟関係を結ぶことがその日のうちに決定しました。答礼の使者として、節柴が鎌倉に派遣されて政子に面会、細かな打ち合わせをした後、正式に協定を締結することが決まったのです。
 そして、三世姫は安蛇子とともに、鎌倉に向かうことになりました。青嵐の青柳が、護衛として姫のお側につき従います。
「大箱さん」
 出発の直前、安蛇子は大箱の部屋に挨拶に赴き、作法通りに別れの辞を述べた後、声を潜めていいました。
「あなたは立派になったわ」
「え……?」
「わたくしも負けていられない。鎌倉の女武者所を、梁山泊にも負けない組織に育て上げ、この国のかたちを変えてみせる。そうなった時、また……」
 安蛇子は、恥じらいつつ、ますます声を小さくしました。
「あなたに抱かれたい」
 大箱は微笑み、小声で応じます。
「安蛇子さんも立派だったわ。衣手さんたち、あなたの言葉を聞いて感激してた。もうこれで、わたくしも蟠(わだかま)りが完全に消えたわ」
 それから、安蛇子の右手を取って、こう言葉を添えました。
「だから、今度お会いしたら、抱かせてね」

 その頃、都。
 院の御所の広間では、後鳥羽上皇の御前に、公卿たちが畏まって居並んでおりました。広間から続く中庭には、北面の武士、西面の武士の主だった者が膝をついて平服しております。
「院宣である」
 院の別当が、御簾を垂らした奥の雛壇に座る上皇様の傍で、高々と読み上げました。
「西面、北面の武士たちよ。ただちに兵を率いて東へ赴き、鎌倉の尼将軍政子と、その党類を討て!」
 静かなどよめきが、人々から洩れました。院宣はさらに続きます。
「尼将軍政子は近ごろ、関東の成敗と称し、ひたすら女人をもって守護代、目代に登用し、男女の別を乱し、天下の政務を乱す。己の威を輝かすことに専心し、皇憲を忘るること、謀反に同じと言うべきである。すみやかに全国の武者に下知し、鎌倉を攻め、彼の尼将軍政子を追討すべし」
 おう! と答えて武士たちは立ち上がり、三々五々、中庭を出ていきました。そのまま朝議は散会となり、公卿たちが立ち去った後、奥の部屋の襖が開き、十二単(じゅうにひとえ)をまとった女人が現れ、御簾の中へと入っていきました。
 寵姫・亀菊です。
 同時に、中庭に現れたのは、三人の女武者たちでした。
 一人は、綾重という三十路前の女。残る二人は、二十歳半ばの雛形(ひながた)に、二十歳前の下貝(したがい)。いずれ劣らぬ妖艶な美女たちです。
「すまぬ、亀菊」
 御簾で亀菊と向かい合った後鳥羽上皇は頭を下げました。
「あの件がなければ、女武者所にも、正式の院宣を下し、皇軍として出陣してもらうはずだった。朕の力及ばず、この度は男武者のみの出陣となってしまい、申し訳ない」
 亀菊は、不機嫌げに鼻を鳴らし、いきなり上皇の股間に手を差し入れ、きゅっと軽く睾丸をひねりました。軽くとはいえ男の最大の急所です。上皇は、両手で股間を押さえて突っ伏してしまいました。
「わたくしをほんとうに怒らせたら、これですまぬことはご承知ですわね」
 亀菊は悶絶する上皇を見下ろして冷たく言い放ちました。
 実は数日前、中庭に控える院の女武者所別当の綾重、その配下の雛形、下貝の三名は、九州から都に来た武者たちと乱闘騒ぎを起こしていたのです。
 その時、綾重らは、都大路でひっかけた美少年をそれぞれ一人ずつ脇に抱え、都大路を闊歩しておりました。そこに出くわしたのは、酒焼けした顔で歩いてくる髭面数名です。
「おお、よか稚児どんでごわすな」
 一人の髭面が、綾重が抱えていた美少年の頬を撫でて言いました。
「お女郎どん。金なら払うから、この稚児たちを、おいどんらに譲ってくれもはんか?」
「うるさい、田吾作(たごさく)、寄るな」
 綾重は露骨に顔をしかめ、美少年の手を引っ張って離れようとしました。
「田吾作じゃと!」
 髭面は激怒し、綾重の前に立ちふさがりました。
「おい、女郎、武者を捕まえて田吾作とはなんじゃ。謝れ!」
「冗談じゃないよ、お前らこぎたない田吾作が都に溢れて、みんな嫌な思いしてるんだ。それが偉そうに美少年を奪っていこうとは、いい度胸じゃないか。あたしが懲らしめてやるから、覚悟しな!」
 言うなり股間を蹴り上げ、睾丸を潰された髭面が地面に転がって悶絶するのを合図に、雛形と下貝の二人も髭武者の仲間に襲い掛かりました。たちまち九州の武者たちは、睾丸を蹴り潰され、握り潰され、踏み潰され、号泣と嗚咽を漏らしながら、断末魔の激痛に苛まれて這いつくばったのです。
 これに激怒したのが、西面、北面の武士たちでした。彼らは女武者所に押しかけ、犯人を差し出せと大騒ぎしたのです。亀菊は突っぱねる腹でしたが、武者たちの剣幕に恐れをなした後鳥羽上皇に説得され、結局、鎌倉攻撃は男武者のみによって行われることになったのでした……。
「申し訳ございませんでした」
 中庭に並んだ綾重らは、頭を下げて亀菊に謝罪しました。
「連中の乱暴狼藉には、常々腹を立てていたので、つい、手を出してしまいました。面目もございません」
「いいのよ」
 亀菊は中庭に降り立って綾重の肩を撫でました。
「どうせ、あいつらは鎌倉勢の相手ではないわ。一万の反乱軍を、千余の女武芸者で鎮圧させた相手よ。寄せ集めの西国武者たちが、最後まで必死で戦うとも思えないわ」
 綾重の顔をあげさせた亀菊は、その唇に自らの唇を寄せていいました。
「綾重、今こそ、あなたの力が必要なのよ」
 さらに、雛形、下貝にも接吻して、亀菊は言いました。
「かまわないから、あいつらの後から出発しなさい。大丈夫、わたくしの命令だといえば、逆らえるものは、この都にはいないわ」

 上皇軍を率いるのは、西門の武士の別当をつとめる藤原秀康(ひでやす)、秀澄(ひでずみ)、秀能(ひでよし)の藤原三兄弟です。「初編之弐」で登場しておりますので、御記憶の方もいらっしゃるでしょう。衣手の師である綾梭(あやおさ)に勝負を挑み、睾丸を打たれて怯んだのは次兄の秀澄ですが、以後、女武芸者を眼の仇にしてきた兄弟でした。
 三兄弟率いる万余の軍勢は京の都を進発し、近江との境である瀬田川にさしかかりました。ここから琵琶湖岸をつたって美濃に入り、さらに尾張にくだって東海道を鎌倉へと向かうルートを取る予定でした。
 瀬田川にかかる唐橋(「九編之弐」参照)を渡って西岸に至ったとき、ちょうど日も暮れましたので、陣幕(テント)を張って夜営する事となりました。先に述べましたように、合戦に遊女は付き物。万余の大軍を相手に大勢の遊女たちが商売に押しかけ、夜が更けるまで一大乱痴気騒ぎが展開されたのです。
 翌朝。
 春まだ遠く、冷え切った朝の瀬田川岸は、川霧と湖から流れてくる靄とで、一間先も見えないほどけぶっておりました。
「これは、霧が晴れるまでは動かぬほうがいいな」
 総大将の藤原三兄弟は口々に言いました。
「昨夜の酒もなかなか抜けないし、ここはゆっくりと出発の準備をするとしよう」
 ぐだぐだと用意をしていると、次第に霧が薄れ、視界が開けてきました。同時に、そこかしこの陣幕で、叫び声があがり、武者たちが忙しく右往左往しはじめたのです。
「あ、あれは!」
「敵だ!」
 武者たちは、東の琵琶湖岸を指差して怒鳴りあいました。
 琵琶湖岸に、おびただしい船が漕ぎ寄せ、美々しい甲冑に身を固めて黄色い軍旗を掲げた兵たちが、次々と上陸し、陣形を構えております。よく見れば、みな女でした。
「梁山泊だ!」
 雑兵の一人が悲鳴をあげました。五千の鎌倉幕府軍が五百の梁山泊軍相手に一兵も残さず全滅し、総大将泰時までが自害して果てたという報せは、彼らの耳にも届いていたのです。女相手に負けるような鎌倉勢など屁でもない、と意気揚々と出陣した彼らは、その鎌倉勢を全滅させた梁山泊軍の出現に、早くも怯えてしまったのです。
「いかん! 貝を吹け!」
 総大将の藤原秀康は、慌てて甲冑を身につけ、馬にまたがりながら叫びました。
「敵の陣形が整うまでに、総攻撃だ! 急げ!」
 とはいえ、上皇軍のほうもまた、陣形は整っていません。ほら貝が鳴らされるなか、てんでばらばらに突っ込んでいった上皇軍は、統制の取れた梁山泊軍に各個撃破されていったのです。
 言うまでもなく、今回の出陣は、尼将軍政子と結んだ同盟に依るものです。この時の梁山泊軍の陣容は以下の通りでした。
  総大将  虎尾の桜戸
  軍  師   智慧海の呉竹
  先陣の将 二鞭の芍薬 旋風の力寿 浮潜龍の衣手
  中軍の将 花殻の妙達 億乾通お犬 夕轟の打出
  後詰の将 野干玉の黒姫 戸隠の女鬼 越路の今板額
 首席幹部の大箱と次席の節柴は梁山泊に止まりましたが、琵琶湖岸での戦いの様子は梁山泊の砦の物見櫓からもうかがうことができました。
 上皇軍は、芍薬らが率いる先陣によって壊滅状態となり、逃げようとする敵は、中軍として襲い掛かった妙達ら中軍に包囲され、さらに打出率いる部隊が投げつける「てっほう」によって爆破されていきました。
 無残な殺戮にさらされた自軍に恐れを抱いた上皇軍は、唯一の逃げ道である瀬田の唐橋に殺到します。狭い橋は押し合いへし合いとなり、たちまち多くの武者が川に落とされました。川には、水慣棹の二網、気違水の五井、鬼子母神の七曲の唐崎三姉妹が待ちうけていました。瀬田川の水面は、睾丸を潰されたり、男根を切り落とされたりした武者たちの屍で埋まり、血で赤く染まりました。屍には、藤原三兄弟も含まれていたのです。
 半日もたたぬうちに、上皇軍一万は、全滅したのです。
「これまで!」
 総大将の桜戸の命令の下、停戦の太鼓が鳴らされ、出撃した五百の梁山泊軍は再び一箇所に終結しました。梁山泊軍はほぼ無傷です。
「みんな、よくやったわね!」
 桜戸が女たちを慰撫していると、ふと、一天にわかに掻き曇り、ごうごうと音をたてて強風が吹き荒れ、大雨となりました。
「あれは……!」
 梁山泊の砦の物見櫓から、大箱と並んで戦況を見守っていた節柴が、戦場を指さして叫びました。
「見てください。呪術です!」
 見ると、他は晴れ渡っているのに、なぜか梁山泊軍が集結した地点だけ、黒雲がわき、風雨が吹き荒れているのです。
 そして、瀬田川の西岸には、新たに現れた数百の軍勢が、整然と並んでいました。
「新手の敵かしら?」
 と問う大箱に、節柴は答えました。
「みな女のようです。恐らく、亀菊の女武者所でしょう。あのなかに、天文(てんもん)を操る術使いがいて、雨風を操っているものと思われます」
 それから節柴は、雲間隠の龍子を呼びました。物見櫓にあがってきた龍子は、しばし戦場に吹き荒れる風雨を見つめていました。風や雨に加え、雷が落ちたり、突然炎が吹き荒れたりと、梁山泊軍の統制は乱れ、幹部たちが声を枯らして指示を出しても届きません。
 龍子は、じっとその模様を凝視していましたが、首を振って俯きました。
「あの術は、とてもわたしが敵(かな)う相手ではありません」
「え……? 龍子さんでも敵いませんか?」
「はい、あの術を使っているのは、恐らく綾重という女です」
「綾重?」
「わたくしの父・阿部泰彦(あべのやすひこ)と敵対し、邪心が多すぎるとして都を追われた陰陽師・蘆屋道天(あしやのどうてん)の娘です。父親に負けず劣らぬ邪知の持ち主ですが、天文を操る技術においては、到底わたくしの及ぶところではありません」
「それは困りましたね。なんとかなりませんか?」
「今はとりあえず、全軍を砦まで退却させてください。なんとか策を練ってみますから」
 龍子の提案を受け入れた大箱は、退却の合図ののろしをあげさせました。暴風雨のなかにあった梁山泊軍は、なかなかのろしがあがった事に気づかず四分五裂となったところを、亀菊軍の雛形、下貝らの部隊に襲撃され、少なからぬ損害をこうむりましたが、やっと気づいた桜戸の合図で、梁山泊に向かって敗走をはじめました。
 殿軍(しんがり)をつとめた芍薬の見事な戦いと采配で、なんとか亀菊軍の追撃をかわし、梁山泊に辿りついたとき、幸い幹部に死傷者はいませんでしたが、五百の兵のうち五十人を失っていました。不敗を誇った梁山泊軍にとって、はじめての敗北です。
 そして、綾重率いる亀菊軍は、梁山泊をびっしりと包囲しました。
「陣形に隙がないわ」
 包囲軍を見下ろして芍薬が呟きました。桜戸も同調します。
「その綾重という女、単なる術使いじゃないわね。軍の統率にも優れているみたい。これまで戦ってきたなかで、芍薬さんの除けば、最強の敵よ」
 幹部たちが集まって対策を協議しているところに、山麓の菅(すげ)の浦から荒磯神(ありそがみ)の朱西(あかにし)が駆けつけてきました。
「あら朱西さん、どうしたの?」
 大箱が問うと、朱西は言いました。
「それが、麓の里では大変な騒ぎなんです。亀菊軍は、里の美しい少年を片っ端から誘拐して、陣幕で犯しています」
「え、そうなの?」
 美少年に目がないお犬が、一瞬うらやましそうな顔をしましたが、続く朱西の報告に、みな一様に面差しに怒りを浮かべました。
「里の者たちは、男の子の顔に墨を塗ったり、納屋に隠したり、大変です。それでも家に押し入って男の子だけ残して一家皆殺しにする連中も少なくありません。あたし、見ていられなくて、ご報告に来たわけです」
「わかりました」
 龍子が、何かを決心したように口を開き、大箱に向かって言いました。
「これから数日、時間をください。わたくしは、伊吹山(いぶきやま)の山頂(いただき)に住む師匠を訪ねます」
 伊吹山は、近江(滋賀県)と美濃の国(岐阜県)の境に聳(そび)える高山。その頂までは半日もあれば登れますが、山道は険阻(けんそ)で、しかも季節柄、雪に覆われています。
「そんなところに、龍子さんのお師匠さまが住んでらっしゃるのですか?」
 目を丸くして問う問い返す大箱に、龍子は答えました。
「ええ、名は烏有仙女(うゆうせんにょ)羅衣(うすぎぬ)といい、少々変わり者ですが、古今の呪術や薬学に通じた大天才です。この師匠ならば、あの亀菊軍に打ち勝てるだけの手段を考えてくださるはずです。その間、なんとか持ちこたえてください」
「わかりました」
 呉竹は頷き、桜戸や芍薬には、時折撃って出て包囲軍を攪乱しながら時を稼ぐよう指示しました。同時に、麓の里の住民保護のため、唐崎三姉妹や朱西に、皆を遠くに避難させる事にしたのです。
 伊吹山は梁山泊から歩いて半日の距離にあります。念のため、旋風の力寿が護衛としてついてゆくことになりました。
 夜更けのうちに二人は、梁山泊を忍び出ました。(十編・了)

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